Scene51 クリスマスイブまで待っていて 1
(『おまけの小林クン』より)


 

「課題のノートを提出した者から解散! 今出さないと受け付けないからね!」
 教壇に立ち、テキパキと指示を出しているのはクラス委員長の吹雪だった。
 その吹雪の言葉に従って、クラスメートの各々は吹雪の前の教卓の上へ次々とノートを提出し、そして教室を出て行った。
「これで全員かな」
 積み重ねられたノートを見ながら吹雪はつぶやく。教室内を見渡せば、もう人はほとんどいなかった。
「ねぇ、ねぇ、吹雪ちゃん、千尋クンがいないよ?」
 帰り支度をしていた大和が心配そうな顔で吹雪に声をかけて来た。
「千尋? そういえばさっきから姿が見えないわね」
 確かに千尋からノートを受け取った覚えはない。提出されたノートを確認してみても、千尋のノートだけがなかった。
「課題も提出しないでどこ行ったんだろ。小林クン、悪いんだけど、千尋見かけたらすぐにノート提出しろって伝えてくれる?」
「うん、わかった」
「じゃ、私燕センセのところにこれを届けてくるから」
「手伝おうっか?」
「ありがと、でも大丈夫」
 大和の優しい申し出を笑顔でお礼をいいながらも断り、吹雪は教室を出た。
 集めたノートを抱え、吹雪は家庭科準備室へ向った。

 

「……そういうことでお願いします」
 準備室に入ろうとしてノックしかけた時、わずかに開いていたドアの向こうから話声が聞こえて来た。
 千尋?
 それは準備室にいるはずの家庭科担当教師である燕の声ではなかった。
「カナダですかぁ」
 続けて聞こえて来たのは明らかに燕の声。どうやら中で話をしているのは燕と千尋のようだった。
 燕の声がどうにも深刻そうな感じがして、吹雪は準備室の中に入るのをためらった。
 こっそりと中を伺うようにしてみると、思った通りに2人の姿があった。吹雪がいる側からは千尋の顔は見えないが、燕の方は見えた。しかしサングラスのせいでその表情までは読み取れない。
「淋しくなりますねぇ」
「別にたいしたことじゃないと思いますけど?」 
「そうですか? でも、しばらく帰ってこられないのでしょう? いつもいる人がいなくなるというのは淋しいものですよ」
 しばらく帰ってこない?
 淋しくなる?
 いつもいる人がいなくなる?
 吹雪は燕の言葉を心で繰り返す。
 いなくなるって『誰』が?
「それじゃ、このあとすぐ空港に向うんで……」
「わかりました。クラスのみんなには明日私から話しておきます」
 そんな会話が吹雪の耳に届く。

 いなくなる人がいる。
 空港に千尋が向う。
 行き先はカナダ。

 キーとなる言葉を頭の中で組み合わせ、吹雪は結論づける。
 いつもいる人がいなくなるのは……。
 自分で出したその答えにサッと血の気が引くような感じがした。
 このまま準備室に入る勇気はなく、吹雪はフラフラッとドアの前から離れる。
 けれど、すぐに立ち止まる。
「あ……、ノート提出しないと」
 ふいに思い出す。そんなことよりもっと大事なことがあるのに、何故か思い浮かぶのはそんなことだった。
 千尋のノートがなくて。
 そうじゃない。
 なくなるのは千尋その人。
 何故? 
 そんなの知らない。
 千尋がいなくなるなんて聞いてない。
 何かの間違いだ。そうに決まってる。
 突然の出来事が信じられず、そして信じたくなかった吹雪は、無理矢理答えを出そうとした。
 そうして、吹雪が廊下の端でぼんやりしていると、背後からドアの閉まる音が耳を通り過ぎて行った。
「あれ? 吹雪ちゃん?」
 急に声をかけられ、吹雪の肩がピクリと跳ね上がった。
 そんな吹雪の様子に気づかず、千尋は吹雪の前へと回り込む。
「吹雪ちゃん、何恐い顔してんの?」
 覗き込んだ見た吹雪の表情があまりにも堅く、千尋は少し驚いていた。
「……どうして?」
 小さく吹雪がつぶやいた。
「どうしてって、何が?」
「どうして言ってくれなかったの?!」
 千尋の顔を見た瞬間、黙ってはいられなくなった。次第に声が大きくなっていく。
「だから何が?」
 千尋には吹雪が何を言いたいのか、全然わからなかった。
「千尋にとって私は何? 大事な事も言ってくれないなら、つきあってる意味ないじゃない! アンタがそんな人だとは思わなかった!」
 押さえていた気持ちが止まらなくなり、吹雪は感情的になって怒鳴った。
「さっきから何訳わかんないこと言ってンの? 俺、吹雪ちゃんに何かした?」
「もういい! 千尋なんて知らない!」
「吹雪ちゃん?! だから、何怒ってんだよ?」
 怒ったまま立ち去ろうとした吹雪の腕を千尋はつかんで引き止めた。
「ちゃんと言ってくれなきゃわからない」
「……」
 今にも涙を流しそうなくらいに瞳を潤ませたまま、吹雪は無言でいた。
 それを見た千尋は、それ以上吹雪には何も言わず、吹雪から話してくれるのを待った。
「……カナダ、行っちゃうんでしょ?」
 やや時間が経った頃、吹雪は小さい声でつぶやいた。
「えっ? あぁ、燕センセとの話、聞いてたんだ」
「ノート持って行こうとしたら話が聞こえて来て……。別に盗み聞きするつもりは……」
「あぁ、別に気にしないよ。たいしたことじゃないし、どうせすぐわかることだから」
 千尋がカナダに行ってしまうという大事な事なのに、当の本人はまったく気にしているように見えない。
 自分と離れることになっても千尋は平気なのかと思わずにはいられない。それが吹雪の心を苛立たせた。
「どうして?! なんで千尋がカナダへ行っちゃうの?!」
「なんでって、向こうに父親いるし……」
「だからって……」
 ついに吹雪の瞳からひとすじの涙が流れた。
「吹雪ちゃん、泣いて……」
「泣いてなんかいないわよ! あんたがずっとカナダに行って帰ってこなくたって、泣いたりしないんだから!」
 知らない。
 大事な事をちゃんと話してくれないのなら、もう千尋なんて知らない。
 吹雪は悔しげに唇を噛んだ。
 そんな様子の吹雪を見て、やっと吹雪が何を言いたいのかを理解した千尋は口元に小さい笑みを浮かべる。
「なによ! こんな時に笑って……」
「吹雪ちゃん、何か勘違いしてる」
「何が勘違いなのよ?! アンタは……」
「確かに俺はカナダに行くよ。このあとすぐに。だけど、俺が行くのは今日出発して5日間だけ。クリスマスイブの夕方には帰ってくる」
「だって、さっき、しばらく帰って来れないって……」
「それは母親の事。実はさ、父親が向こうで倒れちゃったんだよね」
「倒れたって……」
「あぁ、吹雪ちゃんは心配することないから。あの人、クリスマスから年末年始にかけてかなり長期の休みが取れたらしくて、久しぶりに日本で家族と過ごせるのが嬉しくて、はしゃぎすぎたらしいんだよね。それで熱出してんの。そのあまりのまぬけぶりに母さんが怒っちゃってさ。今すぐ叱りに行くって言って、ついでだから俺も一緒について来いっていう訳。まぁ、まぬけだとは思うけど、一応父親だし、倒れたって聞いて行かないわけにもいかないしで、ちょっと行って来ることにしたんだ」
「……」
「で、せっかくカナダまで行くっていうんで母さんは年明けまでカナダにいる事にした訳。俺は顔見せるだけ見せたら帰るつもり。わかった?」
 千尋の説明を聞いて、一気に吹雪の顔が赤くなる。
「は、はは、そう、なんだ。や、やだな、私ったら変な勘違いして」
「俺が吹雪ちゃんを置いてずっとカナダになんか行くわけないでしょ? それに、吹雪ちゃんにはちゃんと言うつもりだったよ。でもさっきは吹雪ちゃん忙しそうだったから先に燕センセに言っておこうと思っただけ」
「は、はは、は……」
 吹雪は自分の早合点が恥ずかしくて、ただ笑うしかなかった。
「それにせっかくのクリスマスっていう恋人同士の甘〜いイベントがあるっていうのに、吹雪ちゃん1人にするわけないでしょ? イブの夕方には帰ってくるから、一緒に過ごそう。それまで待ってて?」
 優しく微笑む千尋に、吹雪は先ほどとは違った意味で顔を赤く染める。
「了解?」
「ん、わかった……」
 吹雪の顔に笑顔が戻る。
「クリスマスケーキでも焼いて待ってる」
「そうしてて。で、はい、コレ」
 千尋がポケットから取り出した銀色の小さなモノに、吹雪は視線を移す。
「カギ?」
「俺の家のカギ。どうせ待つならうちで待ってて」
「でも……」
 誰もいない千尋の家に黙って自分が入り込むわけにはいかないと、吹雪はカギを受け取るのをためらった。
「しばらく母さんも父さんも帰ってこないからね。ちなみに、小ラッシーは25日までドックホテル」
 そこで一旦話を止め、そして千尋は吹雪の耳もとに口を寄せる。
「だから、二人っきりで朝まで過ごそう」
「ち、ち、千尋?!」
 考えてもみなかった台詞に驚いた吹雪は、バサバサッと持っていたノートの束を床に落としてしまった。
「あ〜ぁ、何やってンの」
 千尋の台詞に硬直したままの吹雪に代わって、千尋はノートを拾い集め、吹雪に渡す。
「クラスのみんなのノートなんだから大事に扱わないと」
「ち、千尋のせいじゃない! アンタが変なこと言うから!」
 まだドキドキしていたけれど、やっとの思いで吹雪は言い返した。
「でも嬉しかったな。俺がいなくなるって事に、吹雪ちゃんがそこまで感情的になるなんてさ」
「べ、別に私は感情的になんか……」
「でも、俺がいなくなるのはイヤだったんでしょ?」
「そ、それは……」
 いたずらっぽい笑みを浮かべられ、まるでからかわれているような感じになる。
「サッサと行きなさいよ! 飛行機の時間、遅れるわよ!」
「もうこんな時間か。あ、忘れるとこだった。吹雪ちゃん、これよろしく」
 そう言って、千尋は鞄からノートを1冊取り出した。
「あ、ノートね。わかっ……」
 ノートを受け取ろうとした瞬間、千尋はそのノートの上に渡しそびれたカギを乗せる。
「受け取ってくれる?」
 吹雪は伸ばしかけた右手を止める。そして、千尋の顔を見た。
 『決めるのは吹雪ちゃんだよ』
 千尋のその真剣な瞳はそう問いかけているようだった。
 平気で人を振り回すくせに、こういう時だけはそうじゃないんだから。
 吹雪は心の中でそう思う。
 自分がどうするかなんて、千尋にはその答えがわかっている。わかっていて聞いてくる。それだけに悔しくなる。
 でも。
 ちゃんと気持ちを確かめさせてくれるのは、嬉しいことだと思う。
 吹雪はもう一度カギと千尋の顔の両方を見た後、そっと右手を伸ばした。

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

 珍しくちーさんと吹雪ちゃんが言い争っています。
 いや、ポイントはソコじゃなくて、クリスマスイブに2人はどうするのかというプロローグになっているところが、このSSのポイントかな。
 朝まで二人っきり?!
 さて、どうなることやら……。

 ところで、ちーさんパパが倒れた原因、ありえそうだと思いません? 
 きっと真尋さんにこっぴどく叱られるのでしょうね(笑/笑い事じゃ……)

 
 

    

   

  


 

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