「小林千尋先輩!」
3階から2階へと続く階段の途中で、千尋は1人の少女に呼び止められた。
振り返ると、真っ赤な顔をした少女がうつむき加減にこちらを見ていた。
フルネームで呼ばれたからには、少女は自分のことを知っているのだろう。
しかし千尋はその少女に覚えはなかった。『先輩』と呼んだのだから1年生であるのだけはわかる。
以前ほどではないが、時として興味のない他人に対しての千尋の態度は冷たい。
今も呼び止められ立ち止まったものの、うつむいたまま話をするわけでもない少女に、これ以上は時間の無駄と判断した千尋は、そのままは声もかけずに無関心な様子で通り過ぎようとした。
「あ、あの!」
少女は勇気をふりしぼったような声で、もう一度呼び止めてきた。
「なに?」
今度は無視することもなく、千尋は短く問う。
「あの……、以前にも言ったんですが、やっぱり小林先輩のことが好きなんです!」
「……以前?」
告白されたことに動じることもなく、千尋はつぶやく。一瞬の後、そういえば、とかすかに思い出す。
確か、彼女の焦げ茶色をしたストレートのロングヘアを、以前の吹雪の髪によく似ていると思ったことがあったかもしれない。
しかし少女に対して思ったことはそれだけだった。
名前すら思い出せないその他大勢の中の一人である。
「悪いけど……」
「ウサギ跳びでグランド3周してもダメですか?!」
千尋の言葉をさえぎり、少女は訊く。
すでに1年以上も経つというのに、千尋の出したこの条件は今もどこかで伝わっているらしい。
一瞬驚いて目を見開いた後、少し呆れながら千尋はため息をついた
「その条件はもう無効なんだ。ウサギ跳びされてもつきあう気はない。っていうか、誰ともつきあうつもりはない」
きっぱりと言い切った千尋の言葉に、少女はの表情が一瞬にして暗いものへと変わる。
「そういうことだから」
踵を返し、千尋はその場を後にしようとした。
「あ、あの、最後にひとつだけ訊かせてください。先輩、好きな人、いますか?」
真剣な瞳で少女はまっすぐに千尋を見つめていた。
千尋はその視線を受け止めながらも、すぐには答えなかった。わずかな静けさがその場に漂う。
やがて。
「……どうかな」
千尋は言い得ぬ表情で一言そう答えた。
その表情に何かを感じたのか、少女はやっと肩の力を抜いた。
「どんなにがんばっても私じゃダメなんですね……」
少女は寂しげにつぶやいた。
一瞬見せた千尋の表情に、少女は誰かを想っての表情だと感じた。
ほんのわずかに口元を緩ませての微笑。
しかし恋する少女には、それが何を意味しているのかを感じ取ることができたのであった。
「お時間とらせてすみませんでした」
少女は一礼すると、駆け足でその場を去っていった。
廊下に響く彼女の足音が消えるまで、千尋はその場に残っていた。
彼女を見送った後、静かになったその場所で、千尋は少しだけ階段を下りて言った。
「小林クン、もう出てきてもいいよ」
見ると、階段の端に大和が隠れるように身を小さくして座っていた。
「……あ、知ってたのね。立ち聞きするつもりはなかったんだけど、ごめんね」
「いいよ、別にたいしたことではないし」
そう言いながら千尋は大和の横を通り過ぎていく。その後を、大和は慌てて追いかけた。
「ねぇ、ねぇ、千尋クン」
「なんだい?」
「どうして今の女のコの告白を断わったの? とっても可愛い女のコだったのに」
何気なく大和は千尋に訊く。いつも大和は不思議に思っていた。学年を問わず千尋のファンは多い。休み時間に千尋の顔を覗きに来る女のコや告白をしてくるコも少なくない。しかし大和の知る限り、どの告白にも千尋は承諾したことはなかった。
「小林クン、彼女とつき合いたかったのかな?」
「ち、違うよ! ボク、好きじゃない人とはおつき合いなんてできないよぉ。……あっ」
「そういうこと。オレだって誤解を招くようなことはしたくないからね」
そう言った千尋の顔を、大和はじっと見つめた。
ふと一つの疑問が浮かび上がる。
誤解をして欲しくない人でもいるのだろうか、と。
「……あのね、千尋クンって好きな女のコいるの?」
「オレの好きなコのことなんて聞いてどうするの? あっ、小林クン、もしかして妬いているなかな?」
「そ、そんなわけないでしょ! ボク、男のコよぉ」
「……そうだったね。思い出しちゃったよ」
廊下の壁に寄り掛かり、千尋は窓の外へと視線を移して遠くを見つめ、ため息をつく。その黄昏れた様子から、チリーンと風鈴の音までもが聞こえそうだった。
「ち、千尋クン?」
「いや、いいんだ。例え小林クンが女のコじゃなくても、オレは君がお気に入りだよ♪」
千尋は背後から大和を羽交い締めにして、大和の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「いやよぉ。千尋くん、放してよぉ」
当然大和は千尋の抱擁を嫌がり、じたばたと暴れる。
「そんなに暴れると良いラッシーになれないよ♪」
「ボクはラッシーにはなりたくないよ〜」
大和の困った様子を見ながら楽しげに笑いつつ、千尋はやっと大和から手を放した。
魔の手から解放された大和は、千尋から離れて警戒しながら、かなり乱れた髪を手で直した。
「そ、それにしても、千尋クンが好きになる女のコってどんなコなのかなぁ」
「そうだねぇ。しっかりしていて気が強いくせに弱いところがあって、放っておけない感じのコかな。できれば髪は長い方が良かったんだけど」
「なんか、具体的だね。まるで誰かのことを言っているみたい」
千尋は一瞬ドキリとする。時々意表をつく鋭い指摘をする大和に、気づかれたのかと思った。しかし、無邪気にそう言う大和に他意はないらしい。
「? どうかしたの?」
ほんの一瞬表情を強ばらせたけれど、それも大和は気づいていないようである。
再び千尋は柔らかな笑みを浮かべた。
「何でもないよ」
「それならいいけど」
千尋の笑みにつられ、大和もにっこりと笑った。
「でも……そろそろね、本気出さなきゃいけないかなって思ってる」
「えっ? 何か言った、千尋クン?」
ひとり言のように小さくつぶやいた千尋の言葉を、大和ははっきりと聞き取ることはできなかった。
「いや、何でもないよ♪ さて、そろそろ帰らなきゃね。そうだ、これからうちに寄ってかないかな?」
何事もなかったかのように、千尋はいつものようににやりと笑う。
「ち、千尋クンの家〜?!」
大和は一歩後ずさる。
「今日は仕事が休みだとか言っていたから、母もいるよ♪」
「千尋クンのお母さん〜?!」
さらに大和は後ずさった。
夏休みに偶然遊びに行った時のことを思い出す。何故か、いや当然のごとく千尋の母真尋に気に入られた大和は、相当なもてなしを受けた。あの時から、千尋の家は大和にとって『危険地帯』だと頭の中にインプットされている。
「ち、千尋クンのおうちは遠慮します〜!!」
大和は慌ててテケテケと走り出す。
「遠慮することないのに♪」
一生懸命大和が走っても、歩幅の広い千尋は難なく追いついてしまう。
「ふえ〜ん。あ、吹雪ちゃん!」
図書室から出てきたばかりの吹雪を見つけた大和は、まっすぐに吹雪のところへと向かっていく。
「何?! どうしたの?! また千尋が何かしたの?!」
「どうしてすぐにオレと結び付けるのかなぁ。それに何かしたなんて心外だなぁ。オレは小林クンを家に招待しようとしただけなのに♪」
「アンタの家〜? 怪しいなぁ、やっぱり何かあるんじゃないの?」
「そんなに疑うんだったら吹雪チャンも招待するよ。一緒にどお?」
「なんで私が」
大和を背にかばいながら、吹雪は千尋をジロリとにらむ。
「あ、吹雪チャン」
千尋は吹雪のにらみを気にするでもなく、ふいに吹雪のあごに手をかけ、軽く上を向かせた。
「な、何よ?!」
突然顔を近づけてきた千尋に、吹雪は慌てる。
「吹雪チャン」
吹雪以外の女生徒なら、それだけでうっとりしてしまうような微笑みで名前を呼ぶ。
何を言うのかと内心ドキドキしていた吹雪に、千尋は真顔でこう言った。
「唇荒れてるよ。ちゃんと手入れしてる?」
「ほっとけ!」
吹雪は思いっきり平手打ちを飛ばしたが、千尋は難なくよけてしまった。
「そういえばうちの母が新作の化粧品のサンプルがあるとか言ってたけど、吹雪チャンいらない? 荒れた唇にも効果あるんじゃないかな?」
「う〜ん、欲しいかも。タダならもらいに行ってもいいわよ」
「ふ、吹雪ちゃん、千尋クンの家に行くのぉ〜?!」
すがるような瞳で大和は吹雪を見上げる。
「大丈夫よ。コイツが何かしようとしたら、私が守ってあげるから!」
「だ〜か〜ら〜、オレは何もしないって♪」
「いーや、やっぱり何か企んでいるでしょ? 私にはわかるんだから!」
「ふぅん、吹雪チャンはオレのコトよーくわかってるんだね」
「アンタの考えていることなんてお見通しなんだから。小林クンに何かしたら許さないわよ!」
「はいはい♪」
そんな会話をやりとりしている2人の間にはさまれた大和は、逃げ出そうにも逃げ出すことができずにいた。
左右から千尋と吹雪に腕をつかまれた大和の、抵抗むなしい拒絶の声が廊下に響いていた。
「ボク、やっぱり遠慮するよぉ〜」
Fin
<ちょっとフリートーク>
第6作目、いかがでしたでしょう?
なんだかラストに向かってどんどんお笑いになっていくのは気のせいでしょうか(笑)
一番の被害者は大和クンかも(^^;)
題名の『告白』は、ちーさんがするのではなくされるということでつけました。
ちーさんってどんな対応するのかなぁと思っているのですが、どうなんでしょうねぇ?
さて、ヒロイン吹雪ちゃんはというと、図書室でけんさんとパズルやっていた帰りだと思われます(でもけんさん、出番ないねぇ/^^;)
ちーさん家訪問することになった吹雪ちゃん。真尋さんには気に入られるでしょうか?
大和クン同様(いや、それ以上?)気に入られるような気がします♪
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