佐渡小木海岸の「万畳敷」にそびえる潜岩。


枕状溶岩についたキリン柄の模様から、地元では「キリン岩」とも呼ばれている。


反り返った3つの岩塊が一直線に並んでいる。


潜岩の隙間から眺める神子岩。


「マントル直送の岩」といわれる小木海岸の神子岩。
 佐渡島の最南端「宿根木(しゅくねぎ)」から佐渡一周線(県道45号線)を走り小木半島最西端の「沢崎鼻」に向かう。
 沢崎灯台の手前を「素浜・沢崎」方面に向けて右折、トンネルを2つくぐって、海沿いの道を走ると前方に「神子岩(みこいわ)」が見えてくる。「潜岩(くぐりいわ)」はここから海岸線を900m走った「万畳敷(まんじょうじき)」と呼ばれる沢崎海岸の道路沿いにある。岩の高さは10mほどあるだろうか。岩畳から迫り上がり、空にヌーッとそびえているさまは、今までに見たこともない何とも異様な姿であった。

 潜岩は、地元では「キリン岩」とも呼ばれている。これは岩の表面にキリン柄(ジラフ柄)の模様が見られることから付いた通称で、遠目には黒い岩だが、近くで見ると岩の表面に白い雲型の線上痕がついている。

 小木半島の大地は、およそ1300万年前の海底火山の爆発で噴き出した溶岩や火山灰が、数百万年前から続く隆起運動によって海面上に表れたものである。
 潜岩やその周辺に見られるキリン柄の模様は、玄武岩質溶岩が、海水に触れて急速に冷やされて「枕状溶岩」になり、さらにその上に溶岩が積み重なり、さらなる枕状溶岩の形成され、これが何度も繰り返されることで生まれたものである。白い模様の正体は、急冷された枕状溶岩のガラス質の殻が積み重なってできた流動痕であるという。

 潜岩のある万畳敷は、潮の満ち引きによって姿を変える巨大な一枚岩の海岸で、水面に青空や夕焼けの空が映る風景は、ボリビアのウユニ塩湖のような写真が撮れる話題の「インスタ映え」スポットとなっている。

 この広くて平らな海岸は、今から219年前の享和2年(1802)11月15日に起きた「佐渡小木地震」(マグニチュードM6.5〜7.0と推定される)によってつくられたもので、地震によって小木半島の海岸は約1〜2m ほど海底から持ち上がり、現在の姿になった。
 『大日本地震史料』(1904年)には、「小木湊は、入江の内變地いたし、干潟になり、(中略)人家参百廿八軒、土蔵廿三ヶ所、寺院ニケ寺、焼失に及び、即死人十八人あり」と、被害の甚大さが記録されている。

◎◎◎
 沢崎海岸から日本海に突き出た小山状の「神子岩」は、マントルから生じたマグマが、薄くなった地殻を突き抜け、地上近くまで上昇し、海底の地層の中でゆっくりと冷えて固まったものである。
 岩質は「ピクライト質玄武岩」と呼ばれる稀少な岩石で、柱状節理が発達した黒ずんだ岩山のなかに、オリーブ色をした「橄欖(かんらん)石」の結晶を見ることができる。

 かつて、神子岩の上には「神石神社」と呼ばれる社(やしろ)があったが、現在は神子岩から南に600mほど離れた県道45号線の側に移されている。祭神は、岩石の神様とされる磐長姫命(いわながひめのみこと)で、沢崎地区の産土神(うぶすながみ)とされている。
 神社の創建年代は不詳であるが、『佐渡神社誌』(1926)に以下のような由緒が記されている。

 天智天皇の御代、土佐の国(高知県)山方に永楽又兵衛という百姓がいて、妻と別れ、後妻を迎えた。前妻との子・三助は、継母の讒言(ざんげん)によって佐渡に流される。このとき実母は悲しみ、松ヶ崎へ向かう船のなかに、籾(もみ)三升と鍬(くわ)、鎌(かま)をこっそりとしのばせ、三助を見送った。
 また、能登国(石川県北部、口碑に加賀の国とも云う)の女「おとわ」が、佐渡に流され棹崎(今の澤崎を云う)に着船した。まもなく2人はめぐり逢って夫婦となり、2人で三助のもってきた籾をまき、農業を営んだ(男の植えた稲を「土佐助郎」、女の植えた稲を「加賀早稲」という)。
 のちに長男の太郎兵衛が生まれる。太郎兵衛は母の意志を受け、当地で漁業を営み、傍ら土地を開拓する。その後太郎兵衛は、土地の守り神として神子石の上に祠を建て、神子石大明神を奉る。これが神石神社の濫觴(らんしょう:物のはじまり)となる。
 しかるにこの地は、断崖絶壁にあり参詣することも容易でない。そのため元宮という地に社を移したが、この地もまた谷あいにあり、豪雨の度に浸水するので、慶長3年(1598)現在地に遷座した。
 天明4年(1784)及び元治元年(1864)に火災によって家屋、古文書を焼失。明治6年(1873)に村社に列せられた。

 この由緒に登場する「おとわ」の名前を「お菊」に変えれば、佐渡に伝わる三助・お菊の「男神山・女神山伝説」とほぼ同じ話になる。これは佐渡市の港町、多田(おおた)地区に伝わる伝承で、佐渡で最初に稲作りをはじめ、農業の開祖とされる三助とお菊が、多田の西北に位置する男神山(498m)と女神山(593m)に祀られているという伝説で、神石神社の創建は、三助・お菊の伝説に仮託されたものだろう。

◎◎◎
 小木町城山から神子岩に至る延長約8kmに及ぶ海岸は、古い火山活動により形成された変化に富む景勝地として、国の天然記念物及び名勝に指定されている。また、小木半島エリアは、2013年「日本ジオパーク」の一つに認定された。ジオパークとは、地質学的重要性を有する地形を保全し、奇岩、海蝕崖などが連続する特異な景観を、教育や観光に活用するユネスコのプログラムである。

 独自の景観をもつ景勝地が、聖なる場所とされ、祭祀の場となることは、古今東西でみられることである。神子岩から神社が離れたことで、神子岩の信仰は薄まってしまったが、神社に残る伝承によって、信仰の命脈はかろうじて保たれている。

◎◎◎
2021年6月25日 撮影


夕日に映える万畳敷。
広くて平らな海岸は。日本のウユニ塩湖とも呼ばれ
話題のインスタ映えスポットになっている。

枕状溶岩の白い模様は、潜岩だけではなく、海岸の岩畳や県道を挟んだ山側の岩肌まで広がっている。