Scene31 Sweet Heart
(『おまけの小林クン』より)


 2月14日。
 女のコにとって、その日は決戦である。
 この日のためにどんなチョコを用意しようかと、もう何日も前から準備する。
 市販品でも一番美味しいと思うものを吟味し、手作りならなおさら素材にも気を使い美味しいものを作ろうとがんばる。
 もちろん気合いが入るのはチョコだけではない。
 好きな男のコの瞳に、一番可愛い自分が映るように、自分なりの演出を用意する。
 髪型を変えたり、リップの色を変えてみたり。
 気合いが入り過ぎていると思われないようにさりげなく、適度に気合いを入れるのもポイントである。
 たかがバレンタインデー、されどバレンタインデー。
 その日の女のコは大変なのである。 
 がんばれ、女のコ。

◇ ◇ ◇

「ほぉら、小林クン、美味しいチョコだよ」
「ち、千尋クンがボクにくれるの?」
「そうだよ。俺が小林クンのために用意したんだよ♪」
 大和はどきどきしながら千尋が差し出した箱を受け取る。
 透明なクリアボックスの中には、見たところ何の問題のなさそうな普通のトリュフが4つ入っている。
「こ、これ、普通のチョコ、だよね?」
 少し警戒ぎみにチョコを見る。
「もちろん普通のだよ。食べてごらん」
 にっこりと笑いかけられ、思わず大和も笑顔になる。しかし、やはり千尋の用意したチョコである。何があるかわからない。それでもせっかく用意してくれたものだからと、大和は恐る恐るトリュフを1つ口に入れる。
「ち、千尋クン、これ何入ってるの? 美味しいけどなんかピリピリするよ」
「それはね、黒こしょうのトリュフだよ。たっぷり黒こしょうが入っているから、全部食べてね♪」
「黒こしょう?! なんで、そんなの入っているのよ〜」
「ワサビとかマスタードとか唐辛子の方がよかった?」
「だからどうして辛いものが入るの〜」
「じゃ、俺、帰るから。それは俺からの愛だからちゃぁんと全部食べてね、小林クン♪」
「う、う〜ん、み、水〜」
 楽しそうな笑い声を残し、いつものカバンを1つだけもった千尋は教室を出て行った。
 それと同時に、もう一方の出入り口から吹雪が入って来た。
「そういえば、千尋クン、チョコもらった様子がないよね」
 クラスの誰かが言い出した。
「去年なんか紙袋2つは確実に持ってたよな」
「今頃靴箱にたくさんはいってるんじゃないの?」
「家の前で待ち伏せされたりとか」
 本人がいないのをいいことに、好き勝手に言っていた。
 男子がそんなことを話しているのに聞き耳を立てながら教室を見渡した吹雪は、教室の中に千尋がいないのに気づいた。
「あ、ねぇ、小林千尋は?」
 すぐ近くにいた日影に吹雪は訊く。
「千尋クンならちょっと前に帰ったよ」
「あ、そ」
 吹雪はそう言うと、すぐにカバンと紙袋を持って教室を出て行った。
 少し急ぎながら靴箱へと向かう。
 ちょうど廊下の角を曲ろうとした時だった。
「小林千尋さん、ちょっといいですか?」
 かわいい女のコの声が吹雪の耳に飛び込んできた。思わず角を曲らずに止まる。
 こっそりと角の向こうの様子をうかがうと、背中を向けていた千尋の向こう側に、髪の長い小柄な女のコが立っているのが見えた。
「あ、あの、これ、よかったら受け取ってもらえないかと……」
 顔を真っ赤にした女のコはピンクのリボンできれいにラッピングされた箱を千尋の前に差し出した。
 チョコだ。
 吹雪はすぐにそう思った。
 クラスの誰かが今年の千尋はチョコをもらった様子がないといっていたが、ただの思い違いじゃないの、と心の中で文句を言いながら吹雪はため息をついた。
 千尋はチョコを受け取って、『ありがとう』とでも言うのだろう。
 千尋がチョコをもらうのはわかり切っていたことだから仕方がないが、そのシーンは直接見たくはなかったなと思った瞬間だった。
「ごめん」
 えっ?
 予想外の答えに吹雪の方が驚いて声をあげそうになった。
 千尋は来るものは拒まず的な感じで毎年チョコを受け取っていた。それなのに、断わりの一言。
 何故?
「受け取ってくれるだけでいいんです」
「悪いけど、受け取れない」
「で、でも……」
 きっぱりと断られても、相手の女のコも簡単には引き下がらなかった。今日のこの日バレンタインデーのために一生懸命用意して渡す決心をしたのだろう。簡単に諦められるはずがない。
「どうして受け取ってくれないんですか?」
 真剣な瞳で女のコは千尋を見上げる。
「……俺、好きなコいるから。だからもう好きなコのチョコしか受け取らないことにしたんだ」
 そう言われて、ふいに女のコの瞳の端に涙が浮かぶ。それ以上涙がこぼれないように我慢しながら、女のコはチョコを持っていた手を下ろした。
「そう、ですか。わかりました」
 がっかりとした力のない声が吹雪の耳にも届く。
「残念だけどハッキリ言ってくれてすっきりしました。それじゃ」
 一言言い残して、女のコはパタパタと走っていった。
 好きなコのチョコしか受け取らない。
 千尋は確かにそう言った。
 好きな女のコ、いたんだ。
 吹雪の心に何故か何かがちくりと刺さった気がした。
「ふっぶきちゃん」
「うわぁっ」
 突然耳もとで名前を呼ばれて、思わず驚いて声をあげる。
「何驚いてンの? で、何してンの、こんなところで」
「あ、え、別に……。そ、そう、帰るところよ」
「なんだ。俺を追ってきたのかと思ったのに」
 千尋はちょっとつまらなさそうな顔をした。
 本当は千尋の言う通り、千尋の後を追って来たのだがそんなことは言えない。
「何それ?」 
 突然ひょいと千尋は吹雪が持っていた紙袋を取り上げた。
「あっ! ちょ、ちょっと返してよ!」
「中身何? あ、もしかしてチョコとか?」
 千尋はからかうようにしながら紙袋を吹雪から遠ざけようとする。
「そうよ! だから返して」
 吹雪がそう言った瞬間、千尋のその表情がふいに曇った。
 本気で取り戻そうとする吹雪の様子に、千尋の心が締めつけられる。
 吹雪は真っ赤になりながら奪うようにして千尋の手から紙袋を取り戻した。
「人のもので遊ばないでよ、まったく……」
 小さな声でぶつぶつと文句を言いながら吹雪は紙袋をしっかりと抱え込んだ。
「……健吾クンなら図書室行ったみたいだよ」
 突然冷めた声が聞こえてきた。
「? どうして健吾の名前が出てくるわけ?」
「それ、健吾クンにあげるチョコじゃないの?」
「ち、違うわよ!」 
 吹雪は慌てて否定する。 
「じゃあ、小林クンだ。あれ、まだ小林クンは教室にいたんじゃ……」
 そう千尋が言いかけた時、吹雪は押し付けるように千尋に紙袋を差し出した。
「……中身よく見なさいよ」
「中身? いいの?」
 吹雪はこくんと頷いた。
 千尋は改めて紙袋を受け取って中身を見た。
 紙袋の中にはいろいろな形の箱のチョコが入っていた。
 よく見ると、どのチョコも同じメーカーのチョコだった。
「これ、全部ロイズのチョコ?」
「そうよ。アンタがロイズのチョコがいいっていったんじゃない。アーモンド入りのって」
「この箱は?」
「期間限定のロックチョコ。店頭でしか売ってないって。そっちの黄色い箱のは4種類のナッツが入った細長いチョコなんだって」
「こっちの円筒形のは?」
「アーモンドを丸ごとチョコでコーティングしてるんだって。黒い箱のがビターで赤い方がミルク」
「よく揃えたね」
「わざわざ北海道の知り合いに頼んで送ってもらったのよ。アーモンド入りの全部買って送ってって」
「俺のために、わざわざ頼んでくれたんだ」
「指定するならもっと買いやすいチョコ指定すればいいのに。ロイズなんてこのへんで買えないじゃないの」
「それでも吹雪ちゃんは揃えてくれたんだよね」
 千尋はやわらかい微笑みを吹雪に向けた。
「……」
 どうせ用意するなら千尋の好きなチョコを用意したかった。少しくらいの手間など何の問題もない。
 ただ、今年の千尋は好きなコからしか受け取らないと言っていた。
 せっかく千尋のために用意したチョコだったが、無駄になってしまうんだろうなと吹雪は思った。
「ありがとう」
「えっ?」
「何、驚いてるの? このチョコ、俺にくれるんでしょ?」
「そ、そうだけど。受け取ってくれるの?」
「受け取っちゃダメなの?」
「ダメじゃないけど。本当に受け取ってくれるの?」
 もう一度念を押すように吹雪は訊く。
「もちろんだよ。吹雪ちゃんからのチョコを受け取らない理由は何もないよ」
 微笑む笑顔はいつもと同じように見えるが、吹雪の目には千尋が本当に喜んでくれているように見えた。
「あ、ありがと」
「お礼を言うのはこっちでしょ。変な吹雪ちゃんだな」
 受け取らない理由がないと言ったが、それなら受け取った理由はあるのだろうか。
 千尋が受け取ってくれたということは、そういう意味として取っていいんだよね?
 ちゃんとした返事が欲しかったわけじゃなく、ただ口には出さずに心の中でこっそりと訊く。
 吹雪は千尋がチョコを受け取ってくれたのが嬉しかった。
「種類がいろいろあるけど、どれが美味しいんだろうね」
「どれだろ、知り合いはどれも美味しいって言ってたけど」
「吹雪ちゃんも食べたことないんだ?」
「ないわよ。このへんでは買えないって言ったでしょ」
「じゃ、うちで一緒に食べない?」
「えっ?」
「食べたいでしょ、吹雪ちゃんも」
「それはもちろん食べたいけど……」
「じゃ、決まり」 
 千尋はにっこりと微笑む。
 その笑顔を見た時、吹雪の心がふわりとあたたかい何かに包まれた感じがした。 
 


  

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

はい、私が北海道の知り合いです(笑)
というのは置いておいて、突然神様が舞い降りて出来たSSです。
御存知の方もいるかと思いますが、出てきたロイズのチョコは全部実在のものです。
バレンタイン用の生チョコもあったんですよね。
ミルクチョコのベースに生クリームとアーモンドペーストを練り込んだ『ジャンドゥーヤ』。
生チョコは冷蔵しておかないといけないので、吹雪ちゃん経由でちーさんのところへ届けるにはちょっと時間がかかり過ぎると思ったので止めました。
ロイズはチョコ、いやクッキー等どの商品も美味しいんですよね(う〜、食べたくなってきた)
北海道にお越しの際はぜひちーさん御指定のロイズを御賞味くださいませ。
あ、決して私はロイズのまわし者ではありません(笑)
ちなみに、ちーさんが大和クンにあげた『黒こしょうのトリュフ』。
実はこれも実在します。テレビの料理番組で作ってました。
黒こしょうをホントにチョコの中に入れてました。
試食の時には何だかピリッとすると言ってましたが、どんなお味なのやら……。
たぶんちーさんなら分量の倍以上の黒こしょうを入れて作ったことでしょう(笑)

    

   

  


 

●感想はこちらからでもOKです。ひとことどーぞ♪     

お名前(省略可)            

感想