『王様の宝物』    第一話 魔法使いの恋  昔々ある国に、偉大な魔法使いがおりました。  魔法使いはもう何百年も生きています。あらゆる知恵を修め、魔法の技を持ち、浮き世に生きる者どもとは、別の時間の尺度をもって暮らしておりました。  何百年も生きているからといって、老人という訳でもありません。いつまでも魔法の力で若々しい姿を保っておりました。  魔法使いはもう長いこと、人を愛したこともなければ哀れんだこともありません。  魔法の妨げになる感情は、長い時の経つ間に使い古され、漂白され、失われて、いつしかないものも同然になりました。  歌う鳥の声も、麗しい乙女の姿も、暖かいシチューの湯気ですら、魔法使いに笑顔をもたらす事はできないのです。  そんな魔法使いを哀れに思う人もありましたが、彼はたくさん生きることに飽きないように、わざと人間らしさを捨ててしまったのです。  こうして彼が得た力は、いつも国を救い、人々を救ってきたのでした。  ある時、その国の王様が、ほかの国との戦争に勝ち、相手の国の王女を后として連れ帰りました。  ほころびかけた睡蓮の花びらのような、生きる喜びが胸から溢れないように、ゆっくりと歩く王女でした。  王女の心は澄み切った清水、戦争はその心に泥を巻き上げて、悲しみは澱となり、絶えず水底に降り注ぎました。  国に着いた時には、王女の心は深い悲しみに病み、今にも枯れてしまいそうでした。  しかし、美しすぎた王女の心を見る事のできる者は、国にはだれ一人いません。ただ一人を除いては。  そう、ただ一人、魔法使いだけは、王女の見掛けの美しさに囚われる事なく、その痛々しい心を見やる事ができたのでした。  そして、魔法使いは、王女の哀し過ぎる悲しみに、捕われてしまいました。  故郷を失い、たった一人で憎い敵国で暮らさなくてはならなくなった少女。そして、この国の誰をも、憎みぬく事のできない少女。  ただ悲しみ、生きる事も死ぬ事もできず、心の死ぬのを待つ事しかできなくなった彼女を、救ってやりたい。  己の感情すら失ったはずの魔法使いは、王女の前に立つと、飽きるほどに長い命も、気の遠くなるような鍛練の果てに得た魔法の力も、まるで役にたたないことを認めねばなりませんでした。  王女の心を暖めるには、真の心が、真の言葉が必要でした。悲しみをともに背負い、立ち向かうことを教え、生きる喜びを、その心に取り戻してやるのです。  魔法使いは、これを叶えるための魔法を探しました。しかし、感情を忘れた魔法使いに、感情を操る魔法を使う事はできません。  そこで魔法使いは、偉大なる魔女のもとを訪ねました。  魔女は、魔法使いのような力はありませんが、心に関する魔法の知識が豊富なのです。  魔女は魔法使いに言いました。 「貴方様のお心を、この世に具現して差し上げましょう。それは貴方様の心の結晶。魔法の力を使うのに最も必要なもの、つまり“意思”でございます」  魔法使いは問いました。 「なぜそのようなものを作るのだ。吾は王女の事をそなたに頼んでおるのに」  魔女は答えます。 「王女の冷えた心を、心の火にあてて暖める、簡単な仕組みでございます。その火を貴方様はお持ちでいらっしゃる」  魔法使いは、眉間にしわを寄せます。 「つまり、それがあれば王女は救われるのだな」 「それは、あててやる火を作る貴方様のお心次第」  魔法使いはうなずきました。 「ならば答えは簡単だ。吾の心は決まっておるのだから」  魔女が作った魔法使いの心の結晶は、大きく赤いルビーとなりました。早速魔法使いはこれを使い魔に託して、王女に届けさせました。  一人寂しい王女の部屋に、使い魔が訪ねました。 「王女様、これを届けにおいらはきたのさ、さあ受け取っておくれ。これをとれば寂しくないよ、きっと心が温まる」  王女様は、愛らしく文句を歌いながらやってきた使い魔にクスリと笑顔を向けました。 「まあありがとう」  石の中でちらちらと燃える暖かい光に、心細い思いをしていた王女の心は慰められました。  遠い異国に連れてこられた王女は、自分の国を滅ぼした王様より、偉大な魔法使いを愛するようになりました。  しかし、王女は王様の子供を孕んでいました。  月日が経ち、国に一人の愛らしい王子が生まれました。初めての男の子に王様は大喜びして、王女に正妃の地位を与えます。そして息子に祝福を与えるために偉大な魔法使いを呼びました。 「偉大なる魔法使いよ、わしと后の子に祝福を与えたまえ」  魔法使いは答えました。 「祝福あれ。王子は必ずや、天も地も統べる偉大な王になるであろう。吾の魔法の力の全てを、偉大なるその智恵の全てを、偉大なる王の子にささげよう」  魔法使いはまだ赤ん坊の王子の額に、魔法の聖なる印を儀式用のナイフで刻み付けました。そして、血の染み出した王子の額に、自分の血をふりかけたのです。  王様は、魔法使いの始めたこの異様な儀式に驚きました。 「魔法使いよ、何をしている!」  これに魔法使いは答えず、王様に王子を差し出し自分は身を引きました。  するとどうでしょう。魔法使いはその偉大さをなくしてただの若者となり、かわりに王子は偉大で高貴な力を身に付けたのです。  魔法使いの高貴なささげものでした。王子に魔法使いは魔力も智恵も長命までもささげたのですから。王は驚き、国中は喜び、三日三晩の宴が始まりました。  さて、力を失いただの若者となった魔法使い…いや、元魔法使いは、祭りの騒ぎに紛れて王妃に会いに行きました。  王妃は産後の肥立ちが悪く、伏せっていたので、祭りにも参加していなかったのです。お付きの侍女すら祭りに興じて、病に不安な王妃はたった一人なのでした。 「愛しい人よ、吾はただの若者となり、卑しい姿なれどもそなたの姿を求めてここにやってきた。そなたの愛はもう、吾から離れようか」  子を産んだ喜びも、王妃の心を晴らせませんでしたが、元魔法使いの顔を見た王妃の頬には、みるみる赤みが戻ります。 「いいえ、あなたはわたしにとって偉大なお方。寂しいわたしに、愛を与えて下さいました」  力を失っても、王妃の心が変わらないことを知った元魔法使いは、とても喜びました。そして儀式の前につくっておいた、滋養のつく薬を王妃に飲ませました。 「良く効く薬だ、もう歩けるだろう。今宵国中は祭りの喧騒に包まれている。今のうちに吾とこの国をでよう。ともに二人、どこぞで幸せに暮らそうぞ」  王妃は考えました。 「たとえ愛していない人の子供とはいえ、わたしの愛する王子。残していくのはしのびなくて…」  元魔法使いは王妃の小さな両の手を握りました。 「吾の偉大な力の全て、そなたと王の息子にささげもうした。偉大なる力と智恵を持つ王子に、ほかに何が必要だろうか。しかし、吾にはそなたが必要だ」  王女は迷いを振り払うかのように、ゆっくりと、しかし確実にうなずきました。 「偉大なあなたの力を持つのなら、わたしの子供はこの国の立派な王となりましょう。心配は何もありません。愛するお方、どうかわたしをこの城から連れ出して下さい」  その夜、祭りでにぎわう城から、若者と美しい娘が固く手をつなぎ合って旅立ったのでした。  祭りが終り、美しい王妃を失った王様はひどく悲しみました。でも王様にはまだたくさんのお后たちと、王妃の忘れ形見の王子がいました。  王様はさすがに王様だけあって、駈け落ちした王妃への恨みを息子にかぶせたりはしませんでした。しかし、王子には一つ問題があったのです。    第二話 石牢の王子  王子はすくすくと育ち、王妃に似て愛らしく賢い子供になりましたが、まだ子供の王子は偉大なる魔法の力を全く使いこなせず、偉大なる智恵の意味も全く分からなかったのです。  王子の力は時々暴走して、侍女を猿に変えたり、剣をラッパに変えたりしてしまうのでした。  王子の手が触れたものは、いつ人間をやめさせられるか分かりません。  王子の力を、王様はもとより城中の皆が恐れました。  国の別の魔法使いが、自分がつくった特別な石の牢屋なら、王子の力を押さえることができると進言しました。そこで王様は、魔法使いにつくらせた石の牢屋に王子を閉じ込めたのです。  愛らしい王子は、石の牢屋でたった一人で暮らしました。彼は大変孤独でした。あまりの寂しさから、牢屋番を小鳥の姿に変え、友達にする始末でした。  幾つの夜を、頬をぬらして星を眺め、幾つの昼を、差し込む光のくゆれる影にだれかが訪ねてくることを期待したのか。  王子の力を恐れて、石の牢屋には牢屋番ですら寄り付かなくなり、王子は石の隙間から生えた苔を食べ物や飲み物に変えて、一人でなんとか生き抜きました。  王子は何一つ持たない子供でした。食べ物も与えられず、愛も与えられず、友も無く、あるのは孤独と悲しみと偉大なる魔力と智恵だけ。  彼は与えられることに慣れていない子供になりました。彼は奪い取ることを知らない子供になりました。  王様は王子を救うため、あらゆる魔法使いに助けを求めましたが、かつての偉大な魔法使いにかなうものはこの世のどこにもおりはせず、石の牢屋をつくった魔法使いでも、王子を封じるのがやっとなのです。  初めての男の子、それに平気で裏切る女より血の繋がった子供達に愛を注ぐ傾向のある王様は、王子を深く愛していたのです。  だから大切な息子がたった一人でいることに、本当は深く心を痛めているのでした。  やがて、愛らしい王子は美しい若者に育ちました。  王様は年を取り、王の座を譲る者を決めようと思いました。しかしいざ跡継ぎを探そうにも、生まれた男の子は後にも先にもあの王子一人だけ。王位は直系の男子に継がれるものと決まっています。  王子を人前にだすなんて、しかも国の政をさせるなんて、できるわけがありません。  仕方なく王様は王子を結婚させてその息子を王様にしようと決めました。  城下町には王様の御触れが出て、こう書かれました。 『もしこの国の、恐ろしい魔法の力を持つ王子の子供を産むことができた娘には、好きなだけの宝を与える』  しかしこの国の若い娘はもとより、子供から老婆まで、この御触れに挑戦しようとする女は一人もいないのでした。  話し変わり、この国の城下町に、一人の娘がおりました。娘は大変醜く、ただでさえ醜い顔には大きな傷跡があり、恐ろしいまでの風貌です。心も大変醜くて、たとえ美人に生まれついていても、彼女の心が美しくなるなんてことは全く無いような、大変にひねくれた娘でした。生まれついての悪魔としかいいようがありません。  その娘は若いくせに裏の世界にも平気で出入りするやくざ者。裏の世界ではとても有名で、男として扱われることもしばしばでした。  無茶な賭も刃傷沙汰もへっちゃらで、大変な美少年好きという有様。  小金を稼いでは美少年の男娼を買っていたのですが、醜い顔と心から、この町のどの男娼も相手にしてくれなくなっていました。  ふだんなら王様のお触れ書きなんて見た試しもないのですが、娘はよりによってお触れ書きにあった王子の顔をいたく気にいってしまったのです。  娘はもちろん、王子の恐ろしい魔法の力の噂を知っていました。  しかし娘はそんな事はヘでもないと、意気揚々とお城にやってきたのです。  王様も、さて大変な娘がやってきてしまったと思いましたが、結局きたのはこの娘ひとりだけ。仕方なく、娘に石の牢屋の鍵を渡したのでした。  石の牢屋にただ一人、来る人もなく孤独に過ごしていた王子のもとに、娘がやってきました。  王子は大喜びしました。物心ついてから何年も人に会っていなかったので、娘の容姿や心の醜さなど気にも留めません。  でも、王子は自分の力が人々を恐れさせていることを知っていたので、やってきた娘をいぶかしみました。 「君はどうしてここにやってきた。僕が恐ろしくないのか?」  娘は答えました。 「あたいはあんたなんか怖くもない。あたいがここにきたのは、美しいあんたといちゃつくためさ」 「いちゃつくだと?」  王子は悲鳴を上げました。娘はてっきり、自分と交わるのがいやなのかと思ったのですが、どうも様子が違います。 「駄目だ駄目だそんな事。もし君の姿が、猿や豚に変わったらどうする」 「猿や豚の世界で楽しくやるよ」 「もしスプーンやラッパになってしまったら?」 「そうしたらあんたが使っておくれ。美しい男の子がいればあたいは幸せ」  王子がまたやかましい口を開きかけたので、娘はピシャリと言い放ちます。 「お黙り、このすっとこどっこい。あたいはあんたの力なんてどうだっていいのさ。姿が変わったら変わったでそれもいい。変わらずにあんたといちゃつければもっといい。もしあんたの子供が産めれば、あたいの一生は安泰だ。何か文句があるかい?」  娘の早口に圧倒された王子は、心なしか顔をほんのり赤らめて、ぽつりと言いました。 「でも僕は、物心付いたときから石の牢屋にいて、他の人としゃべったのも君が初めて。いちゃつくって言ったって、僕じゃきっと君を楽しませてあげられないよ」  王子は、たとえそれがなんであっても、他人と触れ合えることが嬉しかったのです。だからこそ、ようやく訪ねてきてくれたこの客人に失望されることが、何より怖いのでした。  王子の心を知ってか知らずか、娘はニヤリと笑います。 「あたいに任せておきな。初めてでも上手くやってやる。あんたは何も気にしないで、楽にしておいでよ」  そう言って、王子の額の聖なる印にくちづけました。  王子はようやく、娘が本当に自分と一緒にいても平気なのだと分かりました。なぜなら額の印は王子の力の源。王子の力を恐れるものならば、きっと触れはしないでしょうから。  王子と娘は石の牢屋で一夜を共にしましたが、娘の姿が変わることはありませんでした。  最初の一夜で王子をすっかり気にいった娘は、それから毎日王子のもとに通うようになりました。他の人を知らない王子も、刷り込みされたのか、顔も心も醜いこの娘をすっかり気に入って、娘がやってくるのを毎日楽しみに待つようになりました。  ある日、娘は尋ねました。 「しかしあんたはおかしな奴だ。人と初めて話したのに、やけに物知りじゃないか」  王子は答えます。 「魔法使いが僕にくれたのは、物を変える力だけじゃない。偉大な智恵も与えられた。僕は世の中のあらゆる知識に精通しているのさ」  娘は感心しました。王子は娘に力が及ぶことを恐れて、物変えの魔法は使ってくれないので、なんとかその智恵とやらを利用できないか考えました。でもずるがしこい娘よりも王子のほうがさらに頭が良かったので、こんな世にすれた娘ですら純真な王子を欺くことはできないのです。  二人の様子を聞き知った王様は、もしかしたら王子は力を使いこなせるようになったのかもしれないと思いました。そこで早速、娘が来ない日を見計らって、注意深く王子を謁見の間に呼びました。  王子は美しく賢く成長し、性格も純真で優しく思いやりにあふれていました。王様は王子の恐ろしい力も忘れて、王子を閉じ込めていたことや醜い娘をあてがったことをひどく後悔しました。 「王子よ、久しいな。わしがそなたの父だ。長く惨い仕打ち、すまなく思っている」 「いいのです、父上。僕の力は恐ろしい力。父上が危なく思うのも無理ないことです」 「うむ。それでな、もしやそなた、力を使いこなせるようになったのではと思い、今日はここによんだのじゃ」  王子は目をパチクリとしばたきました。 「考えてもみませんでした。では試してみましょう」  そう言って、王子は床の絨毯にふれてみましたが何も起こりません。 「おお、平気なようだな。では、この土くれを、黄金に変えることはできるかな?」  盆に盛られた土くれに、王子の指先が触れるとそれは、砂金の山になりました。財務大臣は思わず、凄い、と小さい悲鳴を上げてしまいました。 「では、猿になった侍女を戻してやれるか?」  王子が幼い時に猿に変えられた侍女が連れてこられました。  王子が元に戻れ、と思いながら猿に触れると、猿は元の侍女に戻ったのです。謁見の間に、その様子を見守っていた全ての人々の間から感嘆のため息が幾つも漏れました。 「そなたはどうやら完全に力を使いこなすようになったようじゃな」  王様は嬉しくて泣きましたが、王子もまた泣いていました。 「はい。これもすべてあの娘のお陰です」  王様はいいました。 「そなたはもはや立派な跡継ぎ、わしの跡を継げば、そなたに力を与えた魔法使いの予言通り、立派な王となるじゃろう。あの醜い娘はもはや用無し、美しいそなたならどの国の王女も選びほうだいだな」  王子は驚きました。 「とんでもない!父上、僕の妻はあの娘だけです。あの娘が僕に力を与え、愛を与えてくれたのです。僕は彼女を妻にします」  王様は娘と面接したので、あの娘がいかに意地汚く、淫乱で、危険と混乱を愛し、裏切りをものともしない心の醜い娘なのか知っていました。あの娘が、愛など小馬鹿にして王子をちっとも愛していないことも、痛いほどに良く分かっていたのです。  少し見る目のある者なら一度見ただけで分かるほど、彼女の本質は疑いようもなく醜いのでした。  そんな娘、物変えの恐ろしい怪物への捨て駒ならともかく、たった一人の大切な王子の恋人にさせるわけにはいきません。  だからなんとか王子を説得しようとしましたが、王子の決心は堅く、曲げられそうもありませんでした。 「仕方ない。あの娘を呼ぶのだ」    第三話 自由な娘  娘はやってくると、王子が昨日迄とはうってかわって、お城で厚遇されているのに驚きました。  王様は娘に言いました。 「娘よ、王子はそなたのお陰で力を使いこなすようになり、この国の王位を継承させることとなった。そなたはもう、王子の子を無理に生まなくても良いのだ」  王様はそれとなく娘にもう用無しだ、と言おうとしたのですが、王子はこれぞ男の花道と、張り切って王様の言葉を遮りました。 「恋人よ、僕は晴れて自由の身、あなたのお陰で卑しい捕らわれ人から高貴な者になることができました。これであなたに言う事ができます。どうか僕の妻になって下さい」  王様はあちゃーと思いました。娘はにやぁりと、なにか企むような笑みを浮かべます。 「あら嬉しや、こんな醜いあたいでも、あんたは嫁にもらってくれるのかい?ならあたいは今までの生活を全部捨てて、あんたの妻になってやる」  その返事を聞いて、王子は大喜び。王様はなんとか王子を押しとどめようと、こんな事を言い出しました。 「待て待て王子、その娘は町育ち、城の社交界で生きるにはなにかと辛かろう。わしが最高の家庭教師を用意して、その娘が立派な淑女になったなら、そなたと娘の立派な結婚式を催してやる」  王様には考えがありました。城の窮屈な生活に、奔放な娘がなじむわけがありません。だから、早まった行為を押しとどめて少し考える期間を与えれば、根は真面目な王子のこと、きっと娘のぼろが鼻についてくるだろうと。  そんな考えとは疑いもしない王子は、思いやりにみちた父の言葉に従い、娘に共に頑張ろうとうなずいて見せるのでした。  そうして娘の新しい生活は始まったのですが、それはひどいものでした。  王様がせっかく用意した最高の家庭教師にひどいいたずら当たり前、夜には湯水のように金を使って、町から呼び寄せた高級男娼たちと目を覆いたくなるような乱痴気騒ぎ。  侍女たちが懸命になって娘を磨き上げても、顔は醜く傷もあり、おまけにひどいそばかすと色黒の肌、柔らかい絹や豪華な刺繍の衣装も、ちっとも似合いません。  そんな娘も王子の前ではおとなしく猫をかぶっていましたが、娘の態度が嘘であることが王子には見えてしまうのです。それに王子の耳にも娘の素行は聞こえていました。  王様の作戦は正解だったようです。とうとう王子は王様の御前で、娘にいいにくそうに切り出しました。 「君に窮屈な城の生活をさせようとしたのは僕の思い上がりだった。君を縛れるものはなにもない。こうなったら、君と結婚したら町で暮らそうと思うのだがどうだろう」  …王様の作戦は、王子の強い意志の前にはかなわなかったようです。 「王子、よく考え直すのだ、そんなことをして何になろう」  王様の言葉も、王子の耳には入りません。しかし、王子の愛のこもった言葉に、娘は思いもよらない返事をしました。 「冗談じゃない。あたいは楽しみのためにあんたと寝たんだ。金儲けのためにあんたと寝たんだ。町であんたと暮らすなんて冗談じゃない。余計なことは気にせずに、あんたはあたいに金をよこせばいいのさ」 「そ、そんな」  娘を説得しようとする王子を、王様は慌てて止めました。 「娘がああ言っているものを、無理に嫁にするわけにはいくまい。娘よ、好きなだけの礼を取らせるから、そちはもう帰れ」  すると娘は挨拶もせずに、金だけ受け取ってさっさと帰ってしまうのでした。  王子は言いました。 「父上あんまりです。彼女は気難しいのです、あんな事を言ったら、もう僕に会いにきてくれないかも知れません」  そう言ってはらはらと涙を零すのでした。王様は困りはてて言いました。 「そなたは本当に美しい女を知らぬからあんな娘に執着するのだ。本当に美しい娘を抱けば、あの娘が屑だという事が分かるだろう」  王子は返事をしませんでした。落ち込んだ王子は娘を追う気力もなく、自分の寝室に帰りました。    第四話 王子のわがまま  石の牢屋とは打って変わった豪華な天蓋付きのベッドは、城暮らしに慣れてきた王子の慣れないものの一つです。王子はなんだかそわそわと落ち着きません。 「どうしてこんなことになってしまったのだろう」  ようやく父と話すことができ、王子としての暮らしもよみがえったのに、王子の心は石の牢屋に居た頃のように寂しいのでした。  娘と出会ってからは毎日が楽しかったというのに。  真夜中、王子は人の気配で目を覚ましました。 「だれだ?」  王子が尋ねると、一人の美しい娘が部屋に入り込みました。宮廷の踊り子の一人です。顔を真っ赤にしてベッドの脇に近付いてきた踊り子を見て、王子はこれが王様の差し金だと気付きました。  王子は自分の愛する人はあの娘だ、と分かっていましたが、真っ赤な唇と熱い膚を持つ、炎でできた花のようなその娘に、好奇心が湧かないでもありません。  昼の娘の言葉で傷ついていた王子は、優しく愛らしい踊り子につい気を許し、その夜、試しにと踊り子と共にベッドに入ったのでした。そして娘に教わったように踊り子と愛を交わしてみました。  刹那的な快楽と、そして娘のものとは違う踊り子の愛のささやきが、王子に思いもよらない寂しさを引き起こしました。  わき起こるのは後悔の気持ちだけ。王子の寂しさちっともは癒されません。王子はそれがなんなのか、一生懸命考えようとしました。  次の日、いたたまれない王子は城を抜け出して、町の娘に会いに行きました。  娘は娼館で、美少年を買っている最中でした。なんせ王様からたっぷりとお金をもらったので、どんな子でも買い放題なのです。  王子は嫉妬に狂いそうになりましたが、昨晩の自分を思い出したので、ぐっとこらえて娘が出てくるのを待ちました。 「おや、王子。こんな所で何をしておいで?」  出てきた娘の脳天気な様子に、王子は少し悲しくなりました。でも、それ以上に見慣れた娘の顔を見ると、心が安らぐのでした。 「ついこの間まではあんなに僕と愛を交わし合っていたのに、もう僕のことは忘れてしまったかい」  王子の情けない声に、娘は王子以外の者が見たらゾッとするような卑しいにやけ顔で言いました。 「もちろん覚えているさ。あんたの腕も、あんたの腹も、あんたの足も、あたいの体がちゃんと覚えてる。あたいとまた寝たくなったのかい?」  娘のあざけるような口調にも、王子は真面目な表情を崩さずにいいました。 「僕も覚えている。君の唇も、君の言葉も、僕を孤独にしたことはなかった。心から、君を愛している。僕をあそこで一人にしないでくれ」  王子は娘の体をきつく抱き締めました。娘は物分かりの悪い子供を諭すように、優しくささやきました。 「あたいを手に入れるなんて簡単さ。好きなだけの富と、古今東西の美少年をはべらさせてくれるなら、あたいはいつまでもあんたの側にいるよ」  王子は身を放し、首をふります。 「僕を騙すことはできない。君は、そんな物でつなぎ留められる人じゃない」 「なんだいケチ!駄目なら駄目って言やぁいいのに。もう即金以外じゃ取引しないよ、あたいはもっといい思いがしたいんだ」  もう娘は何を言っても聞きませんでした。仕方なく王子は城に帰りました。  部屋で一人で考えこみました。娘はなぜ自分を受け入れてくれないのか。なぜ娘以外のものは自分に安らぎを与えてくれないのか。  答えは見つかりませんでした。  それでも時は容赦なく過ぎ、王子に立派な跡継ぎになれとささやくのです。  王子は娘の仕打ちを、自分を立派な王子にしようとする娘の与えた試練なのだと思い込むように、気持ちを持って行きました。そうでなくては、厳しく難しく常に孤独が付きまとう支配階級の暮らしにはついていけないからです。 「僕は立派な王子となり、王となろう。国が富めば、彼女の住む場所も富み、きっと喜んでくれるに違いない」  吹っ切った王子は、段々とその伸びやかで快活な本性を人前にさらすようになりました。あの娘と深くかかわり過ぎたせいか、王様の遺伝か、政治を行ううち狡猾さや取引の仕方も覚えていきました。  王子が少年から大人になり、一人でも執政できるようになると、王様は他国との戦争に集中していきました。もともと戦争好きな王様で、政治に向かない人なのです。  優しい父がいなくなると、王子はますます愛とはかけ離れた生活を送らなければなりませんでした。年若い王子は家臣になめられないよう、懸命に政治に打ち込みました。  でも彼がどんなに狡猾になろうと、人に与える堂々とした美しさは、見るものの目を引き、国民は誰もが彼を愛しました。  王子は、賢く、悪賢く、強く、正義に忠実で、正しい目的のためには悪を犯すことも恐れない人でした。物変えの魔法と偉大な智恵と、危険な魅力を持つ人になりました。  孤独で困難な人生が、彼を磨いたのです。彼を見ただれもが、その魅力の虜となるのでした。  それでも王子は寂しいままでした。今でも時々娘に会いに行っては、こっぴどくフられるのを繰り返しています。  ある夜一夜だけ、娘の気まぐれで約束を取り付けた日、娘は王子に尋ねました。 「どうして醜いあたいにそんなに執着するのさ。あんたはあたいより頭がいい。あたいがどうにかしてあんたを利用しようとしてきたことは知ってるだろう?」  王子は答えました。 「問うならば答えよう。今では神とも恐れられ、崇められる私だが、そなたがいなければ私は今も石の牢屋にいた。そなたが私を人にしたのだ。今では私も自分の偉大さを知っている。だが、私より先に私を見つけたそなたが一番に賢い」 「賢い娘ならほかにもいるさ」 「そなたは私を恐れなかった。私を初めて愛したのはそなただ」 「初めてがそんなに偉いってのかい?怖い物知らずはほかにもいるよ」  王子はたまらず、娘を抱き締めました。 「だが、私は今でも石の牢屋にいたときと同じくらい寂しいのだ」  その寂しさは、支配者の憂いであり、母親に愛されなかった子供特有の渇きでもありました。  娘は王子の腕の中で、されるがままでした。王子は続けます。 「私も時には寂しさに身が凍える。私がそれを忘れるのは、そなたといるときだけだ」  娘は笑いました。 「あっはっは。まるで子供だね。でもあたいはあんたの湯たんぽにはなれないよ。あんたがあたいに感じているのは錯覚さ、その寂しさは、決して埋まることはない」  そして朝、娘は別れ際に言いました。 「いくら偉大なあんたでも、手に入らないものが一つくらいあるほうがいいよ」  彼の手からスルリと抜け出した世にも醜い娘は、飄々と町に帰っていってしまうのでした。  王子は嘆きました。 「ああ、私は今やなんでも手に入るのに、初めてほしいと思ったものだけがどうしても手に入らない。いっそあきらめることができたらどんなにいいか。しかし私にはあの娘が必要だ。あの娘だけが私の心を暖めることができるのだ」  いくら素晴らしい王子でも、やはりあの様な孤独な少年時代では、女の趣味がゆがむのも仕方のないことなのでしょうか。  でも、昔も今も、王子の隣に座ることができるのはあの娘だけなのです。    第五話 悲しみを埋める石  城に、遠い異国の地で戦っていた王様の戦死の知らせが入りました。国が不穏な空気で包まれる中、王子は王位を継いで王様になりました。  新しい王様の誕生です。戴冠式もそそくさとすまされました。  まだ王様の率いていた軍は、将を失っても戦いを続けていたからです。新しい王様は取るものも取りあえず、他国に攻め込んだまま味方もいない軍のもとへ向かいました。  新しい王様は軍と合流しました。砦の一つを落として基地にしていましたが、兵士は目減りして心もてんでばらばらのちりぢり、仲間をなくし士気をなくし、すっかりうちひしがれていました。  そこで王様は士気を取り戻すため、今まで使ったこともないくらい大きな魔法を使い始めました。  まず兵士たちに土くれで、十万の兵士と一万の馬の人形を作るように命じました。そしてそのすべてに魔法をかけて、アッという間に九万の歩兵と一万の騎兵を作り上げたのです。王様の作った兵士たちは物を食べず、休みもせず、疲れをも知らずに戦い続けることができました。  そして王様は相手の国に、父王の敵をとるために宣戦布告をしました。  その頃には相手の国も疲れていましたから、王様はあっという間に周辺の国々を回り、小競り合いも騒乱も次々と平定しました。  王様は何かにとり憑かれたかのように戦い続け、次々と小国を支配していきました。  そして大遠征の後、このクラチア大陸の西側をすべて支配する大きな国を作ってしまったのです。  王様にも、なぜそのような衝動が自分に起こったのか分かりませんでした。ただ、戦いが始まると額の聖なる印が熱く疼き、安らぎとは別のものが魂を満たしていくのです。父王もこのような感情を味わっていたのでしょうか。  王様には戦友ができ、信頼できる部下も、自分の仕事を幾らかでも任せられる家臣もできました。  以前ほどに寂しさを感じなくなりましたが、それでも夕暮れ時になると、激しい郷愁が彼を包むのでした。  彼は国々を回り、平和を与え、大国レーン・ラテの基盤を作り上げました。このレーン・ラテという国がもっとちゃんとした形をなすのは、彼の次の王の時代のことです。  そしていよいよ国に帰ろうかという時、王様は遠い辺境の地で馬を走らせ一つの町にやってきました。  王様はその町で、赤い大きなルビーをささげられました。中にはちろちろと炎が燃えている魔法の品で、王様の訪来を知ったある女性が、ささげてほしいと持ってきたものだそうです。  その女性に興味を持った王様は、さっそく長に案内させました。  その人の家は、このルビーがささげられたとは信じられないほどのあばら屋でした。王様がいぶかしみながら中に入りますと、盛りを過ぎた年頃の婦人が、彼を待ち受けていました。 「あなたが私に、このルビーをささげたのか」  王様が尋ねました。 「そうです。陛下が偉大な王となってわたしを裁きにやってくるのを、ずっとお待ちしておりました」 「裁く?私がなぜ、あなたを裁くのか。私には善良な民にしか見えぬが」  婦人は悲しい瞳で王様を見上げました。 「いいえ、わたしはかつて、一人息子をおいて駈け落ち致しました。恋人はすぐに亡くなりました。老衰で…」  婦人の語ることは突拍子もないことばかりでしたが、王様は一つの考えが頭にこびりついて離れなくなりました。 「息子は寂しい思いをしたでしょうが、今では立派にやっているようです」  婦人は何かに押しつぶされそうな声になり、唇をわななかせました。王様は目を見開いたまま、婦人の次の言葉を待ちました。 「陛下がお生まれになったとき、魔法使いはこういったそうですね、『王子は必ずや、天も地も統べる偉大な王になるであろう』と。あいにくわたしはそのパーティには出れなくて、後で恋人からその話を聞きました」  王様は婦人の手を取り、あかぎれだらけの手の甲にそっとくちづけました。 「あなたが、母上なのですね」  そう呼ばれて、婦人の頬にこらえ切れなかった涙が幾粒か転がり落ちます。 「このような仕打ちを受けて、陛下はまだわたしを母とお呼びになるの?わたしを殺しても構いませんのに」 「いいえ、ここでずっと、私を待っていて下さったのですね。父もすでに亡くなり、とがめるものは誰もいません。私と一緒に、国に帰りましょう」  かつては王妃とも呼ばれた、みすぼらしい婦人は首を振りました。 「いいえ、わたしが帰る場所はここ。あの方の眠るこの地です。一目会えて良かった、わたしの大切な人」  二人は初めて抱き合いました。  そしてあっけなく別れました。  王様は憑物が落ちたような、ほうけた顔になり、もう一度ルビーを手にとりました。しかしそれはシュンと音を立てて、かき消されるように消えてしまいました。  それは、魔法使いの力の一部で、王様に吸収されたのです。王様はすべての力を取り戻し、あらゆる魔法が使えるようになりました。    第六話 王様の宝物  王様は、いつものようにあの娘に会いたくなりました。  会いたいと思った瞬間、王様は渡りの魔法を使っていました。  娘の家の前に王様はたたずんでいました。  しかし扉をノックしても、出てきたのは違う人間、しかもずいぶんと若い少年でした。多分、王様の遠征後に生まれたのでしょう、王様の顔も知らないようでした。 「はい、どちらさまですか」  少年は王様の立派な鎧に目を奪われながら尋ねました。 「ここに住んでいた女はどうしたのだ」  少年はピンと来たようでした。 「あんた、遠征兵の人だね。ここは遠征前からおいらのかあちゃんのうちでした。かあちゃんは、遠征がはじまってすぐの頃、おいらがまだ小さい頃に死んじまいました」  王様の表情が凍り付きました。 「そうか…、あの人は死んだのか…」 「あなたはどちらさん?」  見上げる少年の顔を、王様はまじまじと見つめます。少年はどことなくあの娘に似ていましたが、それ程醜くはありません。そして、少年の顔に自分の物とよく似たところがあるような気がしていいました。 「お父さんは?」 「とうちゃんはわからないって、かあちゃんいっていました。でもいつかとうちゃんが迎えにきてくれるから、ここで待ってなさいっていってました」  少年はハッと気がついて、そのアイディアがすぐいわなければ消えてしまうものかのように、慌ててたずねます。 「もしかして、あんたがおいらのとうちゃん?」  良く見れば少年は賢そうです。 「そう…、君はわたしの息子だ。もしよければ、君をわたしの家に招待するが」  少年は頬を紅潮させていいました。 「とうちゃん、とうちゃん、ずっと待ってたんだよ、おいらもかあちゃんも!なかなか迎えにきてくれなかったのは、遠征にいってたからなんだね」 「君の母さんは、私を待っていてくれたと?」  少年は嬉しそうにうなずきます。 「そうだよ、かあちゃん素直じゃないから、おいらが生まれてからはずっと浮気しないで待ってるっていってたよ。いま荷物まとめてくるから待っててね」  少年は一度奥にひっ込んでからすぐに顔を出し、 「先にいったりしないでね」  と付け足しました。  待っている間に王様は一番信頼できる部下のところに渡りの魔法を使って、 「私は用があるので一足先に帰る。軍のことは任せたぞ」  と急いで命令してきました。帰ってきたときも、少年は準備中だったので王様はホッと一安心。 「お待たせ」  ぼろ布に、大して価値もない家財道具を詰め込んだ少年が出てきました。王様は少年の荷物を代わりに持ち、開いたほうの手で少年を肩に担ぎました。 「軽いな、家に着いたらもっと鍛えてやるぞ。…うちが気にいるといいのだが」  少年はニッコリとほほ笑みました。 「きっと気にいるよ」  王様を悩ませる物はもう何もありません。王様は少年と幸せに暮らすでしょう。どんなに大きな空虚を抱えても、王様がそれを望む限り。 END 製作:メロディ戦士 ホームページ:http://www.asahi-net.or.jp/~pn8t-knk/