Scene24 私のいる場所
(『おまけの小林クン』より)


 

 季節は秋と冬の間。
 朝晩は冷たい風が吹くが、それでも昼間太陽が出ている間は暖かい。
 木々の葉は紅や黄金色へと変わり、ひらひらと落ちて行く。
 ちょうどこんな季節の変わり目である今頃、体調を崩す者も少なくなかった。
「あれ……、なんかふらふらする……」
 授業が終わり、クラスのみんなから集めたノートを担任の燕に渡し、教室へと戻ったところで吹雪はつぶやいた。
 朝から体調が悪かったのは自覚していた。少しくらいなら無理しても大丈夫だと思ったのだが、やはり放課後のこの時間となるとそれはさらにひどくなってきているらしい。
 つい気をゆるめると、目の前がぐるぐる回っているような気がしてきた。
「早く帰って寝よ……」
 カバンを持って歩き出そうとした時だった。急に全身の力が抜けて行く感じがして、一瞬目の前が暗くなる。
「あぶない!」
 今にも倒れそうになった吹雪を支えたのは千尋だった。
「あ、あれ? 千尋?」
「何してんの。こんなところで倒れたら、机の角に頭ぶつけるよ」
 千尋はポンポンと吹雪の頭を軽く叩いた。
 その間、吹雪はぼぉっと千尋の顔を眺めていた。誰もいないと思った教室にどうして千尋がいるのかと、不思議に思いながら。
「何? 俺の顔黙って見つめたりして。吹雪ちゃんが俺に見とれてる訳?」
「ち、違うわよ」
 慌てて吹雪は否定する。
 それに対して千尋は淋しいなぁとでもいうような表情をするが、いつものことだとでも思ったのかそれ以上は何も言わなかった。そのかわり、突然千尋は自分の額を吹雪のそれに合わせたのだった。
「見とれてないのに顔が赤いってことは、熱でもあるんじゃない?」
 すぐ目の前に千尋の顔が近づいてきたのに吹雪は一瞬驚いた。普段であれば、そんな千尋の行動を黙って受け入れることはしないのだが、今の吹雪は思考能力が低下している上、拒む気力もなかった。
「……やっぱり熱がある。俺の風邪が移ったかな?」
 そんなことあるわけないでしょ、と言おうと思ったのだがそれを口にはできなかった。
 どんどんと目が回り、とても立っていられなくなる。
 あ、まずい、と思った瞬間、吹雪の全身から力が抜け落ちた。
「吹雪ちゃん!」
 最後に届いたのは千尋の声。
 あとは真っ暗。

◇ ◇ ◇

 身体がふわふわと浮かんでいる気がした。力強くて、そしてあたたかい何かに守られているような、そんな安心さも感じる。
 瞳を閉じているせいか、何も見えない。けれど、自分は心地よい場所にいるのだと感じることができる。
 こんな場所が存在していたことに初めて気がついた。
 心地よくてずっとこのままでいたい。この場所を離したくはないと思った。
 そのうち誰かが自分を呼んでいるような気がした。その声もあたたかくてやさしい。
 そんな少しくすぐったいようなやさしい呼び掛けも、ずっと聞いていたいと思った。
 このままその声を聞いていたかったけれど、そのうち、その声にちゃんと答えなければと感じた。
 そしてあたたかい光に包まれたまま、瞳をゆっくりと開ける。
 最初に目に入ってきたのは優しい笑顔だった。
「……千尋?」
「目、覚めた?」
「あ、うん……」
 吹雪が返事をすると、千尋はホッとしたかのように微笑んでひとつうなずいた。
 気がつけば、白いベッドの上だった。
 2、3度まばたきをして見渡せば、薬の並んだ棚と黒板が目に入った。
「ここ、保健室?」
「ああ、そう。吹雪ちゃん倒れちゃったから、とりあえずここに運んだ。あ、寝てたのは30分くらいだよ」
 千尋の説明に、吹雪は自分がどうなったのかを理解した。
 もしかして、ずっとそばにいてくれた?
 そう訊こうとして吹雪は止めた。答えは聞かなくてもわかるから。
 自分を呼んでくれていたあのやさしい声は千尋なのかなと思った。
 ふと気がつけば、自分の右手が何かをつかんでいた。
 視線を移すと、握っていたそれは千尋の手だった。自分の手は千尋の指先をしっかりと握っていた。
「あ、私……」
 慌てて千尋から手を離した。
「あ、つまんないの。せっかく吹雪ちゃんと手をつないでいたのに」
 いつもの調子で半分ふざけたように千尋はつぶやく。
「も、もしかして、私ずっと千尋の手を……」
「そ。吹雪ちゃんったら離してくれないんだもん」
 そう言われた途端、吹雪の顔がカァッと熱くなる。それは具合が悪いせいで熱があがったのではない。無意識に千尋を求めていたようで恥ずかしくなる。なんだか千尋の顔がまともに見られなかった。
「ね、ねぇ、保健の先生は?」
 吹雪は慌てて話題を変えた。
「職員会議だって。目が覚めたら帰ってもいいってさ。起きれる?」
「あ、うん、たぶん」
 千尋の顔を見ないまま、吹雪は身体を起こした。身体は起こせたけれど、身体自体
はかなりだるかった。
「はい、吹雪ちゃん、口開けて、あーんして」
「な、何よ、突然」
「薬。起きたら飲ませてあげてって頼まれたから。だからあーん」
 千尋の手には白いカプセルが1つ。もう片方の手にはたっぷりと水の入ったコップを持っていた。
「まさか、罠薬、じゃないでしょうね?」
「あのねぇ、病人にそんなことしないって。それより、早く飲んで。ぐずぐずしてたら口移しで飲ませるよ」
 千尋はカプセルを自分の口元へと持って行く。
 これ以上ぐずぐすしていたら本当に口移しで飲まされそうだったので、吹雪は慌てて口を開けた。
 ぽいっと薬を口に放り込まれる。そして渡されたコップの水を一気に飲み干した。
「薬も飲んだことだし、そろそろ帰ろうか。送って行くよ」
「い、いい。一人で帰れる。これ以上アンタの世話にはならないって」
 吹雪は自分は大丈夫だと示すかのように慌ててベッドから降りて立ち上がった。
「無理することないのに。ほら、足下ふらついてるくせに。俺がこんな状態の吹雪ちゃんを放って帰れると思う?」
「で、でもホントに大丈夫だし……、あっ」
 むきになって吹雪は2、3歩歩き出した途端、吹雪は床にぺたりと座り込む。
「行ってるそばからこれだし。ほら、つかまって、吹雪ちゃん」
 千尋はすっと右手を差し出した。
 その手をつかんでいいのか、吹雪は一瞬躊躇った。一度つかんだら離せなくなるのではないかと思ったのだ。
 ほんの短い時間だったのだろうが、躊躇う吹雪に千尋はしびれを切らしたようだった。
「吹雪」
 呼び捨てで少し強めに名前を呼ぶ。
 そんなふうに呼ばれると、もう逆らえない。おずおずと吹雪は自分の手を千尋の手のひらへと乗せた。その途端しっかりと手を握られる。  
「もっと俺のこと頼ってよ」
「え?」
「そんなに俺は頼りない?」
「え、そうじゃないけど、でも、迷惑だろうし……」
「吹雪ちゃんのことで迷惑だなんて思わないよ。逆に頼られないことの方が俺は淋しい」
 吹雪は視線をあげて千尋の顔を見た。いつもは見せない真剣なまなざしがそこにある。
「ホントは朝から具合悪かったでしょ? それなのに我慢して、委員長の仕事して。そういう強気な吹雪ちゃんもいいけどね、無理しているのは見たくない」
 握られた手をそのまま引き寄せられる。
 すっぽりと吹雪の身体は千尋の腕の中におさまった。大きな手が吹雪の背に回される。
「俺が吹雪ちゃんを見ていること、そばにいることちゃんと覚えておいて」
 耳もとで囁かれる言葉。いつものおふざけでも冗談でもなく、千尋の本心。それが吹雪の心に伝わる。
「もしかして気づいてたの? 私が無理してたこと」
「気づかないと思った?」
 そうなのだ。今までも千尋はそうだった。小さなことでも千尋は気づいてくれた。さりげなさすぎて気づかないことが多かったけれど、どんな時でも千尋は自分を見てくれていたんだった。「あ、じゃぁ、さっき教室にいたのも偶然じゃなくて……」
 もしかして、私を待っていてくれた?
 最後までは言わなかったけれど、千尋には伝わっているはず。しかし、千尋の応えには若干の間があいた。
「……具合悪いくせにこんな時だけ勘がいいんだから」
 口調がなんとなくいつもと違って聞こえた。知られたくなかったことがばれてしまい、少しだけバツの悪い照れているような感じ。
 やっぱり待っていてくれたんだ。
 それに気づいた吹雪は、もう少しだけ身体を千尋に寄り掛からせた。
 吹雪の背に回された千尋の腕にも少しだけ力が入る。
「今日は殴らないんだね」
 いつもであれば触られただけでも手が飛んでくる。
「熱があるせいでしょ。今だけだよ、きっと」
 千尋の腕の中で吹雪はつぶやく。
 きっともう千尋を殴るようなことはないだろうと思いながら。
 ふいに吹雪はさきほどの夢を思い出す。
 あたたかくて安心できる心地よい場所にいた夢。
 その場所はここなのではないかと思う。  
 知ってしまったあたたかさをもう離したくはないと思った。
 その反面、誰かを頼るというのに慣れていない吹雪は本当は少し戸惑っていた。
 今までは誰かに頼られる方だったから。
 だから頼ってと言われてもどうしていいのか戸惑ってしまう。何をすればいいのかわからない。誰かに頼る方法を知らない。
 でも、それは本当は簡単なことなのかもしれない。
 こんなふうにちょっとだけ素直になればいいだけのことなのだ。
 いつでも迎えてくれる腕があるのだから。
「吹雪ちゃん、覚えておいて。吹雪ちゃんが頼ってもいい場所がここにあることを」
「うん。ちゃんと覚えとく。ありがと」
 誰もいない教室で、しばらくの間、吹雪は千尋の腕の中にいた。
「さてと、俺としてはこのままずっとこうしてたいけど、そろそろ行こうか?」
「ん」
 ゆっくりと千尋の腕から吹雪はその身を離した。
「で、おんぶとお姫さま抱っこ、どっちがいい?」
 千尋はにやりと口元に笑みを作る。急にいつもの千尋が戻ってきたようだったが、微妙に何かが違う気がした。お互いにちょっと気恥ずかしいのを隠すかのようだった。
「別にいいわよ、そんなことしなくても……」
 千尋を頼りたいとは思うけれど、やはりまだどちらも恥ずかしいと思ってしまう。
「まだちゃんと歩けないでしょ。あ、肩にかつぐってのはなしね。俺、健吾クンみたいにバカ力ないから」
 軽くウィンクする瞳が優しく見える。
 確かに身体がだるいのは事実であるし、足下がおぼつかない。
「答えないなら問答無用でお姫さま抱っこね」
「え、えっと、おんぶ、おんぶの方がいい!」
 おんぶとお姫さま抱っこ、どちらが恥ずかしくないかといえばやはりおんぶだろう。吹雪は慌ててそう答えた。
「つまんないなぁ。でも、まぁ、お姫さま抱っこは結婚式までとっておくことにするよ♪」
「な、なに言ってんのよ!」
 思わず吹雪は顔を赤くして怒鳴る。
 そんな先のことはわからない。わからないけれど。
 もしかするとそんな時が来るのかもしれない。もしも本当にその時が来たなら、その時は、たぶん、きっと大丈夫だと思う。 
 千尋の背の上に乗りながら、吹雪はそんなことを思っていた。
「ねぇ」
 ゆっくりと歩き出した千尋に吹雪は声をかけた。
「うん?」
「ちょっと思ったんだけど、さっき、倒れた私を保健室に運んだ時、どうやって運んだの?」
「あぁ、それはね……」
 千尋の背中にいる吹雪に、千尋の表情は見えないのだが、なにやらにやりと罠めいた笑みを浮かべているような感じがした。
 やはりお姫さま抱っこされたのだろうか。
「ふふ〜ん、教えないよ。吹雪ちゃんの思った通りじゃないかなぁ」
「ちょ、ちょっと、なによそれ、気になるじゃないの」
 吹雪は千尋の首に回した腕に力を込める。
「ちょ、ちょっと吹雪ちゃん、く、苦しいって」
「教えてくれるまで絞めてやるから」
 さらに腕に力を入れると、千尋はケホケホと咳し始めた。吹雪は強く絞め過ぎたのかと思ってすぐに慌てて手を離す。
「乱暴なんだから、吹雪ちゃんは」
「ご、ごめん……」
 しゅんとなる吹雪に千尋は声をかける。
「急に元気になったりして、気分は大丈夫なわけ?」
「だいぶ楽になったから。きっとさっき飲んだ薬が効いたのよ」
 本当はそれだけではないと思う。千尋のそばにいるから楽になったのだ。でもそれは言わない。
「それならいいけど。でも、もう少し大人しくしていてくれない? 背中から落ちてもしらないからね」
「うん。わかった」
 吹雪は素直に千尋の言葉に従った。
 少し千尋が歩き出してから、吹雪は自分の頭をそっと千尋の背中につけた。 
 腕の中同様に千尋の背もあたたかい。
 やはり自分が安心できるあの場所は千尋のそばなのだと確信する。
 吹雪は千尋の首に回した自分の手に力を込める。
 少しだけ、本当に少しだけ。
 今度はきつく絞めるのではなく、やさしくそっと……。

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

風邪ひき吹雪ちゃん、弱っているせいかちーさん攻撃が効いていますね(笑)
でも風邪なおったら全部忘れてるってこと……ないよね?(^^;)
小さな変化でも何かが違っていた時に気づくのが一番早いのはちーさんな気がします。
だから吹雪ちゃんが具合が悪かったのに気づいたのもちーさんが最初。もしかすると大和くんも気がついていたかもしれませんね、なんとなく。
今回のお気に入りシーンはお口あーんしてのシーンだったりします。
『スキの秘密』で罠栗誰も食べてくれなかったから、入れてみました。
罠栗でも罠薬でも、ちーさんにあーんしてなんて言われたらなんでも食べちゃうのになぁ(笑)
さて、倒れた吹雪ちゃんをちーさんはどうやって保健室まで運んだでしょう?
やっぱりお姫様抱っこかしら……。

    

   

  


 

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