Scene13 ボクのお願い
(『おまけの小林クン』より)

 

 放課後の図書室で、吹雪は健吾と一緒に数学パズルを解いていた。パズルに夢中になり、調子よく解けていたのだが、やがて夕食の支度をしなければならない時刻になり、吹雪は健吾を残して先に帰ることにした。
「あのパズル、もう少しで解けそうだったのに……」
 解け損なったパズルを思い出しながら、学校を出て校門の方へと歩き出そうとした、ちょうどその時だった。
「吹雪ちゃん、吹雪ちゃん!」
 ツンとスカートが引っ張られる感じがして、吹雪は振り返って視線を落とした。
 陽にすけて金茶に見えるやわらかそうな髪、ぷっくりした頬、黒目がちの大きな瞳。
 そこには小学生になるかならないかくらいの年齢の小さな男のコが立っていた。
 どこか不安げな表情をしている。
「えっ、何? どうしたの? なんでこんなところにいるの? 迷子かな?」
 吹雪は笑顔を作り、しゃがんで少年と視線を同じくする。
「あのね、大変なの!」
「何が大変なの?」
「あのね、千尋が大変なの。だから吹雪ちゃん、ボクと一緒に来て!」
「えっ? 何? 千尋が大変ってどういうこと?!」
 思いもかけず、少年の口から千尋の名前が出てきて、吹雪は驚く。
 今日、千尋は学校を休んでいた。その理由を担任の燕からは何も聞かされてはいない。
「お願い。早く、早く来て!」
 少年は吹雪の手をつかむと、ぐいっと引っ張り出した。
「ちょ、ちょっと!」
 吹雪は少年のもみじのような手をふりほどくことができず、少年に連れていかれる
ままついて行った。
 
「おや、小林サン。どうしたんですか、そんなに慌てて。それにそのコは……」
 校庭の花壇に水をあげていた燕が吹雪を呼び止めた。
「あぁ、つばめセンセ、実は千尋が……」
 急ぐ足を止めて、吹雪は説明しようとした。が、少年が急に吹雪と燕の間に入って、燕をにらんだ。
「この人キライ! ボクのおやつ取ったモン!」
「えっ?! つばめセンセ、こんなちっちゃいコのおやつ取ったりしたんですか?!」
 吹雪は少年の一言を疑うことなく信じてしまう。
 慌てたのは燕である。疑う吹雪の視線に、両手を振って大きく否定する。
「ワ、ワタシは知りませんよ! そんなことするはずないじゃないですかぁ。それに、このコには会ったことありませんよ」
 燕は慌てて言い訳をする。少年の顔をもう一度見てみるが会ったことなど思い出せず、本当に思い当たることがなかった。
「嘘だ! ボクのうちに来た時に、ぱくってしたじゃないか!」
 少年は今にも噛みつきそうな勢いだった。
「ちょ、ちょっと2人とも落ち着いて……」
 今度は吹雪が燕と少年の間に入った。
 少年は燕を敵視していたが、こんなことはしていられないと思ったのか、もう一度キッと燕をにらんだかと思うと、吹雪の手をつかだ。
「行こ、吹雪ちゃん」
 少年は吹雪の手を引いて走り出した。
「ワタシは無実です〜」
 遠ざかる2人に燕は叫ぶが、その声は2人には聞こえていなかった。

◇ ◇ ◇

 少年に連れていかれるまま、吹雪はあるマンションの前まで来た。
 エントランスから共同のエレベーターのところへと行き、少年は慣れて様子で階数を押した。
 エレベーターが目的の階に着き、そして降りると少年は急いであるドアの前まで行った。
「早く、早く。吹雪ちゃん!」
 少年は玄関の鍵を開けると中に入り、吹雪を呼ぶ。
「あ、ここ、千尋の家?」
 よく見ると、表札のプレートには『KOBAYASHI』と書かれていた。
 千尋の家に来たのは初めてである。なんとなく入るのにためらいを感じたが、玄関前で立ち尽くしているのも何だし、ここまで来たのだから、と吹雪は部屋に入った。
「えっと、おじゃましまぁす」
 靴を脱ぎ、中に入ってそう言うが、誰の返事もなかった。そこはしんと静まり返っていた。勝手に侵入したみたいで、吹雪は居心地の悪い、気まずさを感じていた。
 そんな吹雪に少年が小さく声をかけた。そして手招きして吹雪をそばに呼ぶ。
 そばに行ってみると、少しだけ開いたドアの向こうに、誰かが寝ているのが見えた。
 ぐったりとした苦しそうにしている千尋である。
「あのね、昨日学校から帰ってから、顔が赤くて咳が出て、フラフラしてるの。今日もずっと起きてこないし、ねぇ、吹雪ちゃん、千尋大丈夫?」
 吹雪は部屋に入ると千尋の額に手を当ててみた。かなりの高熱である。しかし、熱の具合や汗のかき方から見てそうひどい病気ではないと吹雪は判断した。
「大丈夫よ。この症状だと風邪じゃないかしら?」
「ホントにホント? 千尋、死んだりしない?」
 心配そうにしていた少年を安心させるために、吹雪は笑顔を向けた。
「大丈夫だって。それにコイツは殺しても死なないようなヤツなんだから」
 まだ心配が消え去ってはいないものの、少年は少し安心したらしかった。
「とにかく、まずは熱があるようだから冷やさなきゃね」
 吹雪はとりあえずキッチンへと向う。冷凍庫には氷があった。氷枕がどこにあるかわからない吹雪は、ビニール袋で即席の氷のうをつくり、そしてタオルを用意した。
 寝ている千尋の額に冷たい水で絞ったタオルを乗せ、そしてその上に氷のうを乗せる。
「千尋、昨日から何か食べた?」
「ううん、何にも食べてないよ」
「そっか。じゃぁ、おかゆでも用意した方がいいかな」
 初めて入るキッチンだったが、勘の良い吹雪はどこに何があるかを感じ取り、おかゆを作り始めた。
 そのすぐ側で、少年は吹雪の料理する姿を見ていた。
「ボクね、毎日千尋からいっぱいいっぱい吹雪ちゃんのお話聞いたの。とっても優しいお顔で話してくれるの。それから大和クンのお話も。時々健吾クンってお名前も出てくるよ。千尋、みんなの話をボクにしながら、『罠』の準備するんだよ。『罠』って何? とっても楽しいもの? 楽しいんだよね? 千尋、いっつも楽しそうだもん」
 少年は楽しそうに千尋の話を吹雪にした。
 罠が楽しいかどうか、それは返答に困る質問である。きっと千尋は楽しいのだろうが、まわりはその反対であろう。しかし吹雪はそのことを少年には言わなかった。
 吹雪はふとこの少年が誰なのか気になった。千尋は確か一人っ子である。弟ではないとすると誰だろう。近所のコにしては、ずいぶんと千尋の事が詳しすぎる。なにより、玄関の鍵を持っていたのだ。だとすれば親戚のコだろうか。それにしてもずいぶんと千尋と親しい感じがする。こんな年下の少年と千尋が仲良くしているのは意外であった。
「千尋ね、ホントは淋しがりやさんなの。だから吹雪ちゃん、千尋の友達になってあげてね」
「えっ? 千尋が淋しがりや?」
 意外な言葉に吹雪は驚く。
「だって、千尋、時々一人でぼぉっとする時があるの。ボクが呼ぶとにっこり笑ってくれるけれど、なんだか時々心配になるんだ。だから、吹雪ちゃん、千尋と一緒に遊んでね。一番仲良くしてね。一番好きでいてあげてね。ね、吹雪ちゃん!」
 にっこりと笑いかけられ、そうお願いされると、子供に弱い吹雪が断れるはずもない。
「わかった。私にまかせておいて」
「良かった♪ 吹雪ちゃんって、千尋の言う通り、とっても優しいのね。じゃ、ボク千尋の様子見てくるね」
 吹雪の快い返事に喜びながら、少年はそう言ってキッチンから出ていった。
 よっぽど千尋のことが好きなんだなぁと吹雪は感じた。
 その時、ふいに吹雪の手が止まった。
 簡単にまかせておいて、なんて言ってしまったが、なんだか大変なお願いをされたような気もする。
 千尋と一番仲良くなんてできるのだろうか。
 なんとなくそんなことを考えながら、やがておかゆを作り終えた吹雪は、ガスの火を止めて千尋の部屋へと向った。
 枕許にちょこんと座り、少年は千尋の寝顔を見ていた。
「早く一緒に散歩行きたいなぁ」
 少年は小さくつぶやいた。
「ねぇ、君、そういえば名前……」
 吹雪がそう切り出した瞬間だった。
「う、う〜ん」
 千尋が寝返りをうち、身体を伸ばした。目が覚めそうな気配である。すると急に少年が千尋の枕許から立ち上がって離れた。
「吹雪ちゃん、千尋にはボクのこと内緒にしてね」
 早口でそう言うと、少年は素早く千尋の部屋を出ていった。
 ドアが静かに閉められるのと同時に、千尋が瞳を開けた。
「あれ……、吹雪ちゃん?」
 何度かまばたきをして、千尋は吹雪を見た。
「あ、目が覚めた? どう? 気分は」
「夢、見てるのかな。なんで吹雪ちゃんが俺の家にいるの?」
「えっと……」
 少年に内緒にしていてと言われた手前、吹雪は千尋の家に来た理由がはっきりとは言えない。
「ま、まぁ、そんなこといいじゃない。それにしても、何よ、このざまは。こんな時期に風邪ひくなんて」
「風邪、なのかな。なんだか昨日から身体がだるくて、食欲もなくて、顔が熱くて、でも身体は寒くて、で、頭がぼぉっとしてたけど」
「それだけ自分でわかってて、どうして風邪だと思わないわけ? 薬は? ちゃんと何か飲んだの?」
「いや、飲んでないけど」
「あぁ、もう! 薬箱は?」
「居間の本棚の上」
 吹雪はてきぱきと千尋の部屋を出て、薬箱と水を持ってきた。
「あ、そうだ、薬飲む前に何か食べた方がいいわよね。起きれる? 卵がゆ作ってあるけれど食べられるなら何か胃に入れておいた方がいいわよ」
「あ、うん。ちょっと食べようかな」 
 千尋がそう言うと、吹雪は温かい湯気の立つ卵がゆをキッチンから持ってきた。
「吹雪ちゃん、食べさせてくれる?」
「な、なに言ってんのよ! 作っただけで十分でしょ! さっさと食べな!」
 冷たいなぁと言いつつ、千尋は自分でスプーンを手に取り、卵がゆをすくうと一口食べた。
「……吹雪ちゃん、相変わらず大味だね。少し塩気が足りないんじゃない?」
「なによ、文句言うんだったら食べなくてもいいのよ!」
「大味は冗談。吹雪ちゃんの愛情卵がゆだからね美味しいよ、コレ」
 まる1日何も食べていなかった千尋は、吹雪の作った温かい卵がゆを全部きれいに食べた。
 その後、吹雪は薬を千尋に渡したが、にがいから嫌だとかわけのわからないわがままを言い出した。しかし吹雪は母親のように一喝して、無理矢理千尋に薬を飲ませた。
「ねぇ、家族の人いないの?」
 まだ薬のにがさに顔をしかめていた千尋に、吹雪は何気なく訊く。広い家の中はずいぶんと静かである。
「ああ。父親は長期の出張に行ってるし、母親は店のお得意さまと一緒に旅行にでかけた。確か今日帰って来るんじゃなかったかな」
「ったく、風邪ひいて熱が出ている時に一人でどうするつもりだったのよ。こういう時は小林クンでも私でも、遠慮しないで連絡くらいしなさい。心配するじゃないの!」
「……心配してくれたんだ、吹雪ちゃん」
「べ、別に! あんたがいなくて学校は静かでおだやかで、私は……」
 妙に気恥ずかしい気がして、照れた吹雪は千尋に背中を向けた。
「ありがとう、吹雪ちゃん」
 ふいに千尋が吹雪を背中から抱きしめた。少し熱の持った腕が吹雪の身体に触れる。
「ち、千尋?!」
 吹雪は慌てて千尋の腕を振りほどこうとしたけれど、千尋はしっかりと吹雪を抱きしめていた。
「うちの両親は共働きだったから、小さい頃、熱を出した時でも一人で寝ていることが多かったんだ」
 千尋は脈絡もなく昔の話を始めた。
「両親はいなかったけれど、でもそばにはいつもラッシーがいた。枕許にずっとおすわりしてそばについててくれた。時々急に淋しくなってラッシーの首に抱きついたりした。こうしているとラッシーを思い出すなぁ……」
 ラッシーの話を出されると、吹雪は何も言えなくなる。どんなにラッシーが千尋にとって大切だったか、よく知っていたから。
「ラッシーを抱き締めると落ち着いたけれど、吹雪ちゃんをこうしてると本当に安心する」
「な、なによ、私をラッシーの身代わりにしなくたって、小ラッシーがいるじゃないの! 小ラッシーこそあんたの新しい相棒じゃない」
 なんとか平常心を装って、吹雪はそう言う。
「もちろん小ラッシーだって大事だよ。でも吹雪ちゃんも俺にとっては……。身代わりなんかじゃない……。吹雪ちゃんと小ラッシーがいれば、俺は……」
 千尋の言葉が最後まで聞こえないまま、急に吹雪の背中が重くなった。
「ちょっと、千尋?!」
 吹雪は体をちょっとずらすと、千尋はそのまま崩れるように吹雪にもたれかかってきた。
「千尋?」
 吹雪の呼びかけに千尋は応えなかった。そのかわり、静かな寝息が聞こえてきた。きっと飲んだ薬が効いたのだろう。
「何だ……、寝てるんじゃない」
 吹雪はふぅとため息をついた後、千尋をベッドに寝かせた。
 千尋の寝顔はいつもの罠な表情はなく、小さな子供のようだった。
 吹雪はタオルと氷のうをもう一度千尋の額に乗せた。
 このままゆっくり眠ればきっと熱も下がるだろう。 
「早く、元気になって……」
 そう小さくつぶやき、吹雪は千尋の部屋を出た。
 リビングには、シェットランド・シープドッグが1匹小さなしっぽを振って吹雪を待ち構えていた。
「小ラッシーじゃない。どうしたの? お前も千尋の事が心配なの?」 
 いつものように元気に吠えない様子に、吹雪はふとそう思った。
「大丈夫よ。千尋は今ぐっすり寝ているから。目が覚めたらきっと元気になってお前と遊んでくれるよ」
 吹雪が抱き上げて小ラッシーにそう言うと、小ラッシーは嬉しそうに吹雪の顔を舐めた。
「そういえば、あのコどこいっちゃったのかしら……」
 千尋が目を覚ましてからあの少年の姿が見えない。その代わりではないが、さっきまで姿が見えなかった小ラッシーが姿を現した。
「まさかね……」
 ふと浮かんだ思いを打ち消すように吹雪は小ラッシーの顔を眺めながらつぶやいた。
 あの少年の髪と同じ色の小ラッシーの毛を吹雪はゆっくりと撫でる。
「じゃ、お母さんが帰って来るまで、ちゃんとお留守番しているんだよ」
「わん♪」
 小ラッシーは1回だけ大きく返事をした。

 

                                   Fin


<ちょっとフリートーク>

さて、吹雪ちゃんに助けを求めてきた少年は誰でしょう?(笑)
SS4に続いて、遊んでしまいました。
いつか書こうと思っていた小ラッシーネタです♪
そして、今回のテーマは『吹雪ちゃんにちーさんを大和クンやけんさんと同じくらいに
好きになってもらおう』です。
だってちーさんにだけ好きって言ってくれないなんて仲間はずれみたいな感じがしません?
LaLA2001.8月号で妙にけんさんと仲良くなってしまった吹雪ちゃん、いつも思うけれど
もっとちーさんにもどきどきしてして欲しいです〜。
このままじゃ吹雪ちゃんはちーさんのことを想ってくれそうにないので、
まわりから攻めてみようかな♪なんて思って書きました。
『ボクのお願い』を聞いて、ちーさんを一番好きになってくれるといいなぁ♪

    

   

  


 

 

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