いつもと変わらない朝。
いつもと同じように起きて、その日を過ごす準備をしていた。けれど、その日に限って眠気はおさまらず、いつの間にか意識は眠りの中に戻っていた。
再び眠りついた時間はわずかだったと思う。
次に目を覚ました瞬間、すぐそばでちりりと小さく鳴る鈴の音を聞いた。
「神子様、おはようございます。泰明殿が参られましたよ」
いつものように衣擦れの音が聞こえ、そして藤姫の挨拶が聞こえてきた。
「神子、迎えに来た。でかけるなら……」
藤姫の言葉に続くのは泰明さんの声。
しっとりと静かで落ち着いた口調で、いつもの台詞を言おうとした泰明さんの言葉が途中で止まる。
何故かといえば、それはその部屋にいるはずの『私』がいないから。
2人とも部屋の中を見渡している。
それを、私は御簾の陰からこっそり覗いてた。
なぜ、こっそりなのか。
う〜、またしても私はネコの姿になったのである。この姿では彼等の前に出るに出られず、返事もできなかったのである。
「あら。神子様、おりませんわねぇ。どこへ行かれたのかしら? 泰明殿、少し探して参りますので、しばしお待ちくださいませ」
「わかった」
そうして藤姫は今渡って来た簀子を戻り、泰明さんはその場に腰を下ろした。
そして泰明さんは瞳を閉じたかと思うと、その後ずっと動かなかった。
微動だにしない泰明さんが心配になって、私はちょこちょこっと歩いて泰明さんのそばに寄ってみた。
寝ちゃった、のかな。
でも、もしかして具合悪くなっちゃった、とか。
じっとしたままの泰明さんに、私は様子を伺うように呼んでみた。
「みゃう」
あ、私のおバカ。
ネコの私に泰明さんの名前が呼べるわけないじゃない。ネコの口から出るのは猫の鳴き声。
ついこの姿でいることを忘れちゃうんだよね。
でも、仕方ないよね。
またしても突然ネコになっちゃったんだもん。初めての時よりは気持ち的には落ち着いてはいるかもしれないけれど、やっぱりこの姿には慣れない。
でも、戻り方はわからないのでこのままでいるしかない。
とりあえず、今気になるのは泰明さんの様子。この姿でいいから近づいて様子を確かめてみよう。何か変だったら藤姫でも呼んで来ればいいし。ネコでもそれくらいはできる。
人間の姿じゃないのは大変だけど、今は泰明さんの様子を確かめる方が先だよね。
最初に呼んだ時から反応がなかったので、もう一度鳴いてみた。
「みゃう?」
そうしたら、今度はその鳴き声に反応して、泰明さんは視線を向けた。
「これは……」
泰明さんは一度大きく目を見開いた。
?
なんだろ。私何か変かしら?
あ、十分変だけど。
でも、猫の姿としてはおかしくないはず。
う〜ん、何か驚いているようだけど、どうしたんだろ。
私は心配になって泰明さんの膝に登ってもっと近くに寄ってみた。
ちょこんと膝に座って見上げると、一瞬、泰明さんが微笑んだような気がした。
手をそっと伸ばして私に触れる。
頭を撫でられ、のどのあたりに触れられる。
あらら、何か気持ち良い。
私がネコだからなのかな。
でも、やっぱりこの気持ち良さは、あまりに泰明さんの手が優しいせいじゃないかしら?
私は思わず泰明さんの膝の上でゴロゴロと寝転んじゃったの。
男の人にしては細くて綺麗な指先が、相変わらず、私の頭や背中を撫でている。
春の陽射しはやわらかくて心地よくて、すっかりひなたぼっこ気分。
よくテレビとかに出てくるような、縁側に座るおばあちゃんの膝の上で一緒にひなたぼっこしている猫ってこんな気分なのかな、なんて考えていた。
「神子」
すっかりくつろいでいたところで、泰明さんは私を呼んだ。
はい? なあに?
私は顔を上げて泰明さんを見た。
そこであっと思う。
泰明さんは私を呼んだんじゃない。私だけど、ネコじゃない私を呼んだんだ。
ネコの私が返事をしても意味ない、って思ったのに。
泰明さんの次の一言に私は驚いた。
「神子、何故ネコの姿でいるのだ?」
はい?!
「何か特別な術でも使ったのか?」
も、も、もしかしてバレてる?!
「そろそろ人間の姿に戻らねば、怨霊封印に出かけられないぞ」
もしかしなくても、バレてる!
私ったら、私ったら!
あんなにのびのびと泰明さんの膝でくつろいじゃったりしてるし、しかも泰明さんの指先に気持ちよくなっちゃってるし!
人間の姿だったら、きっと顔は真っ赤。
いや〜!!!
私は小さな身体を精一杯動かして、全速力で逃げ出した。
「神子、どこへ行く?」
何事もなかったかのような、泰明さんの声が聞こえて来る。
でも、でも!
恥ずかしくって泰明さんの顔見れないよ〜。
◇ ◇ ◇
私は泰明さんに見つからないようにずっと隠れていた。ネコの姿だった時は見つけられなかったのだが、いつまでもネコの姿のままではいられなかった。まるで制限時間終了とでもいうかのように、ちりりと鈴の音が聞こえたかと思うと私の姿は元に戻り、そしてあっさり泰明さんに見つかった。
その日は結局怨霊封印には行けなかった。
別に、いきなり逃げた事を叱られたとか、恥ずかしくて泰明さんと一緒にいるのがイヤだったとかじゃなくて。
もうネコにならないようにと、泰明さんがお祓いをしてくれたからなのである。
私が正体を見破られて(始めから知られていたけど)逃げ出した時、泰明さんに見つからなかったのは、うまく隠れていたわけじゃなかった。泰明さんは私がネコになった理由を調べてくれていたのだった。
私にネコに変身できる能力があるわけでもないのだから、なんらかの理由があると思うのは当然。そして、それはわりとすぐにわかったようで、泰明さんはその原因を語ってくれた。
なんでも、過去にとある病弱な姫君が外へ出たい、自由に動きたいと願い、こんな身体はいらない、猫にでもなりたいと思ったのだそうだ。その姫君は結局病がもとで亡くなったそうなのだけど、その思いだけは昇華されずに残り、その残留思念を私が受けてしまい、その姫君の願い通りに私が猫になってしまったらしい。
事情がわかり、そして泰明さんが祓ってくれたので、その後、私がネコになることはなくなった。
けれど、何故か泰明さんは時々私の頭やのどのあたりを撫でようとする。
何故そんなことをするのかと聞くと。
「こうすると神子は気持ち良くなるのだろう?」
そう言って、私の顔を真っ赤にさせた。
……確かにね。
泰明さんの手は気持ち良いです。ただ撫でられているだけでも。
それはネコだった時だけじゃなく、普通の身体に戻った今もそうだった。
でもね、せめて他のみんながいる時に、そんなことしないで、ね?
終
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