総務常任委員会視察(2K年10月11日から13日)
1、 参加者 望月、檀谷、富塚、桐生、臼井、長谷川、西田、藤崎、熊谷総務部長、立崎財政部長、渡辺市民部長、伊藤議会事務局員
2、 概要
1) 行程は別紙参照
2) 視察先(内容)は苫小牧市(基本構想)、壮瞥町(防災対策)
3、苫小牧市視察の主な内容
1) 苫小牧市の概要
17. 1万人、561平方km、港湾は8000万トン/年(北海道の1/3)、たるまい山、うとない湖(280種の野鳥:ラムサール条約)、王子製紙、日本製紙、
2) 基本構想
昭和62年 第四次全国総合開発計画(国土庁)、昭和63年 第5期北海道総合開発計画(北海道開発局)を背景に苫小牧市総合計画を昭和63年に策定した。期間は21世紀初頭まで。国を先頭に開発計画を立てたが上手く行かずに、今後の計画も立てられない状況である。
3) クリーンセンター見学
ゴミ問題に関する理解を深めるために予約無しで見学できる施設となっている。このため、常に誰かが見学に来ているような状態である。210トンで170億円を要した。
4) 苫小牧東部開発現地を見学した。自然豊かな湿地帯に、大規模な工業団地を計画したが販売できずに中止となるようである。港湾設備も作ったが魚釣り場になっている。
5) 市内の商店街はシャッターを下ろして廃業した商店が見られ、景気が悪く、苦慮している。
4、 壮瞥町視察の主な内容
1) 壮瞥町の概要
3300人、農業と観光の町(洞爺湖には300万人から400万人/年)、現在観光は2割から3割程度、有珠山は本年3月31日に噴火(23年ぶり)した。
2) 噴火への対策
3月27日23時;観測所から防災担当者へ危険である旨の電話連絡有り。
3月28日 2時;総務課職員7名招集、町長はこれから1.5か月町長室に泊まり込んだ。
8時30分;災害対策本部を設置。避難用に観光バスを手配した。
3月29日13時;避難勧告発令(198世帯)、自主避難区域設定(411世帯)
15時;避難開始し17時にはほとんど非難した。避難所は小学校、中学校。
3月30日11時;自衛隊が避難所で炊き出し開始。
3月31日;避難所向け壁新聞を発行、臨時郵便局設置、ファックス、洗濯機も設置。自衛隊の炊き出
しを業者に委託。
4月1日;政府調査団訪問、
4月2日;一時帰宅バス運行、自主避難地区一部解除。
4月9日;短時間帰宅開始
4月21日;条件付き帰宅開始(昼間のみ)
5月5日;応急仮設住宅の入居開始
5月12日;避難指示地区解除
3) 応急仮設住宅
6坪(居間6畳)、9坪(居間6畳、和室6畳)、12坪(居間6畳、和室6畳、和室4.5畳)
タイプ。
合計84戸、建設は2週間で完了。北海道が建設し町が管理した。設備も入れて価格は坪30万円から40万円。
4) 印象に残った事
? 日頃から防災対策を立てて、避難所地図を作成しておくのが良い。
? 日頃から地震研究所(北大)と良く連絡を取り合い、災害に備えていたのが良かった。
? 避難所に自治会ができた。(避難所への入所は隣り合った自治会で入所してもらった。)これにより、要望を自治会で一元化して行政に持ってきてくれた。
? 自衛隊への要請は道との関係が有り容易ではなかった。
? 災害予測図(地震、水害、その他)を作っておくのが良い。
? 避難などの際には、長の判断が重要であり、これまでの経験も役に立ったとの事。
以上。