トム・フリードマンTom Friedman展@小山登美夫ギャラリー(2004年3月26日〜4月24日)


フリードマンには、色もサイズもさまざまなボールを規則的にならべた《ホットボール》という作品があって*、その写真を見ると、子供がだれかを驚かそうとつくったものという印象を受ける。つまり、手の込んだお茶目ないたずらに見えるのだ。思わず笑ってしまうのは、ボールは六ヶ月かけて盗んで集められたという話。本当か嘘か分からないが、このエピソードは興味深い。

ちょっと古いが、世田谷区立砧南中学で起きた「9の字事件」という怪事件があった。ある朝、校庭に、教室にあるはずの何脚もの机が9の字に整然と並べられていたのが発見され、「いったいだれによる/だれに向けられたメッセージだろう?」と騒ぎになったのだ。真相は同校の卒業生らによるいたずらということだったのだが、これはフリードマンの作品、そして作品一般の構造を考えるうえで示唆的な事件だろう。
フリードマンの作品は「犯罪」や「ゴミ」という共同体の境界にある行為やモノがテーマとなっている。一言でいえばやはり「いたずら系」といえるだろう。そう見当をつけて展覧会の初日に駆け付けた。

本展では12点が出品され、ほとんどの作品に何かしらの“仕掛け”が施されている。そのうちのいくつかはネタが割れると、いささか興醒めしてしまわないでもない(「9の字事件」のように)。しかしギャラリーを出たあと、配られた作品解説を読んで驚かされたものがふたつあった。
糞に蝶がとまっているという作品と、瓶にトンボが収められている作品。私はいずれの虫も死骸=ゴミであるという解釈で、その場はなんとなく納得してしまったのだが、解説によると、前者は紙で、そして後者はスタジオで収集した虫の死骸を組み合わせて制作された人工の虫だという。なんと、死骸で死骸を再現していたのだ。さらに前者の糞も紙製だというではないか(どうりで臭いがしないはずだ!)。これらの出来具合を観察するだけでも本展は見るに値するかもしれない。

今回は冒頭で紹介したハイレッドセンターの活動を想起させるような犯罪(スレスレ?)的な作品はなかった。ただし、一見いかにも諧謔的で人を喰ったようなその作品群には、暗に、あるいは、はっきりと死の匂いを感じさせるものがあるということはひとつの発見だった。もちろん「死」も共同体の境界にある何かなのだ。


ところでいささか余談めいてしまうが、今回思い出したのは昨年Art Space Kimuraで開催された村元崇洋展だ。写真のとおり、こまごまとした日用品を用いて高密度なオブジェをつくりあげている。今はなきアーバナートにはたしかこのテの作品が少なくなかった。貧乏な学生が手元にあったタダ同然の素材をもてあそぶうちにヘンテコなものができあがったという感じだが、これは既製品のリサイクルという点でフリードマンのスタイルと共通するだろう。ゴミ社会である資本主義社会ならではの表現ともいえるかもしれない。ただし、村元の場合は造形表現に重点が置かれ、とても完成度が高くセンスがいい作品となっている。

(2004年3月29日記)
(2004年4月12日改稿)

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