網走の朝は早い。この日の日の出は3時44分(東京は4時30分)だった。網走川の河口右岸にある「道の駅 流氷街道網走」で車中泊し、網走港西防波堤の先端部にそびえる「帽子岩」の日の出を待つ。あらかじめ「日の出・日の入り時刻方角マップ」で日の昇る方角は調べておいた。
山高帽のような形状から、今では「帽子岩」と呼ばれているが、明治・大正時代には「カムイワタラ」と呼ばれていた。「カムイ」はアイヌ語で「神さま」のこと、「ワタラ」は「岩」という意味。漢字では「渡良岩(わたらいわ)」と表記されている。
古い話になるが、私が帽子岩を知ったのは、2012年10月に放映されたNHKのドキュメンタリー「永山則夫 100時間の告白〜封印された精神鑑定の真実〜」を観たときだった。
この中で、昭和24年(1949)北海道網走市呼人(よびと)番外地で生まれた永山が、幼少期の記憶として一番先に思い出すのが、ただ一人慕っていた19歳年上のセツ姉さんにおぶられて見た「帽子岩」だったと語っている。
アイム民族から「カムイワタラ(神の岩)」として崇められた帽子岩は、幼い永山の眼になにか特別な風景として記憶され、心に残っていたのではないだろうか。冬の海を埋めつくす流氷とともに、網走のシンボルとなっている帽子岩を、いつか私も見てみたいと思っていた。
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帽子岩は、もとはオホーツク海に浮かぶ独立した小島だった。大正8年(1919)から昭和初期にかけて行われた網走港修築工事の際、西防波堤が帽子岩まで延長され、陸続きとなった。
また、この工事の際に、防波堤などに使われるコンクリート製の大形の箱をつくる「ケーソンドック」が造られた。全国に4箇所しかない珍しい構造物として、土木学会選奨の「土木遺産」に登録されている。
以前は、帽子岩まで防波堤を歩き、岩を間近に見ることができたが、防波堤からの転落・死亡事故が多発したため、現在は立入禁止区域となっている。
帽子岩の特異な形状は、約1,000万年前の火山活動によって形成されたものである。岩質は、噴出したマグマが海底の地中の割れ目に入り込み、冷えて固まった安山岩とされている。のちに海底が隆起し、海底だった地層が陸地になると、柔らかい地層がオホーツク海の強い波や風によって削りとられ、硬い安山岩だけが残り、現在の姿になったという。
帽子岩の高さについては、『日本歴史地名大系』(平凡社)・『角川日本地名大辞典』では「23m」とあり、朝日新聞【わがまち遺産】のネット記事や『奇跡の地形』監修 藤原治(洋泉社)などの観光案内書では「40m」と記されている。
さて、どちらの数値が正しいのだろう。
上から3枚目の写真を見てほしい。日の出撮影前日の夕刻、道の駅の裏側から望遠レンズ(375mm相当)で帽子岩を眺めていると、立入禁止の堤防を歩く短パン姿の若い男2名を目撃した。男たちが岩の側まで歩き、立ち止まっているのがこの写真だ。
不法侵入の良否はともかくとして、男の身長を170cmと仮定すると、岩はその13.5倍あり、帽子岩の高さは22.95mと推算される。23mと40mでは「23m」が正解だろう。マナー違反の観光客だが、思わぬところで役に立ってくれた。
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「北海道」の名付け親として知られる松浦武四郎(1818〜1888年)は、安政5年(1858)に6回目となる蝦夷地(えぞち、明治以前の北海道・樺太・千島の総称)調査を行い、釧路、阿寒、美幌(びほろ)を経由して網走に入り、網走川河口周辺を調査している。
当時の蝦夷地は、ほぼ全域に原生林が生い茂る未開の大地だった。面積は東北6県に新潟県を加えた広さとなる。武四郎はアイヌの協力を得て、地形、行程、距離を調べ、歴史、風俗、伝承などの聞き取りを行い、およそ150冊の調査記録書を遺している。
松浦武四郎著の『アイヌ人物誌 近世蝦夷人物誌』(更科源蔵、吉田豊 訳 青土社)によると、「アバシリ場所」の人口は、文政5年(1822)で1,326人であったが、安政5年(1858)には、人口350人まで減ってしまったとある。この急激な人口減少は、松前藩や和人商人による非人道的な圧政によるものであった。
「場所請負制」のもとで若いアイヌは、国後島(くなしりとう)や利尻島(りしりとう)の漁場に連行され過酷な労働を強いられる。若い娘は、番人や和人漁夫の妾にされる。言うことを聞かぬときは、縄で縛って打ちたたき、柱にくくりつけて食物も与えない。家に残されているのは老人と子どもだけであると、当時のアイヌに対する残虐な仕打ちを詳細に記録している。
『近世蝦夷人物誌』は、時の為政者によって発行禁止となり、武四郎の死後20年余り後に発表された。
松浦武四郎は単なる探検家ではない。アイヌ語の地名・文化・信仰・自然環境を残すとともに、アイヌ民族の苦境を後世に伝える記録者でもあった。
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2026年7月3日 撮影
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道の駅「流氷街道網走」。 裏側にまわると帽子岩を望むことができる。
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