Scene35 幻桜風景
(『おまけの小林クン』より)

注1:これはSS4、SS14の続編にあたる物です。もし読んでいない方はまずSS4、SS14をお読みください


 ひらひらと絶えまなく桜が舞う。
 上も下もどこを見ても薄紅色の世界。
 目の前に広がる幻想的な世界は、どこか現実以外の場所に迷い込んでしまった感じがした。
 春。
 あたたかな風が吹く午後。
 吹雪は待合せの時間よりもちょっと早くこの場所に着いた。
 ここは千尋が指定した場所。
 とある大きな公園へと続く道。車道ニ車線分ほどの幅のあるその歩道の両脇に、等間隔に植えられた桜が並んでいる。どの樹も薄紅色の花が見事に満開で、知らず視線を奪われる。
「綺麗だなぁ……」
 思わず口から感嘆の言葉がもれる。
 今日は何故か吹雪以外は誰もそこにいなかった。
 桜の名所であるにもかかわらず。
 しかし吹雪はそんなことを気にせず、桜に魅入られたように視線を桜並木に向けていた。
「ふっ、ぶっ、き♪」
 静かな空間に、突然聞き慣れない、いや、聞いたことのある女のコの声が耳に飛び込んできた。
「わっ?!」
 誰かに背後から抱きつかれ、吹雪は大きな声をあげて驚いた。
「やだ、吹雪ったらそんな驚かないでよ」
 振り向けば、あどけない笑顔の少女が吹雪を見ていた。
 金茶の長い髪に薄茶の瞳、白いワンピースを着たその少女に、吹雪が会うのは久しぶりだった。千尋に固執し、千尋と吹雪との仲を望んでいる少女。
 吹雪は、名前も正体も謎な彼女に、それを追求しようとはしなかった。吹雪にはどこかわかるものがあるような気がして、それと同時に聞いてはいけないという思いがあったのである。
「あ、あんたねぇ、突然現れないでよ!」
 吹雪は思わず後ずさり、少女を軽くにらむ。
「元気だった? 吹雪」
 少女は昔から知っている友達のような口調でそう言った。
「元気は元気だけど……」
「そ。良かった」
 短くそう応える。その後は無言だった。特別吹雪に何かを言いたい素振りもない。しばらく吹雪をじっと見つめていた少女は、ふっと薄紅色の空間に目を向けた。
「綺麗な桜よねぇ」
 少女は白いワンピースの裾をふわりと揺らしながら桜吹雪の中をくるくると回る。楽しそうに桜の花びらと戯れる姿。吹雪は思わずその姿に見入ってしまった。
「ねぇ、知ってる? 桜の木の下には死体が埋められてるって」
 足を止めた少女が吹雪を見る。
「な、何言い出すのよ?」
「恐い? 桜の薄紅は血を吸ったから、って聞いたことない? あのね、吹雪にだけ教えてあげる。あっちの端から4つ目の木の根元にね、実は私の……」
「や、止めて! 私、このテの話苦手なんだってば!」
 耳を押さえながら頭をブンブンと振る吹雪に、少女は思わず笑い出す。
「嘘よ、嘘。こんな人がよく通るところに死体なんて埋められるわけないじゃない。吹雪ったら意外に恐がりなのね」
 少女は楽し気にクスクスと笑う。
 単純な嘘に慌てた自分が恥ずかしくて、吹雪は少しだけ怒った口調になる。
「で、なんで私の前に現れたのよ?! 今回は別に千尋の事であなたに責められるようなことしてないわよ!」
「うん、わかってる」
 また何か責められるのかと思って身構えていただけに、あっさりとした少女の返事に吹雪は一気に拍子抜けする。
「え、じゃ、なんで……?」
 吹雪の質問に一瞬の間があく。吹雪から視線をそらした彼女は、以前会った時とどこか感じが違う気がした。
 少女は大きな桜を見上げる。
「ただね、桜が咲く時季にここに来たかっただけ」
「桜が咲く時季にここに?」
「そう。ここ、思い出の場所なの。千尋と一緒に最後に来たところ。春を過ぎた頃からもう遠くへは行けなくなったから」
 桜を見上げる少女の瞳が、どこか淋し気に見えた。
「私と千尋はここが最後の思い出の場所になったけど、吹雪にはここがこれからも増えていく千尋との思い出の場所のひとつになるんだね」
 吹雪に返事を求めるわけでもなく、つぶやく少女。吹雪はただ彼女を見つめていた。そんな吹雪に気がついた少女は、少し肩をすくめた。
「やだなぁ、何でそんな顔してるの? あ、もしかして気にした? 私に千尋との思い出がもう増えないってこと。でもいいの。吹雪が千尋との思い出を増やしてくれるでしょ? だから全然平気」
「……」
 吹雪は何も言えなかった。
 増えない思い出と、増え続けていく思い出。それは彼女と自分との違い。
「これからずっと千尋の隣にいるのは吹雪なんだよ。過去は過去として時々思い出せばいい。千尋も吹雪も未来に向かっているから。この桜が散っても来年また咲く。その時、私が見れない分、吹雪が千尋と一緒に見てくれれば私はそれが嬉しいから」
 たとえ一緒にいられなくても、一番大切な人がしあわせならそれでいい。自分とのことが思い出であるのはしかたがないこと。だから望むのは、千尋の好きな吹雪がいつまでも千尋のそばにいてくれること。
 千尋のしあわせだけが望み。
「吹雪にもうひとつだけお願いしていい?」
「何?」
「来年も再来年も、春になって桜が咲いたら千尋と一緒に見に来て。そしてその時ほんの少しでいいから私のことを思い出して」
「それだけで、いいの?」
「じゃあもうひとつ。ずっと千尋のそばにいてね。私にはもうできないから」
 少女は少しだけ肩をすくめて、小さく笑った。
「わかった。私があなたの分まで千尋のそばにずっといる」
 はっきりとした口調で吹雪は少女に告げた。その瞬間、少女は安心したかのようなやわらかい優しい微笑みを吹雪に向けた。
「ありがと」
 心に引っ掛かっていた何かがなくなったような、すっきりとした笑顔だった。
「ねぇ、吹雪。髪伸ばさないの?」
 突然少女は吹雪に訊いた。
「どうして?」
「千尋、長い髪の方が好きよ」
 少女はこっそりと吹雪の耳元でささやく。
「じゃ、私、いくね」
 楽しそうに微笑みながら手をひらひらと振った後、少女は歩き出した。
 吹雪は何も声をかけられなかった。ただじっと立ったまま少女を目で追う。
 桜吹雪の中、少女はまっすぐに歩いていく。
 その時。
 少女が向かう先から、誰かがこちらに向かってきた。
 遠目でも吹雪にはそれが誰だかすぐにわかる。
 待合せ相手……思い出を一緒に作り続けていく相手……千尋である。
 千尋も遠目ながらに吹雪がわかったのか、少し歩くのを速めた。 
 千尋の視線の先には吹雪しかいなかった。だから向かってくる少女の顔も姿もよく見ていなかった。
 少女と千尋がすれ違うのを、吹雪は黙ってみていた。
 ふわりと少女の金茶の髪が風に流れた。
 少女が通り過ぎた瞬間、千尋の心がふいに締めつけられるような感じがした。
 トクン。
 心が締めつけられたと思ったのは一瞬で、それとは違うあたたかいものが心に流れ込んでくる。
 思わず足が止まる。
 どこか悲しくて、それでいてどこか懐かしい何かが感情に沸き起こる。
 千尋はハッとして振り向いた。 
 たった今すれ違った少女の後ろ姿が瞳に入る。
 その時、突然風が吹き、さらに桜吹雪が激しくなる。あまりの風に一瞬瞳を閉じた。
 すぐに風は止み、再び瞳を開けると、そこにはもう誰もいなかった。
 一瞬だけ見えた後ろ姿。それに見覚えはない。けれど、知っているような気がする。
 両親よりも友達よりも、誰よりも近しい気配を感じた。
 彼女が誰かを確かめたい気持ちになったけれど、不思議に後を追う気持ちにはなれなかった。
 千尋は再び前を見て、歩き出した。
「吹雪ちゃん、お待たせ」
 吹雪だけに見せる笑顔で千尋は吹雪の前で立ち止まった。
「吹雪ちゃん?」
「えっ? あ、千尋」
「どうかした? 何かあった?」
 心配そうな千尋の表情が吹雪の瞳に映る。
「えっ? どうして?」
「泣いてるから」
「泣いてる? え、何で?」
 吹雪は理由がわからずおろおろする。自分が泣いているのに気がつかなかった。
 涙の理由は何だろう。
 千尋が彼女とすれ違う瞬間に何かを感じ、振り向いたからだろうか。
 千尋が彼女に気がついたのが嬉しくて。
 それとも、彼女の最後の『いくね』の言葉が『逝くね』に聞こえたせいだろうか。
 もう会えないかもしれないと思ったから。
 吹雪はそっと瞳を閉じて、千尋の肩にもたれかかった。
 千尋は少しだけ不思議そうな顔をしたけれど、そっと吹雪の髪を優しく撫でた。
「吹雪ちゃんの泣き顔なんてめったに見られないから得したかな」
 頃合を見計らって千尋はそう言う。 
 泣いた理由を訊かず、ふざけたように言ってくれるのが嬉しかった。
 今はまだ何と説明していいのかわからない。けれど、いつか千尋にもわかってもらえる時が来ると思う。
 信じられることではないけれど、夢でも幻でもない。
 確かに彼女はいたのだから。
「ねぇ、千尋」
「何?」
「今度ラッシーの話、聞かせてくれる?」
「ラッシーの話を?」
 突然出て来た愛犬の名に、一瞬千尋は言葉につまったが、小さく微笑んだ後、うなずいた。
「いいよ。吹雪ちゃんには知っていてもらいたいし」
 そう言って、千尋は吹雪の肩に手を置く。そしてゆっくりと歩き出す。
 吹雪はほんの少しだけ千尋にもたれかかったまま、薄紅色の中を歩き出した。

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

春のネタで何かを書こうと思っていたら、こんな話になりました。
擬人化や不思議な話は好きなので少女の登場もこれで3回目となりました。
次は……どうなるかな。10本後くらいにまた登場するかも(4、14、35となったので/笑)
さて、ラッシーの話を聞きたいと言った吹雪ちゃんに『いいよ』と答えたちーさん。
亡くなったラッシーの話をするのは抵抗あると思うんですよ。でも、吹雪ちゃんだからこそ
知っていて欲しいと思います。
ラッシーはちーさんにとって大切な存在であって自分の一部みたいなものでしょうから、
吹雪ちゃんにはラッシーのことを話すのと同時に自分のことを話すことになるのだと思います。
自分のことを話せる相手は吹雪ちゃんだけだということで、『いいよ』と言えたのでしょう。
ちーさんが大切にしていたことを吹雪ちゃんも大切にして欲しいと思いながら書きました。

    

   

  


 

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