鶏鳴石。昔、元旦に村人が三方石観世音に参拝したとき、この石から鶏の鳴き声を聞いたという。


鶏鳴石の上には鶏の石像、背後には稲荷神社、手前には百体地蔵が配されている。


石に「妙法」の2文字が刻まれており、別名「妙法石」とも呼ばれている。


観世音本堂。聖観世音菩薩が彫られた花崗岩(御影石)の岩塊を背負うように建てられている。


本堂横の御手足堂。木彫りの手型足型が無数に積み重なって奉納されている。
 若狭湾国定公園の代表的な景勝地「三方五湖(みかたごこ)」の東方、国道27号線「石観音」の交差点から、雲谷山(786.5m)を水源とする観音川に沿って山側に進んでいく。「大悲山 石観世音」と刻まれた大きな寺号標のある駐車場に車を停め、小雨そぼふる中を本堂に向かって歩き出した。

 三方石(みかたいし)観世音の本尊は、弘法大師空海(774〜835)一夜の作と伝えられる聖観世音菩薩である。 当寺に伝わる「石観音菩薩由来記」によると、ある夜、大師が雲谷山山麓の御影石で霊像を刻まれたが、完成寸前に夜が明け、鶏鳴(けいめい)石から朝を告げる鶏の声が聞こえたため、右手首より先を刻まずに下山された。以来、右手首のないこの像は「片手観音」と呼ばれ、手足のけがや病に苦しむ人たちの信仰を集めてきたという。本尊の聖観音像は、秘仏として本堂祭壇に安置されており、33年に1度ご開帳がおこなわれている(次回のご開帳は2026年10月)。

 延暦年間(782〜806)の弘法大師彫刻伝説から幾星霜を経た、江戸時代後期の文化9年(1812)頃、聖観世音菩薩を守るべく三方石観世音を開山されたのが、地元の曹洞宗・臥龍院(がりゅういん)の春山隣道(しゅんざんりんどう)和尚(写真下)である。
 現在の本堂は明治32年(1899)に再建されたもの。本堂横の御手足(おてあし)堂には、観世音菩薩の功徳に感謝して、江戸時代後期からのお手足型や松葉杖、ギブス等が金色の観音像の周りにうずたかく積まれている。

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 駐車場から観音川を渡り、本堂へ向かう参道の途中、前庭に続く石段前の一角に、別名「妙法石」と呼ばれる鶏鳴石がある。苔むした、おむすび型の岩の上には夜明けを告げたと伝えられる鶏の石像が置かれ、背後には稲荷神社の赤い鳥居、川側には百体地蔵が配置されている。

 朝を告げる鶏鳴石は、古来より不思議な力をもつ霊石とみなされていた。寺院が創建される以前は、古神道における磐座として信仰されていたものだろう。
 現在、この石には「妙法」の2文字が刻まれている。これは、江戸時代後期の春山隣道和尚による仏教の影響で施されたものと思われる。自然崇拝から生まれた磐座信仰では、磐座はあくまでも自然石であるべきで、石に文字を刻んで加工することはありえないことである。

 弘法大師伝説については、岩手県花巻市の「蝙蝠岩弘法大師霊場」に記しているので、以下にその一部を転載する。
 「弘法大師伝説は、まだ空海が無名であった18歳から入唐するまでの31歳までの青年時代、いわば足跡のあきらかでない時代をもつことで生まれたものだが、いくら空海といえど、10数年で日本国中をくまなく歩き廻ることはできないだろう。諸国を勧進して廻った高野聖が各地に「弘法大師」の名を残したとも考えられるが、いずれにせよ弘法伝説に、空海自体が関わっている例は極めて稀であると思っていい。」
 また、斎藤昭俊氏の『弘法大師信仰と伝説』には、「大師による彫刻は、弘法大師を宗祖とする真言宗に属する寺院が、弘法大師の信仰普及と、寺院の権威づけのために、伝弘法大師作と伝える彫刻を大変多くもっている」とある。

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 当寺の弘法大師伝説も、上記のような趣意でつくられたものだが、「片手観音」の伝説には石が鶏の鳴き声をあげる「鶏鳴伝説」が付加されている。
 時計のなかった遠い昔、昼は太陽を見て時刻を知ることができたが、真暗い夜になると時刻を知ることができなかった。そこで1番鶏は丑の刻(午前2時頃)、2番鶏は寅の刻(午前4時頃)というように、鶏鳴は時報の役割を担うものであり、時刻を知る有効な手立てとされていた。

 日本の鶏は『古事記』に記される天岩戸神話を初見とする。天照大神を天岩戸からおびき出すための策として、八百万神(やおよろずのかみ)が常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)を集め、これを一斉に長鳴させて、天照大神を呼び出すという話である。鶏はまさに、太陽を呼び出す霊力をもっていると考えられていた。

 また、時を告げる鶏鳴には、鬼(悪霊)の徘徊する闇を追い払うという事例や、山または塚に、黄金の鶏が地下に埋まっているという金鶏伝説など、さまざまな伝承が散見される。
 本サイト中の「鶏鳴伝説」に関するページを以下に挙げておく。それぞれの記事を参照されたい。
 和歌山県串本町の「橋杭岩
 群馬県高崎市の「榛名神社
 島根県雲南市の「八重山神社

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2020年10月23日 撮影


参拝者を迎える弘法大師像。

「開山春山隣道大和尚禅師」の像。今に続く三方石観世音の礎を築いたといわれる。