豊田市の市街地から、車で約30分ほど東上すると、あたりはのどかな山里の風景に変わる。標高は約390m、岩谷(いわや)観音は、足助(あすけ)地区の岩谷町にある浄土宗西山深草派・安勝院(あんしょういん)の境内に鎮座している。
道路脇の駐車スペースに車を駐めて、半分崩れかけた豪壮な石段を上ると、明るく視野がひらけて安勝院の平地の境内に出る。住職も参拝者もいない、ひっそりと静まり返った寺院だが、清掃と手入れは行われているようで、無人の境内は美しく保たれている。
岩谷観音は、石段を上った境内の左手奥にある。支石の上に、一枚岩の巨大な天井石が載っかっているところは、一見、巨石墓の一種であるドルメン(支石墓)のように見えるが、複雑な岩の重なり具合を見ると、これは岩場が崩れてできた、極めて珍しい自然の造形物のように思われる。岩谷観音をつくっている岩石は、マグマが地下深くでゆっくりと冷え固まった花崗岩(かこうがん)で、豊田市域に最も多い岩石とされている。
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天井石の大きさは不明だが、ひと目見て、苔むした岩の巨大さに圧倒される。目測で幅10数m、高さは3mを超えるだろう。
天井石の下には、岩が重なり合うことで生まれた3つの岩窟があり、左から「岩谷観音」「千手観音」「稲荷社」が祀られている。岩谷観音の岩窟がもっとも大きく、岩窟の内部には観音堂がすっぽりと収まり、観音堂の中には2体の観音像が秘仏として安置されている。
2体の観音像については、次のような伝承がある。
昔、この岩穴に悪い鬼が住んでおり、たびたび郷へ出て村人を苦しめていた。その話を聞かれた聖徳太子が「聖観世音菩薩」を謹呈され、後に、僧・行基が来られて「十一面観世音像」を刻み、授けられた。それ以来、観音像の法力によって、鬼は出てこなくなったと伝えられている。
古代において、人里離れた山奥や薄暗い洞窟は「異界」との境界と考えられていた。鬼は疫病や災害、盗賊などを擬人化した存在であり、巨大な洞窟や岩屋はそうした鬼の棲み家として恐れられていた。
石窟に鬼が住むという伝承は日本各地に存在する。本サイトにも「安達ヶ原・観世寺」の鬼婆伝説と「鬼の差し上げ岩」を紹介している。
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中央の岩窟には、「千手千眼観世音菩薩」を安置した小堂があり、その右隣の岩窟前に赤い鳥居が2つ並び、岩窟内に「お稲荷さま」の祠が置かれている。
当寺のように、観音様(仏教の菩薩)とお稲荷様(神道の神様)が並んで祀られている光景に、多少の違和感を覚えるが、日本では奈良時代に始まったとされる「神仏習合」により、神社の中に寺院が、お寺の中に神社が、あたりまえのように祀られていた時代があった。
明治元年(1868)、維新政府より「王政復古」実現のための「神仏分離令」が発令される。これにより神仏の混淆(こんこう)は禁止され、神と仏、神社と寺院をはっきり区別されることになった。
岩谷観音の石窟に、いつごろ稲荷社が祀られたのかは不明だが、神仏習合時代の名残りを留めた姿とも言えるだろう。
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2025年12月7日 撮影
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「千手千眼観世音菩薩」を安置した小堂

一対の狛狐(こまぎつね)と稲荷社の祠。 祭神の「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」は
穀物・農耕の神とされ、広く民衆の信仰を集める。
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