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by F- red bill


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2005 Myopia

@ 11 20

【仕合わせ者】
前回、次の更新はクリスマス頃になってしまうかもしれない、などと、アクマデ冗談のつもりで書きつつ、本音としては、私が懸賞に応募した小説が辿ることになる運命についての報告もかねて、結果の出る八月には更新をしよう  まぁ、このように思っていたのであるが、けっきょく実際の更新は、十一月の下旬にズレ込んでしまった。まったく、ほんとうに、俺はそういう人間なんだな。

‥‥いやぁ、じつはね、あの小説、見事に受賞してしまって、俺、プロとしてデヴューすることになっちゃったのよね。出版社からは、エッセイだの短篇だの執筆の依頼が殺到、半分以上は断わって、取材を三つ四つこなしてから、新作の構想をじっくり練りたくて、ちょっとニースへ  あ、地中海のね  あっちの方へ逃げたりしてたもんだからさ‥‥。いや、ほんと忙しくてね。どうもこの、急かされながらモノを書くっていうのはさ、ボクなんかには向いてないみたいなんだよなぁ。いや、弱っちゃってね。とにかく忙しかったのよ。更新、遅れて御免なさいね。

‥‥虚しい。書いていて、非常に虚しい。

小説が見事に落選し、ハシにもボウにも掛からないものだと証明されたことについては、まったく悔やんではいない。もっとちゃんとした作品を書いてみたいという気持ちが(ショウコリもなく)あり、にも拘わらず、自分の中から湧いてくるものがない  このことが辛く、情けない。

小説の書き方について考察する、と予告しておいたが、いまはそれどころではないので、已めにします。すんません。

ところで、話は変わるが、私は仕合わせ者である。このカンに、大変な戴きものを、立て続けに三つも、して頂いた。

いささか不用意であったと反省しているのだが、前回の記事で、私の所のCDプレイヤが二台とも、つまりすべて、壊れたと(もちろん本当のことなのだが)書いた。それを読んでくれた K. T. 氏(後でまた触れさせて頂きます)が、なんとポータブルCDプレイヤ  カタログではなく、現物である  を贈って下さったのである。また、氏からは、心のこもった自家製のCDも一緒に贈って頂いた。ありがとうございます。

それから、このカンに、私の先輩に当たる福島の T. K. さん  事情はいずれここで説明させて頂くことになるだろうとは思うが、ともかく、しばらく以前から私は《理事長》と呼ばせて頂いている  が、DVDプレイヤが余ってるんだけど、要る? と仰って下さった。この申し出に対して、節操のないことに反射的に、はい、下さい、と云ってしまった私であった。  かくして、ほどなく、DVDプレイヤの高級機が、私の所に郵送されてきた。理事長、充実したヴィデオ・ライフを送らせて頂いております。ありがとうございます。

さらに先日、現在は長野県にお住まいの私の知り合いである S. K. さん  この方も先輩であり、昔からなにかと、これはもう相当に、面倒を看て頂いてきた  から、蕎麦の高級乾麺《極上木曽路御岳そば》12袋の箱詰めを贈って頂いた(私は学生の頃、この先輩から電気炊飯器を譲って頂いたこともある)。先輩、御無沙汰しておりました。お蕎麦、もう三袋ほど戴きました。美味しうございます。ありがとうございます。

なんだか、突然に、猛烈に、私の生活が豊かになってきた。ぐっと世間並みに近付いた。

もちろん、その他にも日々、周りの方々から本当によくして頂いている私である。あんまりよくして頂くので、私は嬉しくて○が○○いそうである。(不謹慎ではありますが)なにか、悪魔が手の込んだ悪戯を仕掛けているのではないか、などと思ったりもする。この過分な幸福は、そのうち途轍もない不運が襲ってくることの予兆なのか? 俺はもうすぐ死ぬのか?   皆様方、申し訳ございません。こういうことを軽々しく冗談混じりに云ってしまうような未熟者だから、イイ年をしていまだにウダツが上がらず、皆様に御心配をお掛けしているような次第であるのでした。心を入れ換え、精進して参りますので、どうかお赦しを。‥‥ああ、情けない俺。


【総まくりーん、更新の御報告】
(前回記したように)ジャッキー・マクリーンの初吹き込みを収めたCDの発売について教えてくださった、上記の K. T. 氏への感謝の意もこめて、ディスコグラフィ《総まくりーん》を更新することにしました。

ページ・デザインをリニューアルし、アルバムのジャケットを掲載することにしました。ジャケット写真はウェブ上で見付けたものをコピーして使用しています。それで、(マクリーンが参加しているアルバムは、私が持っているものを紹介することにしているのですが)ジャケットに関しては、私が持っているアルバムがLPであっても、大抵の場合、基本的なデザインに違いがなければCDのものを掲載してある点は、御容赦下さい。すでにこれまでに書いた記事の幾つかにも若干加筆・修正を施しつつ、《001》から《015》までであったセッションの記載を、ナンバー《023》まで、なんとか伸ばしました。もちろん、初録音については、ナンバー《000》として新たに書き加え、ディスコグラフィの劈頭を飾ることが出来ました。改めて K. T. 氏に感謝いたします。


【(高そうな)手袋】
以下では、仕合わせな中にも、やはり寂しく、悲しく、情けないことがある、という話である。

ちょっと早いかな、とも思ったが、先週、外出の際に手袋をはめることにした。ところが三日ほど前、はめ始めてたちまち、それを片方なくした。どういうわけか手袋というものは、両方いっぺんに、ではなく、片方だけ、なくすものらしい(これまで大抵、そうだったように思う  何十回も手袋をなくしてきた、というわけではないが)。自転車で出掛けたときに、昼で空気が暖かかったので手にはめないで、ポリエステルだかポリエチレンだか、ようはビニルのコート(ちなみに、ドラッグ・ストアで約千円で買った)のポケットに片方ずつ突っ込んで漕いでいたときに、道に落としたようだ(ポリなんとかというのは、スルスルとよく滑るのである)。

すでにこの世の人ではない父が使っていた、黒い革の手袋だ。比較的上等な代物であるうえに、父の生前には手入れがゆき届いていたのか、新品のような艶のある、暖かい、立派な手袋だ。晩の帰り道では、地面ばかり視ながら自転車を漕いだ。私という人間は、大切にしたいものほど、壊したりなくしたりするものらしい。  もちろん、それは、ほんとうの意味で大切に扱ってはいない、ということに違いないのだが。そういう人間なのだ、俺は。  情けない。


【(安い)腕時計】
かれこれひと月ほど前に、腕時計の(おそらく塩化ビニル製の)ベルトがちぎれた。腕に止められなくなったので、ずっとポケットに突っ込んで携帯してきた。昨日は、キー・ホルダーの鍵の部分を流用して、腕に止められるように修復した。怪態なベルトが出来上がった。

二千円くらいの安物で、《三割四割〔引き〕はあたりまえ〜っ!》かどこかへ行けば、いつでも同じものを新しく買うことができる。この手の時計のための取り替え用のベルトなど、売ってはいまい。新しいベルトを手にいれるために時間と労力と金を遣うくらいなら、同じものをまるまる新しく買った方が経済的である。いずれそのうち、私はそうするだろう。‥‥しかし、なぜかそこに、悔しいような悲しいような、ジクジたるものがある。なんとなく、そういう生き方をするべきではないような、気がする。「そういう」って、どういうよ? と訊かれても、上手く応えられないのだが、とにかくそんな感じなのだ。年のせいで感傷的になっているのかしら。


【靴】
先日、久振りに靴を買った。約六千円した。本革製にしては相当に安い部類だ。いままで履いていたのはもっと安い(おそらくは合成皮革の)もので、それがいい加減くたびれてきたし、雨が降って道のあちこちに水たまりが出来るような日には、水が中へ沁みて来るので、さすがに買い換えるときがきたと思っていたのだ。

今回もそうだが、靴を新調するときに私は大抵、旧いのを店に履いてゆき、新しいのが決まると、旧いのは店の人に渡して廃棄してもらう。‥‥後で、あまりにもそっけない別れ方をしたと、ちょっと後悔する。たしか、バーゲンで二千五百円くらいしかしなかった(例によって "超" の付く)安物である。どうでもいい靴である。しかし、‥‥

父はイッカイのサラリーマンであったが、現在の私よりも遥かに豊かな暮らしをしていた。だいいち、妻も子供もいて、つまりは家庭を持っていた(もちろん、私はそれの一構成員であった)。妻であるところの私の母は、昔なら一家の主婦として当然の仕事をやってきた人である。例えば、季節が変わるごとに押入から新しい季節に合った衣類を出したり、そこへ防虫剤を添えて仕舞ったりしてきた。現在の私はそんなことはしない。文化的に低い生活をしている。

靴にしても、生前の父とその一家においては、特に父は、常に一人で何足か靴を持っていて、それらを適宜変えながら履くようにしていた。一足を履いているあいだに、別の一足を手入れしたうえで保管しておく。服にしてもそうだが、そうやって何揃えかを、大事に、長年使い続ける。‥‥私はそういう、普通の、ちゃんとした生活に対して嫉妬する。  これは Lebens Form(生活の形)の問題だ。

私は四十代のちょうど半ばに来て、いまだにそうした生活の形を持っていない。あるいは、〈生活〉という形を持っていない。寂しいことだ。  時代のせいなのか? いや、そうではない。時代が生活の形を放棄させようと強いるから、自分のような生活レヴェルの低い人間がそれに逆らえないのは仕方がない  それだけのことだとは思えない。そうは思いたくない。

靴は、いままで履いていたのもそうだったのだが、今回も、本来の自分の足のサイズよりも五ミリ大きめのものを買ってしまった。店の人は、爪先に余裕がある方が良いのはもちろんではあるが、靴というのは、履いているうちに伸びてくるのだから、左右に関しては、ちょっとキツいように感じても、買うときにはむしろその方がいいのだ、‥‥概ね、こうしたことを助言してくれようとしていたに違いないにも拘わらず、自分はいずれ中敷きを別に買って入れるのだし、分厚い靴下を履くことが多いので、とかなんとか云って、ブカブカのを履いて店を出てきてしまった。じっさいに、翌日に九百数十円の中敷きを買って入れたので、いまのところブカブカは、ほとんど解消されている。‥‥しかし、である。以前履いていたのは、紐を通すための左右の舌(?)が完全にくっ付いてしまうまできつく締めても、まだブカブカであった。新しい靴もやがてそうなるのだろう。

私は靴の買い方、履き方を知らないのだ。私は、こんなふうに靴を買い、こんなふうに靴を履くために、この世に産まれてきたのだろうか?   明らかに、文化的に低い生活を送っている。それが寂しく、悲しい。人生の後半に突入してしまうと、自分の癖や習慣や思考法は、ほとんど宿命と区別がないのだ。

私は死ぬまで、オーダー・メイドの服や靴を身に着けることはない。しかしそれでも、自分の人生はオーダー・メイドであった方がいいのではないか? ‥‥あるいは、それにまさる贅沢などない、それこそは、凡庸な庶民が望むべきものではない、と考えるべきなのだろうか? ‥‥マジャクに合う、という言葉を、ふと想い出す。


【ネジ】
もういいかげんシツコイ、とお思いになるかもしれないが、作り話などではないので、読んでほしい。  数日前に、眼鏡の〈鼻当て〉のネジをなくした。これは、ほんとうなら図示しながら語るべきことであろうが、眼鏡には〈鼻当て〉という部分が一対、備わっている。縁が黒いものはみなそうだと思うが、フレイムがセルなどで出来た眼鏡だと通常、鼻当てはフレイムと一体化している(縁から、魚の背びれのように飛び出している)。私は、現在掛けている眼鏡を買うときに、それがセル製であったにも拘わらず、このまま掛けると眼鏡の下の縁が頬に触れてしまう、掛けたときに眼鏡がいまより少し持ち上がるようにしよう、というので、その分の費用を払って、元来の、フレイムと一体化した鼻当てを削り取り、削った跡に、別あつらえの鼻当てを取り付けてもらった。

このような(所謂《銀縁眼鏡》などであれば標準装備の)、鼻に当たる角度が柔軟に変化する〈鼻当て〉は、左右それぞれが、二つの部分から出来ている。土台である眼鏡の縁に固定される部分と、この部分に接続される、鼻に直接触れる部分である。この二つの部分は、小さなネジで止め合わせられている(‥‥いよいよもう、絵に描いてしまったほうが説明がはやい、と思ったのだが、鼻当てというものは存外に複雑な形態・構造をしており、私の画力では描出がほぼ不可能である)。

前置きが異様に長くなったが、ようするに、鼻当てのうち、左の方のそれのネジが、知らないあいだに緩み、外れて、なくなってしまっていたのである。たとえネジが外れてしまっても、掛け続けているあいだは、そのことに気付かない。台所で手を洗ったかなにかしたついでに、タオルでほっぺたを拭いているときに、手が眼鏡に触れ、それをちょいと動かした。その拍子に、いまや止めネジを喪っていた鼻当ての先の方の部分が、ポロリ、と床に落ちたのである。‥‥現在私は、所謂クリップを短く切ったもの、つまりは細い針金を、ネジの代わりに通すことで、二つの部分を接続して、眼鏡を使用している。腕時計と同じような案配だ。  こんなふうな私の暮らしというのは、やはり、普通の、ちゃんとした、人間の暮らしではない。情けなく、寂しく、悲しい。

念のために、これを読んで下さっている皆さんにお願い申しておきますが、どうか当方に、時計や靴、眼鏡、はたまた嫁さんや分譲住宅などを、贈って頂いたりしませんよう。今回は、私の生活の特に暗い部分をクロース・アップするような恰好になりましたが、時計、靴、眼鏡以外の部分では、おおよそ、呑気に、気楽に、結構楽しく暮らしております。どうか御心配下さいませんように。私、元気にやっております。ほんとうです。

アーティチョークのサラダとワインが急に恋しくなったので、明日から、フィレンツェ辺りへふらっと旅してこようかと思っています。それで、またしばらく更新ができないかもしれません。それでは皆様、次にお会いする機会まで、ごきげんよう。‥‥しつこいな、俺って。





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超 変 小 説

【 アレルギー性 bien 】


第一回(2/25,1999)

第二回は,まだ工事中版ですが,
さしあたり
ここに置いておきます.
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MacOS とTigers のファンであり、哲学者にして(だから?)ピアノ弾き  
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Jinsei No Imi 

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