Scene37 思惑
(『おまけの小林クン』より)


 昼休みが半分ほど過ぎた頃だった。
「ねぇ、ちょっといい?」
 そう言って千尋に近づいて来たのはあげはだった。
「そっちから声かけるなんて珍しいね。何? デートの誘いなら間に合ってるけど」
 『罠の掟』と題された本を閉じて、千尋は顔を上げた。その時瞳に映ったのはものすごく不機嫌そうなあげはの表情だった。
「誰がアンタをデートに誘うのよ。こっちからお断りよ、バカらしい。そうじゃないわよ」
「だったら何?」
「……場所、変えない?」
 それだけ言うとスッとあげはは教室を出て行った。
「承諾した覚えはないんだけど、ま、いいか」
 千尋は素直にあげはの後について行った。
 あげはが選んだ場所は人の気配のない屋上だった。
 昼休みにも関わらず、今日に限って他の生徒はいなかった。
「で、何?」
 千尋は面倒くさそうに訊いた。
 背中を向けたまま、あげはが小さくつぶやく。
「……悪かったわ」
「は?」
 千尋は一瞬何を言われたのかわからなかった。
「悪かったって、謝ってるのよ!」
 怒鳴るようなあげはの言葉は、どう聞いても謝罪しているようには思えなかった。
 だからといって千尋はそれを気にするふうでもない。
「あげはちゃんに謝られるようなことあったっけ?」
「修学旅行でのあの一件よ」
「……あぁ、アレね」
 すっかり忘れていたことを思い出したかのように、千尋はうなずいた。
「今さらアノこと持ち出して来て、一体何を言いたい訳?」
「……」
 千尋の質問にあげはは答えない。
 今頃になって過ぎたことを持ち出されても、千尋にとってはもうどうでもいいことだった。
「謝りたいっていうなら聞いておくけど。謝るだけならもうイイでしょ。もっとも謝っているようには聞こえなかったけどね。じゃ、俺はもう教室に戻るよ」
「待って」
「何?」
「吹雪、この件のこと気にしていたから」
「?」
「あの時、何も気にしてないようにしていたけれど、吹雪は気にしていたわ」
「どういう意味?」
「間違ったとはいえ、アンタが私とキスして、それなのにアンタがそれに対して平気でセンセに報告したからよ」
「言ってる意味、わからないんだけど?」
 話の流れがどうもよくわからない。
 あげはの謝罪、吹雪が気にした件、燕センセへの報告、これが一体どうつながるのだろう。
「じれったいわね。普段察しがいいくせに、何でわからないのよ?! 普通好きな男が自分以外の他の女とキスしたらショックでしょう?! しかも普通自分でそういうこと言う?!」
 一瞬変な間があく。
「……好きな男って俺のこと?」
「他に誰がいるのよ!」
「他の女?」
 千尋はあげはを指差す。
「確かめるまでもないでしょう! 普通、こういうことあったら隠さない? 私は吹雪にアンタとキスしたなんて言わなかったのよ? ただ部屋に忍び込んで、ベッドに潜り込んだらセンセじゃなくてアンタがいたってことしか言ってないの。それなのに、アンタは平気な顔で唇奪われたとか言って。吹雪がどう思うか考えなかったの?! 吹雪は私とアンタがキスしたこと気にしてんのよ!」
「……」
 千尋はどこか驚いた表情のまま、言葉を失っていた。
「あんなにはっきり言うから私もあんなふうに言ったけど、本当は吹雪には知られたくなかったわ」
 あげははふぅと重くため息をついた。
「アレ以来、吹雪はなんか沈んでいるのよ。そう思われないようにはしているけどね。あんたが私とキスしたなんて知ったら当たり前よね。私とアンタがどうにかなるわけないけど、吹雪は気になって仕方がないのよ」
「吹雪ちゃんが気にしてる……」
「最近の吹雪、アンタのことを避けてるでしょう? アンタが原因だとしてもきっかけをつくったのは私だから、だから謝ったのよ」
 あげはは決まり悪そうに視線を千尋からそらして、そして背を向けた。
「で、でも、なんだってあんなふうに言ったのよ? 知らないなら知らないでいいって事もあるのに」
 そんなあげはの質問に、いつまで経っても応えがない。思わずあげははイライラして振り返った。
「ちょっと、何ぼぅっとしてるのよ。人の話聞いてる?」
「……」
「どうしてキスしたこと言ったのよ? 吹雪のリアクションが見たくてあんな事言ったなんて言わせないわよ。吹雪の性格で、ショックだったことを素直に表に出すと思う? 吹雪のことだもの、平気な顔で気にしないフリするだろうことなんてわかり切ってるじゃない。それなのに……」
 あげはの言葉の途中で、千尋は割り込んだ。
「わかってる。でもそれでも吹雪ちゃんの反応が見たかった」
「えっ?」
「吹雪ちゃんの気持ちがどこにあるか全然わからない。小林クンへの好きは本当に恋愛のそれなのか? 健吾クンと何かあったはずなのにそれが何かわからない。でも確実に吹雪ちゃんの中で健吾クンの存在が大きくなっているのがわかる。だったら俺は? 吹雪ちゃんの中に俺はちゃんと存在しているのか?」
「……」
「他の女とキスしたって知ったらどう思ってくれるか知りたかった。どんな反応でもいい、少しでもいいから俺が吹雪ちゃんの中に存在しているっていうことが知りたかった」
「……」
 千尋の想いにあげはは何と言って良いのかわからなかった。千尋の顔を見つめたまま立ちすくんでいた。
 千尋は千尋なりに考えている。それが結果としていいのか悪いのかは別として。
 どれくらい時間が経っただろうか。
 視線を交わしたままの2人の時間は一瞬だったのかもしれないし、長い時間だったかもしれない。少しだけ微妙な間だった。
 やがて先にその時間を動かしたのは千尋だった。
 真剣な表情が、いつの間にかにやりと口元に笑みが浮かんでいる。
「……って俺が言ったら本気にする?」
「!」
 あげはは千尋の飄々とした態度に怒りを覚えそうになった。一瞬怒鳴りつけたくなったのだが、それをなんとか押しとどめる。
 何故なら、さきほどの台詞が冗談だとは思えなかったから。
 ごまかそうとしているけれど、きっと本心なのだろう。
 千尋のようなタイプは、時としてちゃんと言葉を欲しがるように思える。
 例え吹雪の気持ちがどこにあるかを態度でわかっていても。
 面倒な性格だと、あげはは思った。
「ねぇ、吹雪の気持ちがどこにあるかわからないって、本気で思ってる訳?」
「さぁてね。でも吹雪ちゃんの口から俺のこと『好きだ』とは聞いた事ない。俺は何度も言ってるのにね」
「それって吹雪にちゃんと伝わってないんじゃないの? そういう台詞言う時は、時と場所と前後のシチュエーションってものを考えなさいよ」
「時と場所と前後のシチュエーション、ね。心しておくよ」
「なんか謝って損した気分だわ。でも今後は吹雪を試すような事はしないでよね! いいわね?」
「とりあえず、あげはちゃんの言葉は覚えてておくよ」
「あ、吹雪にはちゃんと謝っておくのよ!」
「何で?」
「吹雪にイヤな思いさせたでしょ! 自覚しなさい!」
「今日のところはあげはちゃんの言葉に従うとしますか」
「アンタと話をしていると、なんだかヤな気分になるわ」
 そうして、あげはは先に屋上を後にしようとして歩き出した。
「あげはちゃん」
「何よ?」
「わざわざ謝ってもらってどうもアリガト♪」
 千尋はいつもの微笑みをあげはに向けた。
 あげはは一瞬その微笑みにドキリとする。しかしすぐにどこか危ない気がして、自分を取り戻す。
「い、言っておくけど、私はアンタが吹雪に相応しいとか全然思ってないからね! こんなことするのは今回だけなんだから!」
 あげはは慌てて駆け出す。
 初めて真正面から千尋の微笑みを見て、今になってやっと女のコ達が騒ぐのがなんとなくわかる気がした。
 あげはは屋上から校内へと入るドアを開け、階段を数段降りる。まだ少しだけドキドキしていた。
 小さく深呼吸をしたその時、前方にふと誰かがいるのに気がついた。
「吹雪……」
 あげはの顔を見た途端、吹雪の表情が気まずいものに変わる。
 明らかに見られたくないところを見られたといった表情である。
 きっと屋上へ行こうかどうしようか迷っていたのだろう。
「あ、えっと、あげはと千尋が一緒に屋上行くの見えたからちょっと気になって……。い、いや、そうじゃなくて、アンタ達2人にしたらケンカでもするんじゃないかと思って心配になったのよ! ねぇ、ケンカしてないでしょうね?!」
 何かをごまかすかのように吹雪は少し慌てながらそう言った。
「ケンカなんてしないわよ」
「そ、そう? ならいいけど」
「アイツまだ屋上にいるわよ。行ったら?」
「えっ?」
「吹雪に話があるって言ってたわ」
「話?」
 吹雪は何故か一歩退く。千尋からの話というのにためらっているようだった。
「ちゃんと聞いておいた方がいいわよ。逃げてたってどうにもならないんだから」
「あ、あげは? 私は……」
「早くしないと昼休み終わっちゃうわよ。私は先に教室戻るから」
 あげははそう言うとゆっくりと階段を降りて行く。すれ違い様にトンッと背中を押す。そしてあげはは吹雪の顔を見ないまま歩いて行った。
 少し間が置かれた後。背後からドアが開き、そして閉まる音が聞こえて来た。
 どんな場合でも『時と場所と、前後のシチュエーション』というタイミングが必要で。
 あの2人にとって今は絶好のタイミングではないだろうか。
 これで想いを伝えられなかったら……。
 あげはは首を左右に振る。
 これ以上つき合うつもりはない。
 あとは2人でどうにかすればいい。
 なるようにしかならないし、どうにもならなかったらそれは2人のせいなのだから。
 ふいにあげはは腕時計を見た。
 まだ昼休みが終わるまで時間がある。
 あげはの足は、自然と家庭科準備室へと向かって行った。

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

依然として私がこだわっている修学旅行でのちーさんとあげはちゃんの某シーンネタ。
このシーンのネタについてもう触れるつもりはなかったのですが、なんとなくネタが
浮かんで来たので書いてしまいました。
本編では吹雪ちゃんは全然気にしてないんだけど、私としてはちょっとだけでもいいんで
意識して欲しかったです(^^;)
これで相手がけんさんだったらもっと違っていたのかしら?
とにかく、ちーさんがこんなことを考えていたかどうかは全くもって不明ですが、ちーさんにはちーさんの思惑があったということにしておきまましょう。
でも、やっぱり普通言うかね、センセイに(^^;)
屋上で、ちーさんと吹雪ちゃんが何を話したか、それはまた別のお話(?)

    

   

  


 

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