Scene22 ずっとそばに
(『おまけの小林クン』より)


 

 もしも君が望むなら
 俺は君に全てを捧げよう
 もしも君が必要としてくれるなら
 俺が必ず力になる
 望むことはただひとつ 
 君が笑顔でいること
 そのためなら俺は何でもできるから
 世界の全てを敵にまわしてもかまわない
 いつだって、どんな時だって
 俺はいつでもそばにいる
 ずっと君のそばにいる

◇ ◇ ◇

 午後10時。
 突然電話が鳴り響いた。
 小ラッシーを膝に乗せ、『新・罠のススメ』という文庫にぱらぱらと目を通していたいた千尋が立ち上がる。
 机の上の携帯電話を手に取り、その画面を見たが誰の名前も表示されていなかった。
 こんな時間にかけてくるなんて誰だ、と思いながら千尋は電話に出る。
「もしもし」
『……』
 返事はない。
「もしもし? 誰?」
 少し口調を強めて言うけれど、やはり返事はなかった。
「いたずらだったら切るよ」
 そう言った時だった。
『……雪人です。小林吹雪の弟の』
 やっと聞こえるくらいの声だった。
 千尋は思ってもみなかった相手に驚く。
「雪人クン? どうしたの、こんな時間に。それよりよくわかったね、俺のナンバー」
 ごく少数の、特定の人にしか千尋はナンバーを教えていない。そのため、雪人からの電話は意外なものだった。
『姉の携帯のメモリの一番最初に入っていたので』
 小さな声で雪人は答えた。
「それで、どうしたの? 吹雪ちゃんには言えない男の相談でもしたくて電話した?」
 千尋は軽く笑いながらそう言う。しかし電話の向こうの雪人は黙ったまま。何かただならぬ気配が伝わってくるようだった。
「雪人クン?」
『あの、今から出て来てもらえますか?』
「えっ?」
 人を呼び出すにはもう遅い時刻である。それに、顔見知りとはいえそれほど親しいわけでもない雪人からの呼び出し。一体何だ、と一瞬思うが、勘の良い千尋はハッとするようにすぐに何かに思い着いた。
「吹雪ちゃんに何かあった?」
『……オレ達じゃ、ダメなんです。オレじゃどうすることもできないんだ。きっとあ
なただったら、だから、姉ちゃんを……』
 敬語だった雪人の語尾が変わっていく。千尋はそれだけで重大な何かが起こっているのを察した。
「どこへ行けばいい?」
 詳しい説明を求めず、千尋は場所を聞く。
「……N医療大学付属病院」
 千尋はすぐに駆け出した。

◇ ◇ ◇

『母が倒れたんです』
 
 飛び乗ったタクシーの中で、千尋は雪人から詳しい話を聞いた。

『仕事している最中に倒れて、救急車で運ばれました。それで家に連絡が来てオレ達も病院に行ったんです。母は精密検査していて会えなくて、そうしたら、それまで平気だった姉が急に取り乱して……』

 できる限りのスピードで走ってとタクシーの運転手に頼む。しかし今夜に限ってどしゃぶりの雨。タクシーは思うように早く進んではくれなかった。なかなか病院には着かず、千尋はイライラを募らせる。
 1秒が1分にも1時間にも感じられるように時間が経つのが長い。
 いますぐ側に行ってあげたいのに、とはやる心をなんとか押さえていた。
 やっとのことで病院の入り口にたどり着く。おつりをもらうのも忘れて千尋は駆け出した。
 すでに電話で聞いていた、吹雪達がいるというところを目指す。
 すでに消灯時間を過ぎ、人の気配のない夜中の病院は恐いくらいにしんと静まり返っていた。
「雪人クン!」
 病院という場所柄、千尋はそれほど大きな声を出したつもりはなかったが、ひどく周囲に響き渡った。
「あ……」
 壁に寄り掛かったまま立っていた、心細げな雪人の表情がふいにホッとしたかのように変わる。
「すみません、こんな時間に」
「気にしなくてもいいよ。それで吹雪ちゃんは?」
「向こうで深雪と……」
「お母さんの容態は?」
「今検査が終わって、ただの過労だって……」
「そうか。良かったな」
 千尋は雪人の肩をポンッと叩いた。
「雪人クンもよくがんばった」
 そう短く言って千尋は吹雪の方へと向った。
 廊下の長椅子に吹雪は小さくなって座っていた。両手を口元に当てて震えている。その横で深雪が寄り添っていた。
「吹雪ちゃん」
 ピクッと吹雪の肩が弾む。
「どうしよう……」
 ふいに吹雪がつぶやいた。
「……どうしよう。どうしよう! 私どうしたらいいのかわからない!」
 落ち着いているかのように見えた吹雪が、突然泣き叫ぶ。細い身体の全身が震え出す。
「落ち着いて、吹雪ちゃん。大丈夫だから」
「だって、だって、お母さんが……。私どうしたらいいの?! お父さんは病院から帰ってこなかった。もしかしてお母さんも……。だけど、私、お母さんもいなくなったら……」
 吹雪はかなり混乱しているようだった。
 どうしようを何度もくり返す。
 あの吹雪がここまで取り乱したりするのは初めてであった。
 千尋はなんとかなだめて落ち着かせようとする。吹雪の正面にしゃがみ、両肩に手を乗せる。
「大丈夫、落ち着いて。お母さんは大丈夫だから。ね、吹雪ちゃん」
「だって、お母さんが……、お母さんが!」
「吹雪!」
 思わず千尋が叫ぶ。
 ビクッと大きく肩が揺れる。焦点の合わなかった瞳がゆっくりと千尋の顔を見る。
「千……尋……」
「大丈夫だよ」
 そう言って静かに微笑むと、千尋は吹雪の頭を自分の胸のところで静かに抱きしめた。
 一瞬の間の後、吹雪は千尋にしがみつき、その胸の中で泣き出した。
「大丈夫、大丈夫だよ」
 千尋は吹雪の耳もとで何度もそう繰り返しながら、ゆっくりとした間隔で吹雪の背中を軽く叩く。まるで小さな赤ちゃんをあやすかのように優しく叩く。
 大粒の涙が千尋のシャツを濡らしていく。千尋はそれに構うことなく吹雪を抱きしめた。
 そうしているうちに吹雪は不安をはき出せたのか、落ち着きを取り戻してきた。
 2人は長椅子に並んで座り直した。
「……お母さん、本当に大丈夫なの?」
 千尋の胸に身体を預けたまま、吹雪は訊く。
「ああ、大丈夫。朝が来たらちゃんと目を覚まして『おはよう』って言ってくれる」
「本当に?」
「俺が吹雪ちゃんに嘘を言ったことがある?」
 吹雪は小さく左右に首を振った。
「ね。だから安心していいんだよ」
「……でも、罠じゃないよね?」
「俺は楽しい罠しか用意しない」
 千尋はバカだなぁと小さくつぶやいて吹雪の髪をくしゃっと撫でた。
「うん……」
 やっと吹雪は口元に笑みを浮かべた。
「吹雪ちゃん、少し眠った方がいいよ。さ、目をつぶって」
「でも……」
「俺がずっと側にいるから。だから安心して眠っていいよ。そして目が覚めたら元気なお母さんに会えるから。ね、吹雪ちゃん」
 吹雪は小さくうなずくと、千尋の言葉の通りに目をつぶった。
 泣き疲れていたせいか、すぐに静かな寝息が聞こえてきた。 
 千尋は少し身体をずらして吹雪の頭を膝に乗せた。
「千尋さん……」
 それまでのなりゆきを見ていた雪人が声をかけてきた。
「ん、もう大丈夫」
 吹雪の髪を優しく撫でながら、千尋は答えた。
「雪人クンも深雪ちゃんも、もう遅いから帰って休んだ方がいいよ。吹雪ちゃんとお母さんには俺がついているから」
「でも……」
「気にしなくていいよ。もちろんあとでこのお返しはたっぷりとしてもらうから♪」
 いつものようににっこり微笑み、ウインクする千尋。
 雪人と深雪は一瞬お互いの顔を見合わせる。そしてホッとしたかのように笑った。
「じゃ、お願いします。明日また来ます」
「うん、気をつけて帰るんだよ」
 そして雪人と深雪は自宅へと帰って行った。
 千尋と吹雪が座っている長椅子の壁の向こうの病室では、検査の終わった静が眠っている。
 大ごとにならずに済んで良かったと、千尋はホッと息をもらした。
「あの、良かったら使ってください」
 いつのまに来ていたのか、丸い眼鏡をかけて、三つ編みをした看護婦が声をかけて毛布を差し出してくれた。
 千尋は吹雪を膝に乗せているせいで動けなかったので、看護婦がそれを吹雪の身体にかける。
「小林静さんの御家族ですよね? 中のベッドが空いていますから使っていただいても良いですよ」
「ありがとうございます。もう少し落ち着いたら使わせていただきます」
「香坂先輩、ちょっといいですか?」
 別の看護婦が声をかけてきた。
「あ、はい、今行きます。それじゃ」
 香坂と呼ばれたその看護婦は、軽く頭を下げてナースステーションへと戻って言った。
 薄暗く、しんとした廊下に再び2人きりになる。
 千尋は安らかに眠っている吹雪の寝顔を見つめながら、そして小さくつぶやいた。
「俺がずっとそばにいるからね」
 

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

 この後、ちーさんはお姫さま抱っこで吹雪ちゃんをベッドに運ぶんですよね〜vvv
 今回はちーさんに「吹雪」と呼び捨てにさせた見たくて書いてみました。
 それと少しシリアスに。
 ちーさんを頼った雪人クン。
 これでやっとちーさんのこと認められたのかな(笑)
 それから、静さん、倒れさせてしまってすみません〜。
 そして今回もゲスト出演者がいます。
 『N医療大学付属病院』ですぐにピンと来た方は、かなりの森生さん通ですね(にやり)
 ちょっと以前のキャラで、そのうえこんな名字だったのかというキャラ(下の名前だとすぐにわかるのに〜)。
 彼女はちゃんと看護婦さんになっていました(笑)

    

   

  


 

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