Scene39 彼女の瞳に
(『おまけの小林クン』より)


 そばにいても時々不安になることがある。
 この想いは自分だけの一方通行なのではないかとふいに思う時がある。
 彼女の瞳に映っているのは誰なのだろう。
 彼女はちゃんと自分を見てくれているだろうか。
 彼女の瞳に映るのが、いつでもどんな時でも自分だけでありたい。

 

◇ ◇ ◇

 

 授業が終わり、夕陽の茜色があたりを染める時間。
 吹雪は市立図書館にいた。今度提出するレポートに必要な資料を選びに来たのだった。
 学校の図書館にはない本がたくさんあり、その中から必要な分だけを選ぶのにもなかなか時間がかかっていた。 
 閉館まであとわずか。吹雪は真剣に本を選んでいた。
「あれ、もしかして小林さん?」
 しんとした館内に小さく響く声。
「えっ?」
 ふいに声をかけられて吹雪が振り返ると、わりと長身の、学生服を着た少年が立っていた。
 一瞬吹雪は考え込み、あっと何かに気づく。
「もしかして副委員長?」
「やだな、もう中学卒業して1年以上も経つんだからその呼び方やめて欲しいな」
 少年は照れたように笑った。
「そう呼ぶのがくせになっちゃったからね。でもなつかしい! 元気?」
「まあね。小林さんは? もしかして今も委員長?」
「あたり。一度は副委員長になろうと思ったんだけど、やっぱりダメだった。私には委員長があってるみたい」
「小林さんらしいね」
 気軽な話題が2人の間に飛び交った。
 少年は、吹雪の中学生時代のクラスメートだった。吹雪が委員長で、少年が副委員長。いろいろと関わりの多かった間柄である。
 卒業して以来の再会に、2人の話は盛り上がっていた。

 

◇ ◇ ◇

 

「俺の分はこれでOKだな」
 資料に必要な本をカウンターに持っていき、借り終えた千尋がつぶやいた。
「吹雪ちゃんはっと……」
 閉館間際のせいか、もうほとんど人はいなかった。
 立ち止まり見回してみるが、その場から見えるところに吹雪はいなかった。まだ担当分の資料を探しているのだろうか。
 千尋は吹雪が探しに行ったジャンルの本棚へと向かった。
 ふいに笑い声が聞こえ、千尋の足が止まった。
 吹雪ちゃん?
 声に出さずにそう思う。 
 千尋が吹雪の声を間違うわけもなく、その小声ながらに聞こえて来たのは確かに吹雪の声だった。
 千尋は本棚に隠れるようにしながらこっそりと声がした方を覗いてみた。
 本を抱えた吹雪の前に、1人の少年が立っているのが瞳に飛び込む。

 

 誰だ?

 どうしてそんな笑顔で話をしている?

  

 千尋の心に不安が沸き起こる。
 あんなふうに吹雪が親しく話すような男がいただろうかと考える。
 横顔しか見えないが、制服を着ていることから男は向日葵高校の生徒ではないことがわかる。
 優等生っぽい感じがすると同時に、スポーツもできそうなさわやかな感じもする。傍目には好印象な少年であろう。 
 しかし、相手がどんな男であれ、吹雪の隣にいるだけで、千尋の心はざわめいていた。
「それ、重くない?」
 少年が吹雪の抱えた本を指差した。
「え、あぁ、大丈夫よ、これくらい」
「持ってあげるよ」
 すっと少年の手が動き、吹雪の手にふれそうになった。
 それを見ていた千尋が、思わず本棚の陰から姿を現した。
「吹雪、時間」
 短く、抑揚のない声で告げる。
 その瞬間、少年の手がぴくりと動き、そして手が引かれた。
「あ、千尋。時間って、もう?」
 いつもの調子で吹雪は千尋の名前を呼んだ後、腕時計に視線を移して時間を確かめた。
「そっち終わったの?」
「もうとっくにね」
「じゃ、これ、借りてくるからちょっと待ってて。あ、今度のクラス会は出席できると思うから、よろしくね」
 千尋に言った後、隣の少年に吹雪は告げる。
「わかったよ。詳しい事決まったら連絡するよ」
「うん、よろしくね」
 吹雪は少年にもう一度微笑んでから、千尋の前を通り過ぎてカウンターへ向かった。
 その場に取り残された千尋と少年。
 千尋は少年を軽く一瞥する。
 少年も同じように一瞥していたのか、2人の視線が重なった。 
 しかし、千尋は興味なさそうにふいっと横を向いて吹雪の後を追おうとした。
「キミ、もしかして小林さんのカレ?」
 背後からの呼びかけに千尋はぴたりと足を止めた。
「なんでそんなこと訊くの?」
「彼女を呼び捨てで呼ぶ人なんていなかったからね。彼女、今も委員長やってるんだろ? みんな『委員長』って呼ばない?」
「呼ぶ人は呼ぶかな」
「君は呼ばないんだ?」
「……」
 千尋は返事をしなかった。この少年と吹雪の関係が気になりながらも、少年と会話を続ける気はなれなかった。
 少年の方はといえば、千尋にあからさまではないけれど冷たい態度を取られ、さらに無言の返事をされて苦笑した。
「やっぱり卒業するまでに言っておけば良かった」
 小さくつぶやく言葉を千尋は聞き逃さなかった。にらむような冷たい視線を少年に向ける。
「吹雪に何か言いたい訳?」
 千尋はまっすぐに少年を見据えた。
 少年もまたその視線を受け止めようと千尋の見る。
 短いようで長く、長いようで短い視線の交わし合い。無言のまま時間は過ぎていく。
 やがて、先に視線をそらしたのは少年の方だった。そして、ふぅと小さくため息を少年はついた。
「小林さんに伝えて。久しぶりに会えて良かったって」
「……わかった」
 千尋は短く承諾した。
 少年は静かに微笑むと歩き出し、千尋の横を通り過ぎて行った。
 少年はその場からいなくなったものの、何か息苦しい空気が残る。
 言い表せない何かが心をしめつけているようだった。
「千尋、お待たせ」
 本を借り終えた吹雪が戻って来た。
「この後どうする? うちで資料の照合しちゃう?」
 いつもと変わらず吹雪は千尋に話しかけてきた。
「結構絞り切れなかったのよね。こんなに借りちゃったし。アンタの分と合わせると結構な量だし、今のうちから始めた方が……」
「帰る」
「えっ? ち、千尋?」
 千尋の短い応えに吹雪は驚いた。手許の資料から目を離して顔を上げてみれば、千尋はさっさと歩き出していた。
 図書館から出てからも、千尋は無言のままだった。 
「千尋」
「……」
 何度吹雪が呼び掛けても、返事はなかった。 
「ねぇ、千尋!」
 千尋の様子の変化が何故なのかがわからず、次第に苛立ち始めた吹雪は思わず大きな声になる。
「……なに?」
 振り返りはしないまでも、やっと千尋は返事をした。
「どうして怒ってるの?」
「別に怒ってない」
 抑揚のない声音ではその言葉が本当なのか判断がつかない。
「じゃあ、質問変える。さっきどうして私のこと呼び捨てで呼んだの?」
「別に、意味はない」
 千尋の返事はやはりどこか素っ気なかった。
「人前でそう呼んだのって初めてだよね? 2人の時は時々あったけど。ねぇ、どうして?」
「だから意味はないって」
 さらに冷たい感じで言い切った。
「千尋、やっぱり怒ってる」
「……」
「さっきから変だよ? 私、何か気に障るような事言った?」
「……」
 先を見たままこちらを見ようともせず、黙って歩く千尋に、吹雪はだんだんとイライラを募らせる。
「千尋」
「……」
 やっぱり返事はなく。
「ちょっと! 人が話をしてんのに、どうして黙ってるのよ! 返事くらいしなさいよ!」
「……な」
「えっ?」
「俺以外の奴に笑顔なんか見せるな」
「はっ?」
 早口で言った千尋の言葉が、吹雪は一瞬理解できなかった。
「今のどういう意味?」
「言った通りだよ」
「私、笑っちゃダメってこと?」
「なんでそうなるかなぁ」
 千尋もまたイライラしたように前髪をかきあげる。
「アンタこそ、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ! 訳わかんない」
「だから! 俺がいるのに他の男と親しくするなって言ってンの!」
 吹雪に対して、他の男達の目に触れないように、どこかへ隠してしまいたいくらいの想いがある。こんなにも強い独占欲があることに、改めて気づく。吹雪の一番近い場所にいるのが自分一人でなければイヤだった。自分以外の誰かが彼女の瞳に映るのは許せなかった。
「……」
 吹雪は黙ったまま瞳を大きく見開いていた。
「何?」
「びっくりした」
「だから何が?」
「アンタがそんなこと言うなんて驚いた」
「別に驚かせることは言ってない」
 千尋はふいっと横を向くと、それっきり無言になった。
 その場に立ち止まったまま、しばらく呆然としていた吹雪が、突然くすくすと笑い出した。
「アンタがねぇ」
「何で笑うわけ?」
「だって、千尋のそれって……」
 やきもち、でしょ?
 最後の言葉は口に出して言わない。
 私が千尋の知らない人と話をしていたせい?
「意外と……」
 こういうのもいいかもしれない。
 言葉に出さずに吹雪は思う。
 いつもは千尋の方に女のコが寄って来ていた。そんな女のコ達に千尋が興味を示すことはないにしろ、もしも、と思い吹雪は内心ハラハラしていた。
 いつも余裕でいる千尋にもこんな態度を取る事があるのだと知って、吹雪は何故か嬉しくなる。
「だから、なんで笑ってるわけ?」
 不機嫌そうな千尋に対し、吹雪の楽し気な笑いは止まらない。
「大丈夫だよ」
「? 何が?」
「大丈夫だから、大丈夫なの」
 まぶしいくらい笑顔を、吹雪は千尋へと向けた。
「吹雪ちゃん……」
 思わず呆然としながら千尋は吹雪を見つめた。
 この笑顔を見た途端、心の中にあった息がつまりそうなくらいのもやもやしたモノが全てなくなる。吹雪の笑顔ひとつでこんなにも気分がすっきりする。
 吹雪のこの笑顔はさっきとは違う。これが吹雪の本当の笑顔で、自分だけの笑顔なのだと、確信を持って千尋はそう思う。
 今度は千尋が笑う番だった。
「そっか……。大丈夫、なんだな」
「そうよ。大丈夫なんだから」
 千尋のつぶやきに吹雪は同じように応える。
 吹雪の自信たっぷりな言葉に千尋は嬉しくなる。自分が不安に思う必要など全然なかったのだ。
 すっと千尋の手が吹雪の肩へと回された。
「吹雪」
「なに?」
 軽く隣を見上げて見れば、静かな千尋の微笑みが吹雪の瞳に映る。
「好きだよ」
 夕陽の茜色以上に、吹雪の頬が赤く染まった。


                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

いつもと違う雰囲気で、珍しく嫉妬するちーさんです。
最後の一言は入れるかどうしようか迷ったんですが、素直に言ってもいいかなってことで
入れてみました。
吹雪ちゃんの勝ちかなぁと思いつつ、やっぱり最後はちーさんの勝ちってことで♪
そういえば、元副委員長の伝言、吹雪ちゃんに伝えてませんね。
ちーさんのことだから、最初は伝える気はなかったかも(^^;)
でも吹雪ちゃんが大丈夫と言った後は、ちゃんと伝える事ができるでしょうね。

    

   

  


 

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