〜 約束 〜

     

 夕方、怨霊封印を終えたあかね達は土御門殿へ戻ってきた。
「今日もお疲れ様です。ありがとうございました」
 あかねは今日の共をしてくれたお礼を言い、泰明に頭を下げた。
 一緒に外出していた永泉とは途中で別れたが、泰明だけは土御門殿にあかねを送って来たのである。
「神子が礼を言う必要はない。では、明日また迎えに来る」
 いつものごとく、あっさりと泰明はそう言うと、今来た道を戻ろうとした。
「はい、明日も、よろしく……お願い……」
 ふいにあかねの身体が揺れる。急にあかねの声が弱々しくなったかと思うと、フラッとその場にあかねの身体が崩れ落ちた。
「神子?!」
 慌てて駆け寄った泰明があかねを抱きとめる。
 泰明の腕の中で、あかねはぐったりとしていて、意識をなくしていた。
「神子!」
 触れたあかねの身体は、泰明の手にはとても熱く感じられた。

◇ ◇ ◇

 あたりは暗闇に包まれていた。
 何も見えず、何の気配も感じられない。そして何も聞こえないしんと静まり返った場所。
 上も下も、右も左も、自分がどこにいるのかさえもわからない。
 そんな不安定な場所に、あかねはいた。
 ここはどこ?
 誰もいないの?
 声を出そうとしても闇に飲み込まれて音にはならない。
 真の暗闇は、あかねの身体も暗闇に解かしてしまいそうな気味の悪さがあった。
 いや、助けて!
 声にならない助けを、心の中で叫ぶ。
 その瞬間、誰かに呼ばれたような気がした。そしてあかねは振り返る。
 視線の先、何かがかすかに光るのが見えた。
 あかねはすがるようにその光に向かって手を伸ばす。再び自分を呼ぶ声が聞こえてくる。
「……!」
 自分を呼ぶ声の主の名前が口からこぼれた気がした。音にならないそれは、一番そばにいて欲しい人の名前だったかもしれない。
 突然、光は大きくなり、あかねの身体を包み込んだ。
 そして、あかねはハッとして目を覚ました。
「神子!」
 耳に突然飛び込んで来た声。それは暗闇で聞こえて来た声と似ていた。
「……あ、泰明さん?」
「愚か者!」
「ひゃっ」
 不吉な夢から目覚めたあかねは、泰明の顔が一番最初に瞳に映り、自分はどこか遠いところに行ったのではないのだと知って安心した。が、ホッとした次の瞬間に思いっきり怒鳴られてしまった。
「神子は何を考えている?!」
「えっ、何って……?」
 衾で顔を半分隠し、恐る恐る泰明の顔を見る。
 泰明の表情はいつも以上に冷ややかだった。その視線は一瞬にして何もかもを凍りつかせてしまうような鋭さがある。
「何故言わなかった?!」
「な、何故って、何を……」
 一方的に怒鳴られ、あかねは泰明が何をそんなに怒っているのかわからなかった。
 今までちょっとした不注意で泰明に叱られた事はあったが、ここまで怒鳴られた事はない。
 あかねは自分でしらないうちに何かとんでもないことをしていたのかと、びくびくしながら考えていた。
 そんなあかねのおびえる様子を一瞥した泰明は、目を少し伏せ、声音を落として言葉を紡いだ。
「……具合が悪かったのなら、何故私に言わなかった?」
「えっ?」
「無理をして力を使うからこんなことになるのだ」
「……あの、泰明さんが怒っている理由って、私の体調が悪かったことについて、なの?」
「他に何がある?」
「なんだ、そんなことだったんだ」  
 もっと重要な何かをしでかしたのかと思っていただけに、あかねはほっとした。
 しかし、安心して表情をゆるませたあかねとは逆に、泰明はさらに一層表情を険しくして声を荒立てた。
「そんなこと、ではない! 神子!」
「や、泰明さん?」
「何故わからぬのだ?! おまえはかけがえのない大切な存在なのだぞ! おまえに何かあったら私は……!」
 責め立てる泰明の言葉がふいに途切れた。そして肩を落としてうつむいた。
「……すまなかった」
 突然声音が低くなる。
「泰明さん? どうして泰明さんが謝るの?」
「全て私のせいだからだ」
「泰明さんのせいって……。私が倒れたことが? 私が倒れたのは私が勝手に無理したせいだよ。それに謝るなら私の方でしょ? 泰明さんに心配かけちゃったんだし……」
「神子が謝ることはない。私がおまえの気の変化に気づけなかったのが悪いのだ。何よりもおまえを気づかい、おまえを守るのが私の役目だ。それなのに、私はおまえと共にいることに気を取られてしまい、その役目をこなすことができなかった」
「えっ?」
「私が気がついていたなら、倒れる前に休ませることができた。だから私が悪かったのだ。神子、すまなかった」
 ついさっきまであかねを怒鳴っていた泰明は、今度は一方的に自分が悪いと責める。泰明は視線を落としてあかねから目をそらす。
 気を落とした泰明は、弱々しく見えた。叱る立場でいたのに、今はまるで叱られた小さな子供のようだった。
 あかねは身体を起こして泰明の顔を覗き込む。
 今にも涙がこぼれんばかりの淋し気な瞳があかねの瞳に映った。
「泰明さん、そんなに気にしないで。ね? 泰明さんがそんな顔をすると、私も悲しくなるよ?」
「神子が悲しいのは困る」
 即座に泰明は答える。
「具合が悪いのを黙っていたことはやっぱり私が悪いと思うよ。だから、ごめんなさい」
「神子が謝る必要は……」
「聞いて、泰明さん。体調のことは、泰明さんが気づかなくて当然なんだよ。だって私、気づかれたくなかったんだもん」
「神子?」
「私、ただでさえみんなに迷惑かけてばかりいるから、少しくらいの熱で休むわけにはいかなかったの。私はもっとみんなの役に立ちたかったから」
「だからといって神子が無理をして倒れられては困る」
「そう。だから私が浅はかだったの。結局泰明さんに迷惑をかけてしまったから。だから、ごめんなさい。そしてもう2度と無理はしません」
「……本当に無理はしないか?」
「はい。泰明さんに心配かけて悲しい思いをさせません」
「その言葉に偽りはないな?」
 今までが今までだけに、泰明はあかねの言葉をすんなりとは受け入れない。再度確認する。
「もう無理なことはしません。心配なら……、そうだ、ゆびきりしましょう」
「ゆびきり? 指を切るのか?」
「ホントに切るわけじゃないです。誰かと約束を交わす時、こうして小指を絡めるの」
 あかねは泰明の手を取ると、その小指に自分の小指を絡めた。そして、ゆびきりの時の歌をあかねは歌う。
「『指切りげんまん、嘘ついたら針千本のーます。ゆびきった』」
 歌い終わるとあかねは泰明から小指を離す。
「……それはなんのまじないだ? 神子は針を千本も飲むのか? 痛いぞ?」
 言葉の通りに受け取る泰明は、自分の小指をじっと眺めながら不思議そうにつぶやく。
「針を飲むのは約束を破った時です。といってもこれは単なる例えですよ。針を飲むのはイヤだから、そのためにも約束は必ず守るっていうことなんです」
「神子のやることは不可解だ。だが、神子が約束を守るという心意気はわかった」
「ちゃんと泰明さんとの約束は守りますから安心してくださいね」
「わかった」
 泰明はやっとあかねの言葉を信用することができ、あかねに微笑みかけた。 
 やっと見せた泰明の微笑みに、あかねも安心する。
「神子、もう休め」
「はい。また明日も倒れたら大変だもんね」
「明日も休め」
「えっ?」
「神子の身体が完全に良くなるまで休め」
「で、でも私が怨霊封印に行かないと……」
「ダメだ。万全な体調ではないお前に怨霊封印はさせられない」
「え、でも、それじゃ……」
「くどい!」
「ひゃっ」
 突然の大きな声に、あかねは身をすくめる。その時、あかねの身体はふわりと泰明の腕に包まれた。
「……頼む」
 耳元でささやかれる一言。
「や、泰明さん?」
「おまえはもう2度と無理はしないと約束したはずだ。ならば完治するまで休んでくれ」
 抱きしめる腕の力はしだいに強くなり、あかねは少し苦しく感じていた。けれど、その腕の力のぶんだけ、泰明が自分を心配していることが強く伝わってくる。
「私はおまえと共にある。おまえが望むのならどんなことでもしよう。だから、ひとりで無理をするな」
「泰明さん……」
 あかねは泰明の胸にそっともたれかかる。
 自分は龍神の神子だからがんばらなきゃと、ひとり焦っていたのかもしれない。
 ひとりでなんでもしようとしていたのかもしれない。
 でも、それは間違いなのだ。
 こんなにも近くで自分のことを心配している人がいる。泰明の言葉は、自分には一緒にがんばってくれる人がいるのだと改めて知らさせる。
「遅れた分は後日処理すれば良い。私がなんとかする。神子は今は何も考えずに休め」
「はい。泰明さんの言う通りにします」
 素直にうなずいたあかねは泰明の腕の中から離れると、褥に横たわった。
 泰明はふわりと衾をあかねの身体の上にかけた。そして愛おし気に泰明はあかねの髪をゆっくりと撫でる。時折頬や額に指先が触れた。
「泰明さんの手ってちょっと冷たくて気持ち良いね」
「そうか。ならばずっとこうしていよう」
 泰明は軽く微笑むと、その指先を優しくあかねに触れる。泰明に触れられていると、どこか安心した心地になる。
「泰明さんがそばにいるとなんだか落ち着く感じがする」
「そうか」
 やがてあかねは瞳を閉じて眠りにつく。
「おまえが望むなら、ずっとそばにいよう」
 眠ったあかねの枕許に座っていた泰明は、すっと目を細め、愛おし気にあかねを見つめた。

         終

          

ちょっとフリートーク

 焦る泰明さん、というのが書いてみたくてできたのがコレです。
 泰明さん、怒ってますが、これでもかなり焦っているかと(笑)
 あかねちゃんを泰明さんなりに一生懸命想っているということが伝われば良いのですが。
 ずっとそばにいると言った泰明さん、ホントに回復するまで枕許で付き添っていそうですよね。
 あかねちゃんの部屋に連日泊まり込み?
 庭では頼久さんがいろいろと(笑)心配してそうです。
 そして、今回名前しか出て来なかった永泉さん。あかねちゃんが無理していたことを知ったら落ち込むんだろうなぁ。
『私は神子の具合が悪い事もわからず、なんと愚かなのでしょう。こんなことでは八葉失格です……』 とか。


●感想がありましたら、ひとことどーぞ♪     

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