駐車場から約400m。環状列石まで夏草に覆われた道を歩いていく。


遺跡全体が草に隠れて配石の姿が判然としない。たぶん1号と5号墓。


現在確認されている墳墓は13基だが、元は30基くらいあったと考えられている。
 音江(おとえ)環状列石(別称:音江環状石籬)は、北海道中西部を流れる石狩川の中流域、深川市音江町の稲見山と呼ばれる丘陵(標高113〜117m)の突端部にある。まっすぐに伸びる国道12号線沿いに、大きな看板が立てられているので道に迷うことはない。

 駐車場に車を駐めて、ここから上り坂と階段の山道を約400m歩く。日本の環状列石は、集落を望める小山に設定されることが多い。当遺跡も、送電塔の立つ小高い丘上の平坦面にある。晴れ上がったピーカンの夏空と、道を覆い隠すように生い茂る雑草……。噴き出した汗をタオルで拭いながら、休み休みゆっくりと上っていく。

 案の定、夏に訪れたのが失敗だった。現在13基残っているという遺構はすっかり夏草に覆われており、遺跡の全貌がつかめない。お粗末な写真と自覚しつつ掲載する。

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 日本の環状列石(いわゆるストーンサークル)は、石を環状に配置した遺跡のことで、縄文時代を象徴する巨石記念物の一つとされている。それにしても多くの石を採取、運搬、配置するのは大変な労力だったろう。造られた目的は、「墓地」と「祭祀場」の2つの機能が包含された、死者と生者が関わる儀礼空間であったと考えられている。

 当遺跡の存在は、明治期中頃から知られていた。大正6年(1917)に北海道庁技師らによって、遺跡の測量、撮影等の調査が行われ、その時点で大小の山石が円形または楕円形に囲まれた2〜5mの小型の環状列石が15基確認されている。

 本格的な発掘調査は、東京大学考古学研究室の駒井和愛(こまい かずちか)教授らによって行われた。
 駒井らは、昭和22・23年(1947・48)に網走市のモヨロ貝塚を発掘し、同24年(1949)に小樽市の忍路(おしょろ)環状列石、地鎮山(じちんやま)環状列石、同25〜28年(1950〜53)に余市町の西崎山環状列石、同26年(1951)にニセコ町の北栄・滝台環状列石の調査を経て、同27〜31年(1952〜56)、4回にわたり音江環状列石の調査を行っている。

 駒井の音江調査では、北側と南側の遺跡から13基の環状列石が確認されている。このうち北側の第2号・3号・5号・7号・9号・10号を発掘し、いずれの環状列石の下部からも紅殻(ベンガラ)が撒かれた墓坑とみられる土坑が検出されており、その底面からは朱漆塗りの弓やヒスイの飾玉、石鏃などが出土している。

 南側の11号、12号、13号の3基の遺跡は、昭和31年に確認されたもので、東西、南北の長さ約30mの人為的に積まれたとみられる土手に囲まれていて、ここには環状の配石は見られない。第11号の墓坑では、ヒスイの玉23点・石鏃13点・朱漆の弓1点が出土しており、3基とも副葬品とみられるヒスイの玉などの遺物が見つかっている。発掘されたこれらの遺物から、当遺跡は今から約3500年前の縄文時代後期のものと推定されている。

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 日本の環状列石の分布は、おおむね日本列島の北半部、とくに東北地方北部から北海道に集中し、発見されている。
 音江環状列石(北緯43.674)は、当地の北東15kmに位置する旭川市の神居古潭(かむいこたん)ストーンサークル(北緯43.727)とともに、国内で最北域の環状列石とされている。

 また、現在確認されている国内最古級の環状列石は、中部地方の上原(わっぱら)遺跡(長野県大町市)と阿久(あきゅう)遺跡(長野県原村)で、縄文時代前期の(約7000年前〜5500年前)の遺跡と推定されている。

 さらに、縄文時代中期(約5500〜4500年前)のものとしては、関東甲信地方の千居(せんご)遺跡(静岡富士宮市)、牛石遺跡(山梨都留市)、田端遺跡(東京都町田市)などで環状列石が見つかっている。

 世界遺産に登録されている大湯(おおゆ)環状列石(秋田県鹿角市)や、小牧野(こまきの)遺跡(青森県青森市)、鷲ノ木(わしのき)遺跡(北海道森町)、伊勢堂岱(いせどうたい)遺跡(秋田県北秋田市)など、北海道・北東北を代表する大型の環状列石は、縄文時代後期前葉(約4000年前)のものが多い。

 こうした遺跡の分布状況を鑑みると、縄文時代前期に出現した中部山岳地帯の環状列石が、縄文時代中期に関東甲信地方に伝播して、縄文時代後期に東北地方北部に至り、津軽海峡を渡って北海道まで北上し、国内最北域の音江まで辿り着いたと考えられる。

 もちろん、環状列石の配石や組石、立石の状態、出土物などを考慮すれば、阿久遺跡の環状集石と大湯の大規模な環状列石を、安易に結びつけるのは短絡的と思うが、当遺跡が国内最北域にある貴重な遺跡と考えれば、「環状列石北上説」もありうるのではないだろうか。

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2026年7月4日 撮影

「北海道文化財百選 音江の環状石籬」。
昭和3年(1928)に北海道指定史跡、
昭和31年(1956)に国の史跡に指定されている。


音江環状列石 史跡略図(入口のある下が北側)。

案内板。