長野県の中央、諏訪郡原村に鎮座する一ツ石山神社は、標高1200〜1500mの緩やかな傾斜地に広がる八ヶ岳中央高原の「丸山の森」別荘地(総区画数/425区画)内にある。寒さの残る早春の別荘地は閑散として、整然と区画された里山林に人の姿は見られない。
八ヶ岳連峰・阿弥陀岳(あみだだけ、2805m)の西麓を南北に走る県道484号(鉢巻道路)から、丸山の森 別荘地に向かって1kmほど東に進むと、道路沿いに「山神社」の扁額を掲げた一ノ鳥居があらわれる。
鳥居の側に車を駐めて、参道としてつくられた、木々を伐採し切り拓いた約80mのなだらかなスロープを上っていくと、二ノ鳥居があり、扁額には「一ツ石山神社」と記されている。
同じ神社でありながら、一ノ鳥居と二ノ鳥居で、なぜ扁額の社名が異なっているのだろう。一ノ鳥居の「山神社」は、本来ここが「山の神」を祀る社(やしろ)であり、「一ツ石」は神の降臨する「磐座」を示すもので、「一ツ石+山神社」=「一ツ石という磐座(ご神体)を祀る山の神の社」の意と考えられる。
一ツ石は、びっしりと苔に覆われた高さ約3mの巨大な丸形の石で、紙垂(しで)が垂れ下がった注連縄が巻かれている。社殿はなく、岩の下部に木製祠、頂部に石祠が安置されている。背後の建物は、神社関連の建物かと思ったが、ただの別荘宅だった。
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一ツ石の四方には、諏訪信仰独特の御柱(おんばしら)が建てられている。
長野県・諏訪大社の「御柱祭」は、6年に一度(寅年と申年、数え年で7年に一度といわれることも多い)二社四宮の計16本の柱を建て替えるだけではない。茅野市の「御座石神社」のような例外もあるが、諏訪地方(諏訪市、岡谷市、茅野市、下諏訪町、富士見町、原村)のほぼ全域の神社や小祠、道端の道祖神まで、女性も子どもも参加できる「小宮祭(こみやさい)」と称する小規模な御柱祭が行われており、諏訪に立つ柱の数は、数万本にもおよぶという。
原村観光連盟の「facebook」で
「一ツ石山神社の小宮祭」の写真を見つけたのでリンクしておく。
当社の由緒は不明であるが、祭神は「山の神」のもっとも代表的な神とされる大山祗命(おおやまつみのみこと)と考えて間違いないだろう。大山祗は伊弉諾尊(いざなぎ)と伊弉冉尊(いざなみ)の間に生まれた神で、富士山の祭神・木花咲耶姫(このはなのさくやびめ)と岩石を司る女神・石長姫(いわながひめ)の父神にあたる。
一ツ石山神社は、阿弥陀岳の西山裾に位置している。古来、山は神様が住む神聖な場所であり、同時に死者の魂が一定期間とどまる場所とも考えられていた。山裾の神社は、山からの災いや「ケガレ」の侵入を防ぐ「結界」の役割や、山へ入る際(狩猟や林業など)の安全を祈願する場所としての意味がある。
また、「山の神」は、「水分神(みくまりのかみ)」と切っても切れない関係にある。山から流れてくる水が田畑を潤すことから、山裾の神社は「水の神」としても崇められている。
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古代から中世にかけての原村周辺は、神野(こうや)とよばれる「諏訪大社上社(本宮・前宮)」の御狩場で、一般人は立入禁止の痩野(やせの)だったと言われている。後に、武田信玄の領地となった戦国時代にも、一般人が居住することを禁止する下知(げち)状が下されていた。
一ツ石山神社が鎮座する「八ヶ岳中央高原」の開発は、昭和48年(1973)頃から始まった。開発以前は、地元の人々が薪(まき)や炭(すみ)をとるための入会地(いりあいち)として利用されていたという。
この当時は、一ツ石と深い森が一体となった神秘的な風情を見せていたのだろう。
八ヶ岳南麓の別荘地にある「白旗神社」(山梨県北杜市)を訪ねた際、社地周辺の森が伐採される前に訪れたら、まったく異なる風情を感じただろうと想起した。神社は、鎮守の森と一体になって神秘的な気配がつくられるもので、周囲の木々が伐採されると、風情と霊気は一気に薄れていくものだと痛感する。
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2026年3月2日 撮影
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4本の柱の中で最も大きい「一ツ石山神社一之御柱」。
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