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アフリカ散歩 〜第2歩〜









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 1999年5月に ジンバブエ共和国 Republic of Zimbabweザンビア共和国 Republic of Zambia南アフリカ共和国 Republic of South Africa へ旅してから早6年が過ぎ去ろうとしていた2005年3月、今度は ナミビア共和国 Republic of Namibia へ行って来ました。
 6年前、旅の最終日に ヨハネスブルク Johannesburg を離れる時、「アフリカ大陸を訪れることはもう2度とないだろう」と漠然と、かつ半ば本気で思ったことを記憶している。夢を見ている様な旅を終え、もうこんな楽しく美しい夢は見られないだろう、という思い。しかし、6年の時を経て再びアフリカ大陸への旅立ちは、あっさりとあっけなく決まった。
遙かなる大地の手招きに応えて・・・。
 

2005年3月19日(土)   19 March 2005 (Sat)         Home | Top

 調布駅前までタクシー(\1,860)で10分。成田空港 Narita Airport へ行く エアポート・リムジン Airport Limousine (\3,200)を待つ。春の陽射しが暖かな昼下がり、目には見えない“花粉”達は縦横無尽に飛び回っている。数日前から使い始めたマスクの効き目は絶大だが、目のかゆみは防ぎようもなく耐え難い。目を細めながらリムジンバスを待つこと数分。10数人並ぶ列の後方に立っていたが、“予約している人から”と言われて真っ先にバスに乗り込んだ。
 14時10分出発。日本は今日から3連休ということもあり高速道路を低速で進む。本来ならば2時間で到着するところ、2時間半は掛かるだろう、と言う。新宿まで1時間、そして成田空港 Narita Airport の第1ターミナルに着いたのは2時間40分後の16時50分だった。(14.7℃)

 6年振りの成田空港 Narita Airport である。早速、キャセイパシフィック航空 Cathay Pacific Airways のカウンターに並んでヨハネスブルク Johannesburg までチェックイン。2つしかない手荷物は合わせても機内へ持ち込める程度の大きさ、重さであったが、敢えて最終目的地のウィントフック Windhoek まで預けることにした。旅行会社に言われるままにしたこのことが、24時間後に思わぬ幸運をもたらすことになる。
 フライトまでの暇潰しに選んだのは、京成友膳のけんちんそば(\880)。この選択に大意はない。食後は大スクリーンの前で大相撲観戦。結びの一番まで見届けることなく搭乗口へ向かう。18時30分発のCX505便が離陸したのは18時55分。よくよく考えてみると飛行機に乗るのも6年振り。同じく6年振りの機内食は2回とも完食し4時間40分後の22時35分(-1:00)に香港国際空港 HongKong International Airport に到着。
 さすがに深夜だけあって人影はまばら。乗り継ぎの手続きもスムーズに進む。23時45分発のCX479でハネスブルク Johannesburg へ向かう。
 0時15分(-1:00)離陸。周囲の席には中国系の一族と思われる団体客が陣取り、母と娘達は直ぐさまトランプのようなカードゲームに興じ始めた。うるさいことこの上ない。そうこうしているうちに機内食。成田を飛び立ってから数時間で3回目ながら、またも完食。完食こそが健康のバロメーターだということを、帰路に痛いほど思い知ることになろうとは、この時は思いもしない。
 食後は隣席のトランプ母娘をはじめ、皆眠りに就いていった。暫く間、目の前のスクリーンでフライトコースを眺めていた。どうやら、この飛行機はインド洋を突っ切るのではなく大陸沿いに飛んでいるようだ、などと思いながら自分も眠りに就いた。

 目が覚めた時、窓の外はやや白み掛かっていた。歯磨きを終え、機内食を待つ。雲海の上から眩しい朝陽が射し込んできた。4度目の機内食も完食。12時間30分のフライトの末、6時45分(-7:00)、ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に到着。(16℃)
 ヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport に降り立って、しばし考えて出した答えは次のフライトまでの間、一端、南アフリカ共和国 Republic of South Africa へ入国してしまうこと。6年前に隅々まで歩き回ったことのある空港だし、迷うことはないだろう、という軽い気持ちで入国。この軽い気持ちが、今回の旅で唯一最大のミスを犯すことになる。
 入国して空港内を歩き回り、6年前と様変わりした光景を目にする。両替カウンターが立ち並ぶエリアに携帯電話のレンタルショップが何軒も並んでいる。そして場所を移し綺麗になった郵便局。確か6年前には通路沿いの壁に窓口があるだけだったように記憶している。土産物屋は同じ場所、2階のファストフード店もあまり変わっていないように思う。
 まずは両替をしようと思って6年前に使い切らなかったUS$のT/Cを南アRに替えようとしたが、何故かどのカウンターでも受け付けてくれない。仕方なくUS$の現金を取り出して事なきを得た。2つのカウンターで200ドルと100ドルの現金を両替した。2軒目のRenniesでは小銭を要求したからかもしれないが、1軒目のABSAの方がお得だったようだ。
 

<< Absa Bank >>

Rate : @5.8551

Commission : 40.00R
VAR : 5.60R
-------------------------
Total : 45.60R

$200.00 => 1171.00R => 1125.40R
 

<< Rennies Bank >>

Rate : @5.8925

Commission : 30.00R + 15.00R
VAR : 4.20R + 2.10R
-----------------------
Total : 51.30R

$100.00 => 589.25R => 537.95R
 

 こうやって比較してみるとABSAの方が得かと思うが、規則を調べた訳ではないので憶測でしかない。次に土産物屋で絵葉書を10枚購入(60.00R @6.00R)。
郵便局の端にある宝くじ(NumbersやLotoのようなもの)の投票用テーブルで自宅の住所を書き、切手(R3.40)を貼ってその場で投函。(これが自宅に届いたのは16日後の4月5日だった。)
 6年振りのヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport で暫くくつろいだ後、10時55分発のウィントフック Windhoek 行SA074便に乗るため10時過ぎにチェックインをしにカウンターの女性にチケットを差し出すと「この便は既に締め切った」と言う。「どうしても乗りたい」と言うと「それならあそこにいるスーパーバイザーのところへ行きなさい」と彼女が指差す3つ隣のカウンターへ行き改めて「どうしても乗りたい」ことを伝えた。彼が言うには「チェックインは出発の2時間前まで」だとのこと。「何故遅くなったのか」との問いには素直に「両替していた」と答えた。「手荷物は?」と聞かれ「東京から香港を香港を経由してウィントフック Windhoek まで行くことになっている」と伝えると、仕方ないと言った表情で搭乗を許可してくれた。
 旅行会社のアドバイス通りに暇潰しの一時入国をして招いた危機を救ったのは、皮肉にも同じく旅行会社のアドバイスによってウィントフック Windhoek まで預けた手荷物であった。

 11時過ぎにSA074便B737-800はヨハネスブルク空港 Johannesburg Internaional Airport を離陸し、いよいよこの旅の目的地ナミビア共和国 Republic of Namibia の首都、ウィントフック Windhoek へと向かう。1時間強のフライトで到着した「砂漠の国」「乾燥した国」 ナミビア共和国 Republic of Namibia は何と小雨模様であった。
 入国カードに必要事項を記入し、いよいよ入国。出口で現地の旅行会社の出迎えを受ける。首都の中心部までは綺麗に舗装された2車線の道路を走ること30分強。途中、白バイやパトカーと何度も擦れ違うのでドライバーに尋ねると「大統領を迎えに行く」のだと言う。彼の説明(英語)を全て理解出来たわけではなかったため、この時点では翌3月20日がこの国の建国15周年記念日であることを知らずにいた。

 13時30分、カラハリサンズホテルに到着。噂には聞いていたが1階にはカジノまで備えたゴージャスなホテルである。大統領の大きな写真を掲げたロビーでチェックインした後、3階の部屋へ。少々古びてはいるものの広々としておりアメニティーグッズもそれなりに揃っている点など噂に違わぬホテルである。
 部屋の設備を一通り眺めた後は街中を歩いてみることにした。到着直後の小雨は止み薄陽が射し込む日曜日の午後である。ホテルの地下とそれに続く商店街は何処も休み。買い物が出来ないことは残念だがウィンドウショッピングをするには丁度良いと思うことにした。地元の若いカップルが互いの手を相手の腰に回しながら商店街を右へ左へウィンドウを1つ1つ眺めながら歩いている。この2人の“ゆっくりさ加減”は旅立つ前に抱いていたナミビアのイメージそのものであった。そして、このスピードは旅人のウィンドウショッピングとも歩調が合い、まるで足の長い黒人カップルの後をつける
ような時間が暫く続いた。
 雨上がりのパステルカラーが綺麗な建物の並ぶ街を歩きながら今夜の食事のことを考え始めた。ホテルの地下にあるスーパーは閉まっていた。当てもなく歩いているとショッピングセンターの地下に1人のガードマンがいたので「この時間に開いているスーパーはないか」と聞いてみた。すると彼はエスカレーターを指差して「あれを昇って真っ直ぐ行った先の建物の地下にあるスーパーなら開いているよ」と教えてくれた。
 彼の言う通りに進むと大きなスーパーがあった。店の中には食品や雑貨など物が溢れており、買い物客が列を成していた。店内を一回りしてパン、ビール、絵葉書、それに土産用にMade in amibiaの飴を大量に入れてレジに並んだ。話には聞いていたが、この国では本当に南アR通貨が普通に使えるのだろうか。少々気になっていたが何の問題もなかった。ここで手にした釣銭のコインが初めて手にするナミビア通貨であった。
 商品を豊富に取り揃えてはいるものの、手に取ったものの多くが南ア製。土産にするのはナミビア製と決めていただけに探し出すのは一苦労だった。買い物を終え、来た道を引き返すと再び先程のガードマンに会った。買って来た絵葉書を見せながら「明日は砂漠へ行き、その後はスワコプムンド Swakopmund へ行く」と言うと彼は「スワコプムンド Swakopmund へは行ったことがない」と言う。
 ホテルに近づく頃には辺りは暗闇に包まれていた。部屋へ戻り窓から外を眺めると遠くに夜景を見ることが出来た。夕食はパンで軽く済ませ、ビールを飲んでいるうちに強烈な睡魔に襲われた。時計を見ると20時過ぎ。日本時間では午前3時過ぎである。ビールを飲み干すことも出来ぬまま眠りに墜ちていた。
 

2005年3月20日(日)   20 March 2005 (Sun)         Home | Top
 
 
 
 
 
 
 

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