「あ、雪」
ひらひらと花びらが舞うように白い雪が降りてくる。
足を止め、薄曇りの空を見上げながら、吹雪が小さくつぶやいた。
折しも今日はクリスマスイブ。少ないとはいえ、クリスマスに雪というのは素敵な演出である。
もっとも、今の吹雪にはロマンチックにクリスマスイブを一緒に過ごす恋人はいない。一緒に過ごしたい人ならいるのだが……。
ふぅと小さくため息をついて、吹雪は目的地のケーキ屋へと再び向い出した。
何故ケーキ屋かというと、弟の雪人、妹の深雪の3人でゲームをした結果、最下位になった吹雪は罰ゲームとして予約したクリスマスケーキを取りに行くことになったのである。
「年下のくせに姉をこき使って。美味しいケーキを食べたいからって予約してきたのは雪人なのに。寒いから外に出たくないとか言って、挙げ句ゲームで取りに行く人を決めようとか言い出して。まったく……」
ぶつぶつと文句を言いながら、吹雪は足を速めようとした。
ちょうどその時。
「吹雪ちゃ〜ん」
突然、可愛らしい声が背後から聞こえてきた。
「小林クン?!」
思わず心臓がドキリと高鳴る。
吹雪がマイハニー小林大和の声を間違うはずもなく、満面の笑みを浮かべて、振り返えろうとする。
しかし。
「吹雪チャン、偶然だねぇ♪」
振り返った途端、大和の姿を見るよりも先に、千尋の笑顔が瞳に飛び込んできた。
「サ、サド男?! あんたはお呼びじゃないのよ。小林クンはどこよ!」
「吹雪チャンったら冷たいなぁ。せっかくクリスマスイブに会えたのに。これって運命感じない?」
「あんただけ感じてな」
吹雪は冷たくあしらい、まったく相手にしようともしない。
そんな時、千尋の背後から大和がひょっこり顔を覗かせる。
「吹雪ちゃん、こんにちは」
「小林クン!」
吹雪の顔が再び満面の笑みへと変わる。
「ずるいなぁ。小林クンにだけ笑顔なんて」
「あんたに見せるような笑顔はないわよ。ところで、なんであんたが小林クンと一緒にいるのよ!」
「あぁ、小林クンを散歩させてるんだよ♪」
「小林クン『を』散歩?!」
千尋は右手を吹雪の目の高さのところへ持っていく。見ると、その手には青いリボンが握られていた。そして細長いリボンの先は、何故か大和の首に結ばれている。
「小ラッシーの散歩の途中の千尋クンに偶然会って、そしたら……」
恥ずかしそうに大和は顔を赤らめる。
ちなみに大和の右手は、千尋の愛犬小ラッシーの首輪につながる鎖を持っていた。
「もう! 小林クンに何してるのよ!」
吹雪は千尋をキッと睨み付け、その手からリボンを奪い取った。そして大和の首からもリボンを解く。
「ありがとう、吹雪ちゃん」
「なんでありがとうなのかな? 小林クンも散歩楽しんでいたよねぇ?」
大和の両肩に手を乗せ、千尋は大和の耳もとでささやく。
「だ、だってぇ。ふぇ〜ん」
大和は半分泣きそうになりながら、吹雪を見る。
つぶらな瞳にクラッときながらも、吹雪は千尋の上着の襟元を掴む。
「やめなってば! 小林クンは犬じゃないのよ! 何が小林クンを散歩よ! 私だってしたいわよ」
「ふ、吹雪ちゃん?」
思わず本音を口から滑らせた吹雪は慌てて口を押さえる。
「なぁんだ。最初から素直にそう言えばいいのに。吹雪チャンったら♪」
にやにやと笑いながら千尋は吹雪の肩を組む。
「う、嘘よ。小林クンを散歩なんて。小林クン『を』じゃなくて、小林クン『と』散歩がしたいのよ! もう、アンタが変なことしているから、変なことになっちゃうんじゃない!」
吹雪は慌てて大和に言い訳したかと思うと、ぴしゃりと千尋の手を払い除ける。
「いてて。人のせいにしないで欲しいなぁ。ねぇ、小ラッシー」
千尋は大和の足下にいる小ラッシーを撫で始めた。
「ふぅん、そのコが小ラッシーなんだ」
「わん」
しっぽを振り、小ラッシーは吹雪に挨拶をする。
「あのね、吹雪ちゃん。小ラッシー、可愛いんだよ。Stopって言えば止まるし、ちゃんと言うこときくのよ」
「へぇ、そうなんだぁ」
ニコニコと笑顔で話す大和の前で、吹雪も幸せそうに微笑む。話の内容よりも、大和の笑顔を見ることができて幸せだという感じであった。
「……さてと。小ラッシー、GO」
千尋は吹雪や大和に聞こえない小さな声で小ラッシーにささやいた。その途端。
「わん♪」
楽し気に一声あげた小ラッシーが急に駆け出す。その時、するりと大和の手から鎖が放れた。
「あっ、小ラッシー!」
雪が降っているのが楽しくてはしゃいでいる子供のように、ふわふわのしっぽを振りながら小ラッシーは3人のまわりを駆け回り、やがて通りを走っていったかと思うと、3人には構わずに角を曲がっていく。
「あ〜ぁ、ダメだよ、ちゃんと鎖持ってなきゃ。小林クンが探して来てね♪」
「うえ〜ん。小ラッシー、待ってよぉ」
うっすらと積もった雪の上を、テケテケと危なげな足取りで、大和は小ラッシーを追っていった。
「待って、小林クン! 私も行くわ! と、きゃっ」
急に駆け出そうとした吹雪は、うっすらと積もり出した雪に足を取られて転びかける。
思いっきり尻餅をつくかと思ったその時、吹雪の身体は大きな手によって支えられた。
「危ないなぁ」
そう言って支えてくれたのはもちろん千尋である。
「あ、ありがと……」
「いやいや、どういたしまして♪」
そう言って、千尋の手は吹雪の肩の上にしっかりと置かれていた。
「も、もう大丈夫だから、放していいわよ!」
吹雪の肩に置いた手が、いつまでも離れない。そのうちするりと千尋の手が吹雪の前へ回る。
「お、おい! 何してる?!」
後ろから抱きすくめられ、吹雪は驚く。
千尋の重さを肩で感じ、そして背中から千尋のぬくもりが伝わってくる。
「は、放せってば!」
「ねぇ、また吹雪チャンの肩貸してくれない?」
ぼそっと小さな声が吹雪の耳に届く。
「えっ?」
「吹雪チャンが一緒だと、ぐっすり眠れる気がするんだ♪」
冗談っぽく言っているようだけど、何かが心に引っ掛かった。吹雪はふと去年の夏の出来事を思い出す。
「……もしかして、寝られない、のか?」
「いや、睡眠時間はちゃんと取れてるよ。ただ、時々胸が締めつけられるっていうか、どうしようもなく苦しくて目覚める時がある」
「……」
千尋が子供の頃から一緒にいた、いわば兄弟みたいに仲の良かった愛犬ラッシーがこの世を去ったの去年の夏の出来事である。ラッシーが亡くなって一週間、千尋は一睡もできなかったことがあった。心の均衡を失いかけた千尋は、吹雪の一言で救われたのだった。
すでに1年以上も経っているのだが、やはりダメージは大きすぎたのであろう。今もまだ完全には振り切れてはいない様子であった。
「それだけラッシーの存在が大きかったんだな……」
吹雪がそう言うと、千尋はさらに抱き締める力を強めた。
「お、おい!」
いつもの冗談めいた抱き締め方ではなく、背後から強くでも優しく抱きすくめられて、吹雪はカッと頬が熱くなる。
体育会系の健吾に比べ、千尋の身体が細身とはいえ、吹雪の身体はすっぽりと千尋の両腕の中におさまっている。
吹雪はそれが妙に気恥ずかしく、その場から早く逃げ出したかった。
しかしそんな吹雪に構うことなく抱き締めたまま、千尋は静かに耳もとでささやいた。
「ちょっとだけでいいから。こうしていると心が落ち着くっていうのかな。安心できるんだ」
逃れようとしていた吹雪の動きが止まる。
千尋は吹雪の背後にいるので、彼の表情は吹雪には見えない。いったいどんな表情でその言葉を言っているのだろうか。切なそうな、そして淋し気な瞳をする小さな子供のように思えて、吹雪は仕方なくため息をついた。
「……わかった。今だけラッシーの代わりをしてやるよ」
ぴくりとわずかに千尋の腕が動いた。
「……吹雪チャン、勘違いしてない? 俺はもうラッシーの代わりが欲しいなんて思っていないよ。小ラッシーもいるんだし」
「で、でも、私はラッシーの代わりだったじゃない?! だから、アンタは眠ることができて……」
「確かにあの時はそうだったかもしれない。でも今は違う。こうするのが誰でもいいってわけじゃない。俺は欲しいのは……」
「は、放して!」
無理矢理吹雪は千尋の腕を降り解いた。
少し後ずさり、千尋の顔を見る。
まっすぐに自分を見つめる瞳。そこに罠やからかいの意味を感じ取ることはできない。しかし吹雪はあえて、千尋のこの行動を彼お得意の罠であることに決めたのだった。
「や、やだなぁ。アンタの罠なんてかかんないわよ。罠をはる相手、間違ってるんじゃない?」
千尋は表情を変えずに黙ったままだった。
「こ、小林クン、どこまで行ったのかな。様子見てこなきゃ。そ、そうだ。それに私、ケーキを取りに行かなきゃいけないんだった」
そう言い残し、吹雪は大和が駆け出していった方とは反対の通りを駆けていく。
千尋は無言で吹雪の後ろ姿を見つめたまま、追おうとはしなかった。
「千尋く〜ん」
吹雪が駆け出してすぐ、小ラッシーを連れた大和と、健吾が並んで歩いて来た。
「小ラッシー捕まえたよぉ。でね、捕まえてくれたの、健吾くんなの。あれ? 吹雪ちゃんは?どうしたの?」
どんどん小さくなっていく吹雪の後ろ姿を瞳に捕らえた大和が不思議そうに訊く。
「ん、あぁ、なんかケーキ取りに行かなきゃとか言って行っちゃった」
「お前、また何かしたんんじゃないのか?」
千尋よりも少し背の高い健吾が、少々鋭い目つきで千尋を見た。
「おや、健吾クン。何を根拠にそんなこと言うのかな?」
「お前は普段の行いが行いだからな」
言葉少なに、お前が悪いといったふうな含みが感じられる。
「俺と吹雪チャンとの間に何があろうと、健吾クンには関係ないでしょ? いちいち口出ししないでくれる?」
いつになく挑戦的な瞳で、千尋は健吾を見た。
健吾は一瞬カッとなりながらも、無言のまま、言い返すことはしなかった。そして千尋の視線をすっとはずす。
千尋もそれ以上は何も言わなかった。
「じゃ、小林クン、散歩の続きをしようか♪」
「首輪のおリボンはイヤよぉ」
大和は小ラッシーの鎖を持ったままテケテケと駆け出した。その後を小ラッシーが続いていく。
「わん、わん♪」
「そんなに急ぐと転ぶよ」
千尋がそう言った途端に大和は前のめりに倒れる。
「言ってるそばから……」
千尋は健吾の前を素通りして大和の方へと歩き出した。
◇ ◇ ◇
一方、千尋の前から逃げ出した吹雪は息を切らせ、気がつけばかなりの距離を走っていた。足を止め、近くの塀に寄り掛かる。
「はぁ、はぁ。な、何よ。急にあんなこと言い出して」
心臓がドキドキと高鳴っている。
本気なんかじゃない。
罠なんだから気にすることない。
このドキドキだって、走ったせいで、決してアイツのせいじゃない。
吹雪は何度も自分に言い聞かせた。
それからそっと自分で自分の身体を抱く。
「大きな手だったな……」
小さくつぶやいた後、何かに気づいたかのごとく、吹雪は左右に首を振った。
「千尋なんて……」
音もなく降ってくる白い花の結晶が、吹雪の肩にそっと乗る。
降り積もる雪のように、千尋の想いが吹雪の心に積もり、そしてその上に少しずつだけれど確かに吹雪の千尋への想いが積もっていくようだった。
Fin
<ちょっとフリートーク>
コレの設定は、ホントはラッシーが亡くなった年のクリスマスってことにしたかったのですが、
それだと小ラッシーが出てこないので、1年後の冬になってしまいました。
両手に花(大和クンと小ラッシー)なちーさんがふと浮かんできたので書き始めてみました。
でもやっぱりらぶらぶ(?)シーンも盛り込まなきゃということで、結果こんな感じになりました(ラストはなんとなくすっきりしていないような……)
さて、2人の想いはこの先、どんなふうに積もっていくのでしょうか……。
本編でも、吹雪ちゃんにはもっとちーさんにドキドキして欲しいのですけどね。
タイトルの六花は雪の別称です(読み方は『ろっか』でもいいのですが、それだと某お菓子屋さんを思い出しそうなので、ここでは『りっか』です/笑)。
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