三河湾に面する蒲郡(がまごおり)市の南西に鎮座する岩上(いわがみ)神社。創建年代は明らかではないが、平安時代に編纂された『参河國(みかわのくに)神名帳』に「宝飯郡(ほいぐん、かつて愛知県(三河国)にあった郡) 従五位上 石上天神」の記載があり、これが当社のことと推定されている。
明治9年(1876)に大己貴命(おおなむちのみこと)を祭神として村社に列格。明治33年に猿田彦命(さるたひこのみこと)を祀る大宝殿社が合祀された。現在この二柱が祭神として祀られているが、当社には、このほかに「岩神様」と呼ばれる巨大な磐座がご神体として祀られている。
社殿の左側、背後に広がる社叢のふちとなる石垣の上に、極太の注連縄を巻かれた高さ約5mの巨石「岩神様」がそびえ立っている。真下から見上げるその姿は、ご神体としての圧倒的な存在感を放っている。
はるか古代においては、自然物である岩や樹木そのものに神が宿ると信じる、素朴で自発的な信仰形態が本来であった。大己貴命や猿田彦命など、日本神話に登場する神々が祀られるのは、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)で神々の物語が編纂された以降のことである。
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奇岩とも言える岩神様の特徴は、ダルマのようなぽってりとした扁球形の頂部から、くちびる状に分かれた2つの突起が、ニョキと飛び出しているところにある。
この珍しい形状について、幕末・明治の国学者・羽田野栄木(はたの さかき)は、著書『三河国古蹟考』の中で「社の後に大なる岩石あり 此を神体とすと云り、其石たてに三間許(さんげんばかり)さしわたし三間許宝珠形(ほうじゅがた)に似たり」と記している。 【参考ホームページ:「石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究/岩上神社の岩神」】
ここでの「三間」は、尺貫法に基づく長さでメートル法に換算すると約5.4mに相当する。また、宝珠形は本来、今にも開こうとしているハスのつぼみを表わす宗教的なシンボルとされ、五重塔や石灯籠の最上部、橋の欄干や神社、寺院の階段の手すりなどで頻繁に目にすることができる。
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たしかに岩神様の特異な形状は、宝珠形に似ているが、一方で、岩神様は古くから男性器の形をした「陽石(男根を模した石棒など)」として祀られていたようだ。境内の案内板にも、岩神様は「その形から生殖の神として祈り続けられ」たとあり、恋愛成就、夫婦和合、安産と子育てに御利益があると記されている。
縄文時代にまでさかのぼる陽石崇拝は、生殖→生長の祈願を目的とする最も古いと思われる民間信仰の一つであった。後の時代になって、塞の神や道祖神などと習合されるが、近代に入り、国家神道を中心に据える政策が推進されると、生殖器崇拝は「淫祠邪教」であるとみなされ、表向きには排除されるという歴史的経緯がある。
幕末・明治の国学者・羽田野栄木は、岩神様を宝珠形と見立てることで、神聖視するにふさわしいご神体を守ろうとしたのではないだろうか。
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2025年12月7日 撮影
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伊勢神宮の宇治橋の擬宝珠。
邪気を払う魔除けの意味合いで、
格式高い橋や寺社に用いられている。
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