腕時計を覗き込むのはもう何度目だろう。
すでに待合せの時刻から20分を過ぎようとしている。
『遅れないでね♪』
などと言っておきながら、遅れてくるなんて。
吹雪はカバンから携帯電話を取り出す。携帯電話の画面には何も表示されていない。電話もメールも来ていない。
遅れるなら遅れるで連絡くらいしてくれたっていいのに。
少しイライラしながら投げるように乱暴に携帯電話をカバンに戻した。
「カーノジョ」
視線を向けてみれば、見知らぬ男が目の前に立っていた。
髪を金色に染め、ガムをくちゃくちゃと噛みながら、いかにもナンパしに来ましたといった風情の男が突然吹雪に話しかけてくる。
「カノジョ、1人?」
「違います」
吹雪は男を一瞥すると、相手の顔を見ようともせずに速攻素っ気なく答える。
「嘘、嘘。さっきから1人でいるじゃん。誘われるの待ってたんだろ?」
駅前に立っているだけでどうして『誘われるのを待っていた』などということになるのだろう。
「そんなわけないでしょ! あっち行ってよ!」
吹雪は犬でも追い払うかのように手を振る。
「そんな事言わないでさ。待合せしてんだったらもう来ないって。だから俺と遊ぼうぜ」
男はそう言って吹雪の手首をつかんだ。
「ちょ、ちょっと放しなさいよ!」
男の手を振り払おうと腕に力を込めてみるが、そう簡単にははずれない。しっかりと握りしめられていた。
「いいから、いいから。向こうに車があるからさ、ドライブしよう」
男は強引に吹雪の手を引っ張り、連れて行こうとした。
「ちょっ、や……」
もう一度男の手を振り払おうとした瞬間、きつくつかまれた手首が急に軽くなる。
「勝手にさわらないでくれる? コレ、俺のだから」
吹雪と男の間に誰かが入り込んで来た。
一見穏やかそうな笑顔が男に向けられた。
「千尋!」
吹雪の顔にホッと安堵の表情が浮かぶ。
「なんだ、邪魔すんなよ!」
突然現れた千尋に、男は当然食って掛かろうとする。千尋の襟元をつかみ、右手を振り上げた。
しかし、千尋は慌てる様子をまったく見せなかった。
「邪魔? 俺が?」
どこまでもおだやかそうな口調。けれど、その視線は穏やかではない。
口元に笑みは浮かべていても、目は笑っていない。にらんでいるわけでもないのけれど、どこか背筋に冷たいものが走るような気がした。
本気で怒っている。
その雰囲気がピリピリと伝わって来そうだった。
男も見かけほどバカではないようで、そんな千尋の妙な余裕に何かを感じる。
「ちっ、覚えておけ」
乱暴に千尋から手を離すと、男はありきたりな台詞を残して立ち去って行った。
「覚えておいて欲しいなら覚えておくけど、もう一度会ったらその時どうなるか知らないよ♪」
どこまでもマイペースな千尋は、遠ざかる男に一瞬だけ視線を向けた後、吹雪に向き直った。
「吹雪ちゃん、大丈夫?」
千尋の背後でかばわれていた吹雪は、いつもの口調の千尋に声をかけられた。
普段と変わらない口調にホッとしながらも、次第に何故か腹が立ってくる。
「……い」
「吹雪ちゃん?」
「遅い!」
待合せ時刻からもう30分が経とうとしている。千尋さえ時間通りに来ていれば、あんな嫌な思いはしなかったのだ。
「遅いって……」
何故か千尋は不思議そうに目を見開いた。
「何してたのよ! アンタが遅いからこんなことになるのよ! 私があの変な男に連れてかれたらどうするつもりだったのよ! なんで時間通りに来ない……」
「ストップ」
吹雪は一気にまくしたてようとしたのだが、最後まで言わないうちに千尋は強引に止められた。
「あのね、吹雪ちゃん。俺は時間通り、いや10分前には待合せ場所に来てた」
「だったらどうして私のところに来ないのよ! どっかで私が困るのを見てたってこと?!」
吹雪の勢いは止まらない。いつの間にか千尋の襟元をつかんでいた。
「落ち着いてってば、吹雪ちゃん。俺達が待合せした場所はどこ?」
「向日葵公園駅の東口」
「ここはどこ?」
「はぁ? どこって向日葵公園駅の東……」
吹雪は視線を駅の表示に向ける。その途端、呆然とする。
「中央口?!」
「そ。吹雪ちゃん、待合せ場所、間違ったんだよ」
「だ、だってこの駅に中央口なんてなかったじゃない?!」
吹雪が何度見ても表示は『中央口』であり、『東口』ではない。
「先週まで改築してたでしょうが。東口は新しくできたビルと直結する形で新しく出来たって、知らなかった?」
「あっ……」
そういえば2、3日前の新聞にその話題が載っていたのを見た覚えがある。
「時間に正確な吹雪ちゃんが待合せ時刻になっても来ないから、場所間違ったんだろなって思ったんだよね」
「……」
「で、こっちに来てみれば、やっぱりいるし。しかも訳のわからない男に連れて行かれそうになってるし」
「そ、それは私のせいじゃないし……」
「じゃ、俺のせい?」
にっこりと笑顔で顔を覗き込まれ、吹雪は何も言えなくなる。
ナンパされたのは自分でも千尋のせいでもない。
あの男が勝手に話しかけて来ただけだ。
もっとも待合せ場所を間違えていなければこんなことにはならなかったのだから、原因は自分にあるのかもしれない。
けれど、それを認めるのはどこか悔しい感じがした。
「もう、いい!」
吹雪はぷいっと横を向いて話を切り上げた。
「怒った?」
「別に怒ってないわよ。あれはあの男が悪いんだから」
あんな訳のわからない男のことで怒るのもばからしい。今さらどうでもよかった。
けれど。
「でも、ナンパされたのはやっぱり吹雪ちゃんのせいだよ」
突然千尋がそう言った。
「どうしてよ?」
「教えない♪」
「何よ、教えなさいよ!」
「自分で考えなよ♪」
肝心なところを言わず、千尋ははぐらかす。こういうところは時々イヤな部分ではあるけれど、千尋らしいところである。
「あ、ほら、もう時間。早く行かないと映画始まる」
「嘘、もうそんな時間?! 早く行かなきゃ」
そう言って吹雪は、スカートの裾をひるがえして早足で歩いて行く。
ナンパされたことがどうして自分のせいになるのかわからないけれど、千尋が言わないならそれは些細なことなのだろう。気が向いた時にでも考えれば良い。
そんなことを考えつつ、先を急ぐ。
ふいに、吹雪はある事に気がつく。
そういえば、言っていなかった。吹雪はこっそりとつぶやく。
「……ありがと、千尋」
そんな言い慣れない言葉はどこか照れてしまって本人には言えない。
けれど。
肝心な時にはちゃんとそばにいてくれてありがとう。
私に触れて良いのは千尋だけだから。
どこかへ行くのも千尋とだけだから。
だからいつも私の隣にいて欲しい。
そう思うけれど、口では言わない。
ありがとうの言葉も、この想いも口にはしない。それを口にするには照れくさいし、どこかくすぐったくて自分らしくないような気がするから。
けれど、きっと千尋は知っている。私が言わなくても、私の想いの全てを。
早足で歩いていた吹雪がふいに立ち止まる。そしていつもの調子で千尋を呼ぶ。
「千尋? 何してんの?」
吹雪の呼びかけに、千尋は微笑む。
ほらね。
千尋の笑顔は変わらない。そんなふうに微笑んでいてくれるなら、私の想いを言わなくても大丈夫。
「なんでもないよ」
そう言って軽い足取りで傍に来る。
伸ばされて来た手に自然に指を絡める。
つないだ手はあたたかくて、心まであたたかくなるようだった。
Fin
<ちょっとフリートーク>
待合せシーンで吹雪ちゃんサイドです。
うっかり待合せ場所を間違った吹雪ちゃん。それに気づかず、八つ当たり気味にちーさんに怒ってます(笑)
でもたまにこんなことするんじゃないかなぁっと。
それにしてもちーさん、あいかわらずカッコ良い登場しています(笑)
最初の台詞に、吹雪ちゃんのツッコミ入れようかと思ったんですが、
軽く流れてしまいました(^^;)
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