これからは 〜side Subaru〜
(『聖・はいぱあ警備隊』より)

 休日の午後はどこも混んでいた。 
「すごい人だな、梨本」
「こんなもんでしょ。普段、日曜日はどこにも行かないの?」
「うん……、まあ、ゲンゴロウと遊んでいることの方が多いかもな」
「じゃあ、今日は私の好きなところに行ってもいい?」
「ああ、いいよ。梨本にまかせる」
 そう言うと、彼女はすごく嬉しそうな笑顔になった。
 こんなに素直に笑う彼女がすぐそばにいることに、自分も嬉しくなってしまう。
 ここまで近づくのに、どれくらいの期間を要したのだろうか。
 いろいろなことがあったと思う。
 やっとここまで来たのだから、もうひとつがんばってみようか。
『つぶら』
 名字ではなく、彼女だけの名前でそう呼んだら、彼女はどんな顔をするだろうか。
 真っ赤になって恥ずかしがるだろうか。
 それともいったいどうしたのかと無気味に思うだろうか。
 『恋人同士』なら、名前で呼んでも不思議ではない。別にそれほど気にする必要はない。
ないはずなのだが……。
「ねえ、高屋敷」
 いつの間にか並んで歩き出し、すぐ横にいた彼女が声をかけた。
「ノド乾かない? あっちに美味しい紅茶のお店があるんだけど」
 彼女は自分を『高屋敷』と呼ぶ。初めて会った時から、それは今も変わらない。自分の方が年上なのに、『先輩』とか『さん』とか聞いたことがなかった。まあ、今さらそんなふうに呼ばれても困るのだが。
「高屋敷?」
「いや、なんでもない。どこへ行くって?」
「こっち」
 彼女はぐいっと手を引いた。

◇ ◇ ◇

 彼女が気に入っているという喫茶店に入ってひと休みをしていた。
 曲名は知らないが、クラシックのピアノ曲が流れた落ち着いた雰囲気の店だと思った。
 向い合わせに座り、コーヒーと紅茶を頼む。
 彼女は楽しそうに家族のことやクラスでのことを話し出した。
 くるくると表情を変え、見ているこっちも楽しくなる。
 誰にも見せたくないような、一人占めしてしまいたくなるそんな笑顔。
 いつまでもこのまま見ていたいと思った。
「昂!」
「えっ?」
 急に名前を呼ばれて、慌てて彼女をよく見ると、頬を膨らませて少し怒った表情が目に入る。
「さっきから『高屋敷』って何回呼んだと思うの? 自分の名前忘れたのかと思った」
「あ、いや、ごめん。ちょっと考え事を……」
 そう言って、しまった!と思った。
 一緒にいるのに考え事をするなんて、彼女にすごく失礼なことをしてしまった。
 案の定、彼女からは笑みが消え、表情が暗くなっている。
「別にいいけど」
 飲み残した紅茶を彼女はぐいっと一息に飲む。そしてカップをソーサーの上に戻すと、視線を自分ではなく外の方へと向けてしまった。
 どうしようか。
 こんなことでケンカなどするわけにはいかない。
 あれこれ考えていると、ふと、さっきの彼女の言葉が思い出された。
 彼女は自分を『昂』と呼んだのではなかったか?
 さらりと呼ばれ、聞き流してしまったけれど。 
 今がチャンスなのかもしれない。
 ここで自分も彼女の名前を呼べば……。
「ごめん。機嫌直してくれないか? つ……」
「別に機嫌なんて悪くなってないもん」
 最後まで言う前に、こんな返事が返ってくる。
「あ……、だからごめん。つぶ……」
「もういいよ。出よう」
 すっと彼女が立ち上がり、すたすたと出口の方へと歩き出した。
 そんな彼女の後を追うように、自分も席を立った。
 名前を呼ぶタイミングは逃してしまった。

◇ ◇ ◇

 店の外に出ても、さっさと彼女は自分の前を歩いて行く。
「待てよ、梨本」
 彼女は無言で先を急いでいた。
「梨本」
 やはり返事はない。
 いつの間にか大通りを抜けて、人の少ない公園まで来ていた。
 彼女はどんどん先へと歩いて行く。
 このままずっと後を追い続けるわけにはいかないと思った。
「つぶら!」
 思い切って、彼女を名前で呼んでみた。
「えっ?」
 彼女は急に立ち止まり、驚いたような表情で振り返った。
「今日から、そう呼ぶからな」
 そう言うと、彼女は一瞬立ちすくんた。しかしすぐにくるりと急に背を向ける。
 怒ったのだろうか……。
「あ、あの……、梨本……、いやつぶら?」 
「……そんなこと、ことわらなくたっていいじゃない!」
「えっ?」
 今のはどういう意味なのだろう。
 彼女は再び先を歩き出した。
「梨本?」
「私の名前を呼ぶのに、高屋敷がいちいちことわらなくてもいいって言ったの!」
 再び急に立ち止まったかと思うと、振り返ってそう言った。
 彼女の頬は真っ赤になっていた。
「じゃ、じゃあ、そう呼ぶぞ?」
「だから、いいって言ってるでしょ!」
 彼女の赤い顔を見ていると、自分も赤くなっていくのがわかる。
「えっと、つ、つぶら」
「な、なぁに?」
「だから、その……」
 何?と聞かれて一瞬戸惑う。用があるから呼んだのでもなくて、梨本のことを名前で呼びたかっただけで……。
 ちゃんと答えられないでいると。
「よ、用がないなら、呼ばないで!」
 そう叫んだかと思うと、いきなり彼女は駆け出した。
「あ、こら。待て、梨……いや、つぶら!」
 慌てて後を追い掛ける。
 まだまだ彼女は手強いようだ。

                                  Fin


<ちょっとフリートーク>

『はいぱあ』SS第2弾、高屋敷クンの一人称です。
 やっぱり恋人となったからには名前で呼び合って欲しいなぁと思って書いてみました。
 高屋敷クンに「つぶら」なんて呼ばれたら、本人は「うきゃーvvv(嬉しいよぅ)」といった感じでしょうか(笑)
 でもやっぱりまだ天の邪鬼さが残っているのか、つぶらちゃんは素直には受け入れられないようです。
 この2人には、いつまでもらぶらぶでいて欲しいですね♪