梨の木峠の地蔵堂。現在のお堂は昭和20年(1945)に再建されたものである。


右手に錫杖、左手に宝珠を持つ僧形の姿が、親しみやすい地蔵信仰の形像として普遍化した。


草に埋もれた小さな石仏群。素朴な美しさがある。


赤いよだれ掛けを掛けた地蔵菩薩。赤ちゃんが丈夫に育つようにと願う、母の祈りが込められている。


子供を抱く「子安地蔵」。額の白毫(びゃくごう)から仏の化身であることが分かる。


男女二神が仲睦まじく並ぶ「双体道祖神」。男神が盃を、女神が瓢をもって、結婚式を表している。
 小佐渡山脈を縦断する県道65号線(旧赤泊街道)、赤泊から真野地区へ北上する峠道に「梨の木地蔵」と呼ばれる地蔵堂がある。かつてお堂の前に、梨の古木があったことからこの名が付いたという。

 地蔵堂の本尊には、次のような伝承が残されている。
 その昔、豊田集落の漁船が、帆をかけて真野湾を走っていると、急に船が止まって動かなくなった。不思議に思って海の底をのぞくと、白い光を放つものが沈んでいた。海に飛び込み、これを拾いあげてみると、それは長さ一尺(約30cm)ばかりの石の地蔵であった。
 漁師は急いで集落に戻り、村の者と相談し、海の見える丘の上に、南方に向けて地蔵を安置したが、船が止まるのは収まらない。そこで静かな山の奥の、梨の木の下に西方に向けて安置すると、船の止まりはぴたりとなくなった。村の者は、阿弥陀仏が西方極楽浄土を目指したかったのだろうと語りあったという。

 いつしかこの地蔵尊に、病難平癒の願かけをすると、必ず治してくれるという伝聞が島民の間に広まっていく。そして、願いがかなうと必ずお礼参りをして、一体の石地蔵を持参し「身代り地蔵」として境内にお供えすることになっている。こうして地蔵は増えていった。

 お堂の周囲には、長年の風雨にさらされて、すっかり摩滅した石仏から新しく安置されたものまで、おびただしい数の地蔵菩薩が、なかば草むらに埋もれるかたちで群れをなしている。
 明治初期の『皇国地誌』には、地蔵の数は3000体とあり、大正14年に出版された『佐渡写真大集』には、いささか多すぎる気もするが、その数は3万体と記されている。深閑とした境内のなかに、何千何万という信者たちの願いが、一つひとつの地蔵に込められているのだろう。柔らかでぬくもりのある雰囲気が感じられた。

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 地蔵の梵名(ぼんめい)は「クシティガルバ」、サンスクリット語でクシティは「大地」、ガルバは「胎内・子宮」を意味しており、「大地の地母神」を擬人化、もしくは寓意化した菩薩とされている。

 インド古来の地母神信仰が中国に伝わると、地獄にいて亡者の罪を裁く閻魔(えんま)さまと同一視される。まさに「地獄に仏」のお地蔵さまで、地獄に堕ちた亡者を極楽浄土に導き、人々に代わって地獄の苦しみを引き受けてくれる「大悲代受苦(だいひだいじゅく)」となって、身代わり地蔵の信仰へと変身をとげていった。

 日本における地蔵信仰のはじまりは、来世的な極楽浄土信仰が貴族階層に浸透した平安時代後期とされている。鎌倉時代に入ると、この世の苦しみから免がれるための現世利益(げんぜりやく)的信仰と結びついて、広く民衆に広まっていった。以降、地蔵信仰は農村にまで定着し、村の境や峠、あぜ道、四辻などに、庶民のわずかな浄財を出しあって安置されていった。

 地蔵菩薩は、一般的には声聞(しょうもん)・比丘(びく)形とよばれる剃髪した僧侶の姿で、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ)をもつ形像が基本形とされている。錫杖はどこにでも人々を助けにいく旅の僧を、一方の宝珠は、あらゆる願いごとをかなえてくれるご利益を表わしている。

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 日本において、神と仏は民間宗教という名の元で融合し、独自の文化をつくり上げてきた。中世に入ると、地蔵は村の辻々に置かれている「道祖神」とむすびついていく。地蔵はこの世とあの世の境に立つ菩薩であり、道祖神は、村の境界や辻などに置かれた一種の守り神である。同じ境に立つという共通の心象から結び付いたものだろう。

 道祖神は「塞の神(さえのかみ)」とも呼ばれ、旅行安全、除災、縁結び、性神、夫婦和合などの神ともされている。陰陽石や丸石などの自然石を祀ったものから、男女二体が結び合う姿を象った「双体道祖神」など、この神の表徴は多種多様である。

 梨の木地蔵の境内にも、男女二体が仲むつまじく並ぶ「双体道祖神」(写真上)が置かれている。男が盃を、女が瓢(ふくべ)をもつ姿は、結婚式を表している。
 梨の木地蔵には、子宝祈願にもご利益があるとされ、地蔵と親子の縁を結ぶ「梨の木灌頂(かんじょう)」という民話が残されている。
 「老夫婦が梨の木地蔵を訪れ、熱心に祈っている。堂守が声を掛けると、「自分たちは不自由なく暮らしてきたが、子に恵まれなかったことだけが心残りだ」と話す。和尚は、それでは黄泉(よみ)の国で親子になる縁を結んでみてはどうかと勧め、経を唱える。老夫が落とした梨の葉が地蔵の頭に載ると、地蔵は子どもの姿になり、老夫婦と親子になることを誓い合った。」(「佐渡むかし語り」新潟日報ホームページより)

 毎年恒例8月24日の「梨の木地蔵祭り」には、前日の夜祭りから島の人が集まり、堂内にお籠りする人もいるという。祭りの場では石の地蔵が売られている。人々はそれを買って「マイ地蔵」として、願をかけて境内に置いていく。
 お地蔵さまを拝むことで、日々の苦しみから救われる。梨の木地蔵は、庶民とともにあるもっとも身近な聖地であり、菩提を弔うよすがだったのだろう。

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2021年6月26日 撮影


帽子か被り、白装束をまとったお地蔵さま。


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