寒さが一段と増した頃、お菓子屋さんのウィンドウは華やかになる。
色とりどりのリボンや包装紙で飾られたチョコレート。
寄り添うシュガークラフトの恋人達。
店内では、数々のチョコレートを前に、少女達でにぎわっている。
この時季、多くの少女達が真剣な瞳でチョコレートに想いを託そうとしていた。
◇ ◇ ◇
「お買いあげ、ありがとうございました」
フリル付の白いエプロンドレスを身につけた笑顔の店員が、お店のロゴ入りの袋を手にした少女を送り出していた。
夕食の買い物にでかけてきた吹雪の足がふと止まる。
そこは吹雪でも知っている店名の、チョコレートの専門菓子店だった。
ガラス越しに見える店内では、少女達がチョコレートを選んでいる。
「あんであんなに……。チョコレート……、あぁ、バレンタインか」
吹雪はひとり納得し、うなずく。
数人で楽しそうに選んでいるグループもあれば、一人で真剣に選んでいる少女もいる。
一体誰のためにチョコレートを選んでいるのだろう。
ふと吹雪がそう思った時、ふいに大和の顔が浮かんできた。
大和が転校してきて、吹雪が一目惚れしてからかれこれ1年以上経っている。しかし結局今現在も吹雪は大和に気持ちを伝えることができずにいる。バレンタインまであと少し。これは良い機会なのかもしれない。
「私も買ってみようかな……」
この時、吹雪にはまだほんの軽い気持ちしかなかった。
この先に起こることなど、まったく予想できていなかった。
◇ ◇ ◇
え、選べない……。
吹雪は右手を握りしめながら、数々のチョコレートとにらみあっていた。
かれこれ小1時間は経つというのに、吹雪はどのチョコレートにするのか迷い続けている。
大きなハート型、小さくて丸いトリュフの詰め合わせ、石畳を思わせるように並んだ生チョコ、フリーズドライの苺をホワイトチョコレートでコーティングしたものなどなど、あまりの種類の多さに気が遠くなる。
入った店も悪かったのだろう。チョコレートの専門菓子店だけあって、バレンタイン用として用意されたもの以外に、通常売られている商品も並んでいる。
たった1個を選ぶのにこんなにも迷うとは思ってもみなかった。
世の女のコ達が毎年真剣になるのがやっとわかった気がした。
いっそ諦めようかと思った時。
「ご試食いかがですか?」
小分けされたチョコレートケーキが乗っているトレイを持った店員が吹雪に声をかけてきた。
「あ、どうも」
すでに疲労困ぱいしていた吹雪は、断る気力もなく、その1つをつまんで口に入れた。
その途端。
「美味しいっ」
思わず叫びたくなるほどの美味しさが口の中に広がっていた。
「ほどよい甘さのミルククリームを、カルバドスで風味付けたココアスポンジではさみ、ほろ苦いビターチョコレートで全体をコーティングしてあるんです」
「かる、ばどすって何ですか?」
「りんごのブランデーです」
店員はにこやかにもうひとつどうぞと差し出してくれた。
吹雪は再びチョコレートケーキを試食する。
ゆっくりと味わいながら、このチョコレートケーキがこばやしーず3人と重なるかも、となんとなく思った。
甘いミルククリームは大和、カルバドスのスポンジは千尋、ビターチョコは健吾。
3人が1つになったようなケーキ。
くすっと小さく吹雪は微笑んだが、その時、ふと不思議な感じがした。
ミルククリームとビターチョコはいいとして、どうしてカルバドスのスポンジが千尋なのだ?
千尋とカルバドスに何の関係があるのだろう。
カルバドス……、りんごのブランデー……、りんご……。
何かを思い出せそうで出てこない。
千尋とりんごに何か関係があっただろうか?
記憶力には自信があるのに出てこないのが、少しもどかしかった。
「どうかなさいましたか?」
「あ、い、いえ。なんでもないです」
思い出せないのならたいしたことではないだろうと、吹雪は考えるのをやめた。
「このチョコレートケーキ、いかがですか? 当店自慢の人気商品なんです。数量限定なので、残りわずかですよ」
店員はにっこりと笑いかけた。
「数量限定……。あ、これ、これにします」
味が気に入ったというのもあるが、このチョコレートケーキ以外のものを選ぶ気力は吹雪にはもうなかった。
「はい。ありがとうございます。それでですね」
すぐに会計とならずに何かを続けようとする店員の言葉に、なんだか嫌な予感がしてきた。
「このケーキにはホワイトチョコでメッセージをお付けすることができますが、いかがしますか?」
「メッセージ、ですか?」
「はい。『好きです』『LOVE』などお好きなメッセージを、当店の菓子職人が丁寧にお書きします」
「メ、メッセージなんていわれても……」
やっとチョコレートを選んでほっとした吹雪に、案の定、新たなる難題が降り掛かる。
好きな人に贈るメッセージとはいえ、『好きです』はストレート過ぎるのではないだろうか。『LOVE』というのも自分には似合わないような気がする。
それなら、と考えてみるが、適当な言葉が出てこない。
真剣な瞳でチョコレートケーキを見つめながら、いや、にらみながら吹雪は考え込む。
う〜んと唸ったまま身動きすらしない吹雪に、店員がおそるおそる声をかけた。
「あの……、贈る方のお名前とかでもよろしいですが?」
「あ、それなら!」
吹雪の表情がぱっと明るくなる。そして、『大和クンへ』にしてください、と言おうとした瞬間、突然千尋の顔がぽんっと浮かんできた。
吹雪の頬が一瞬赤く染まる。しかし。
これは大和くんに贈るんだから、アンタはお呼びじゃないの!
心の中で千尋に怒鳴る。
改めて心を落ち着け、大和の顔を思い起こそうとするが、今度は健吾の顔が現われてきた。
だから、アンタでもないの!
大和を押し退けようとする2人と、2人に負けないようにがんばる大和の姿が、吹雪の頭の中でぐるぐると回っていた。
そんな頭の中で繰り広げられる光景を振り切るかのように、吹雪は頭を振る。
「お、お客様?!」
何度も頭を振る吹雪に、店員が驚く。
「な、なんでもないです! あ、あの、こ、『小林クンへ』って入れてください!」
慌てた吹雪は、大声でそう言った。
「はい。かしこまりましました」
笑顔の店員はいそいそと店の奥へと向かっていった。
居心地が悪いまま、吹雪は店員が戻るのを待つ。
どうして大和クンを押し退けてアイツらが出てくるんだろう!
私が好きなのは、大和クンだけなのに!
吹雪は口には出さないながらも、心の中で怒っていた。
「お待たせいたしました。こちらでよろしいですね?」
やがて戻ってきた店員に差し出され直径15cmのチョコレートケーキには、吹雪の指定通りの『小林クンへ』という文字と、職人のサービスなのか、ピンク色のハートマークが最後に付け加えられていた。
「は、はい」
ハートマークが妙に恥ずかしい気がしたのだが、敢えてそれには触れなかった。
「それではこちらで会計お願いいたします」
店員が案内するその後に続きながら、吹雪は大きく息を吐く。
慣れないことするもんじゃない、と思いながら。
結局吹雪は大和への告白メッセージを入れることはできなかったのであった。
会計を終えた吹雪に、赤い包装紙に白いリボンで飾られた箱が手渡される。
吹雪はその箱をじっと見つめた。
メッセージが『大和クンへ』じゃなくても、これは大和クンに贈るチョコなんだから!
心の中で何度もその言葉をくり返す。
「お買いあげ、ありがとうございました!」
店員の極上の笑みの見送られて、吹雪は店を後にした。
そしてまっすぐ家の方へと向かって歩き出す。夕食の買い物をしていないことに気づかないまま……。
Fin
<ちょっとフリートーク>
さて、吹雪ちゃんはこのチョコレートケーキを大和クンに渡すことができるんでしょうか?
『小林クンへ』ですから、ちーさんやけんさんに渡しても問題はないんですよね(たとえ普段そう呼んでいなくても/笑)
ちゃんと大和くんに渡したとしても、ちーさんに見つかって食べられてしまったり、大和クンがみんなで食べようなんて言って、けんさんも含めてこばやしーずで食べることになるかも(笑)
結局どうなっても吹雪ちゃんの想いは、ストレートに大和クンには伝わりそうにないですね。
それから、ちーさんとりんごの関係ですが、それはコミックス5巻を参照くださいませ〜。
ちなみにカルバドスとは、正式にはフランスのCalvados地方で作られている、リンゴから作った発泡酒(シードル)から作る蒸留酒のことです。Calvados地方以外で作られたものはアップルブランデーというそうです。
最後に余談ですが、夕食の買い物をすっかり忘れて家に戻ってきた吹雪ちゃんは、雪人くんと深雪ちゃんにたっぷりと文句を言われるのでありました(笑)
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