プロセス制御で環境を考える
21世紀が間近になり、地球環境・地域環境は、ますます悪化しております。
技術革新とライフスタイルの変化は、大量のゴミ社会の到来を促すと共に、次世代に大きなツケを残そうとしております。
又、これからは社会的には、地方の時代の到来であり、地域社会をモデルにした環境システムの構築こそが地球環境改善の確実な第1歩にもにもなる筈です。
(協)ネプロはこの地域社会に密着した環境システム作りを経営のモットーに、研究開発の実績をもって、県内はもとより東北全般に環境コンサルタント業務を展開しています。
(協)ネプロは、東北大学との緊密なネットワークによる、実験・研究・開発体制を充実させ、環境保全関連需要家のあらゆるニーズに答えるべき体制を心掛けています。
是非この自然と気候に恵まれた「杜の都 仙台」に根を下ろし、次世代の[環境]を守る仕事に意欲を持って取り組みたい方々の来社を、心からお待ちしています。
ところが、前回の産業革命でもそうであったのだが、物質文化に精神・ 文明が追いつかず、その歪みが噴出するという現象が起こってしまう。 人類は相変わらず、過去(歴史)からは何も学ばず、過ちを繰り返し、 不毛の歴史を繰り返す。
当然、教育論者としては論旨を得意の場に持ち込みたくなる。 「人類はどこから来て、どこへ行くのか」この答えを求めて生きてみたい。 当然、生きている間に答えを見つけることはほとんど出来ない。しかし、 自分の人生が、人類がその答えを見つけるためにどのパートを担当し、ど こまでやるべき役割を担っているかを見いだせれば、その延長上にある解 答の輪郭を掴むことができる筈である。 これを社会状況(物質文化や精神・文明を含めた)に即応させながら、学 習させることが「教育」であると私は信じている。
つまり、人生とは人類や地球や宇宙といった大きな流れの中に、僅かに漂 う一瞬なのだというグローバルな意識を常に持ち続けることで、自分の座 標を確認することができる人間に育つのではないだろうか。 その意味で、「第1の教育の場」となる初・中等教育においては、学習に よる知識や理論の修得が目的ではなく、それらを修得するために出会う様 々の困難や苦痛、挫折、それを乗り越える努力、知恵、精神力、といった 「経験」を与える場であるという認識が、本分であろう。 教育者や両親が、この本分に沿って子供を育てることが、まず先決なのだが・・・
世の見識者や教育者に、ほぼ似たような意識を持つ人々は多く見かけるが 漠然と思っているだけで、変な諦めが先に立ち、為そうとはしていない。 それらの多くは、彼らの経験として、「為すべきではない」という考え方 こそが、彼らを見識者や教育者の範疇に留めているという勘違いからとい える。これはまさに、彼らが受けた教育の歪みに他ならない。
だらだらと長くなってしまったが、要は「出来る者が為すべきことを確実 に為すことの積み重ねで、世の中が動いたり、変わったりするのだという ことに、皆は何故気が付かないのだろう」てなことを述べたかったわけで、 まさに、Dr.M のエンジニアリング論そのものに通じるところです。