〜 花添え 〜

     

 陽はかなり傾き、もう日暮れ間近という頃、頼久は藤姫に呼び出された。
 少し慌てた様子で、さらに神妙な顔つきの藤姫を見た途端、頼久は何かあったのだと感じた。
 藤姫は頼久が姿を現した途端、口早に事情を説明した。
「神子殿がいらっしゃらない?」
 頼久の声が大きくなる。
「ええ。一度泰明殿に送られて戻って来ましたのに、またいつの間にか姿が見えなくなってしまいましたの。あれほどお一人では出歩かないようにと申しましたのに……」
 藤姫はいつもの白肌がさらに青白くなるくらいの顔色でふぅと心配げに息を吐いた。
「すぐに探しに参ります」
 頼久はスッと立ち上がると、すぐさま部屋を出ようとした。
「あぁ、お待ちなさい、頼久」
「何でございましょう」
「神子様の姿が見えなくなる直前に、神子様は橘の花がどこに咲いているのかと、女房の一人に訊ねられたと聞いています。ですから、そこに行けば……」
「承知いたしました。橘の花ですね。では、御前失礼いたします」
 表面上は冷静さを保っていたのだが、心は逸っていた。

◇ ◇ ◇ 

 橘の花というと綺麗に咲いているというので有名な場所があった。
 頼久も何度か訪れたことがある。
 女房が告げた場所も同じであり、土御門からも程近く、迷わずにたどり着ける場所だった。
 頼久はここに来ればすぐに見つかるかと思ったのだが、なかなかあかねの姿は見つけられなかった。
 時は次第に過ぎて行き、日暮れ前の夕陽が辺りを一層琥珀色に染めていく。
 何としてでも日暮れ前に見つけなければならないと、次第に頼久の心に焦りが見え始めていた。
 もしやこの場所ではなかったのではないだろうか。
 それよりも、鬼に見つかり、連れ去られたのではないだろうか。
 そんな不安も次々に浮かび始める。
 不安を何とか押さえ、頼久はさらに奥の方へと進んで行った。
 しばらく進むと、白い花の咲く木の下に、見慣れた姿があるのが目に移った。
「神子殿!」
「あ、頼久さん」
 藤姫や頼久の心配をよそに、頼久の声で振り返ったあかねはいつもの調子で何事もなかったかのように微笑んだ。
「見てください。こんなに橘の花が咲いて……」
 急いで駆け寄った頼久はあかねの言葉を最後まで待たずに、その身体を抱きしめた。
 あかねの華奢な身体が頼久の腕の中にすっぽりと収まる。
「よ、頼久さん?」
「御無事で良かった……」
 あかねの耳元で安堵の声が響く。
「あ、あの、頼久さん? どうしたんですか?」
 あかねはきょとんとした様子で不思議そうにつぶやいた。その刹那、ホッとするのと同時に違う何かが頼久の心を占める。 
「どうした、と貴女はお訊きになるのですか?!」
「えっ?」
 頼久の腕があかねの背中から両肩へと移る。指がくいこむのではないかと思うほどに強く、肩をつかまれた。
「神子殿、何故お一人でこんなところまで足を運んだのですか?! 藤姫様がどんなに心配されておられたか、おわかりではないのですか?!」
「あ、ばれちゃったんだ」
 へへ、とあかねは小さな子供がいたずらを見つかった時のように肩をすくめた。
「ばれた、ではありません!」
「!」
 普段は出さない大きな声に、あかねは驚く。
「この京が決して安全な場所ではないということ、藤姫様から何度もお聞きになっているでしょうに。それなのに貴女はどうしてそれをおわかりにならないのですか?!」
「えっ、あの、頼久さん?!」
 瞳の色がいつもと違っていた。
 本気で怒っている。
 少しくらいの無茶なら苦笑いをしながらも許してくれていた。けれど、今はそれでは済みそうにないと感じられる。
「で、でもね、ここはお屋敷からも近いし、そんなに危なくないと思うの、だから……」
「神子殿! 貴女は鬼から狙われているのです! 一人でいる時に何かあったらどうするのですか?! 何かあってからでは遅いのです!」
 真剣な瞳で見つめられ、あかねは何も言えなくなった。
 ふいに頼久はハッとする。
「も、申し訳ありません。私のような者が神子殿にこんなことを申してしまって……」
 あかねの肩をつかんでいた手を離したかと思うと、サッと数歩後ずさる。
「み、神子殿、藤姫様が心配されておられます。どうかお戻りを」
 軽く頭を下げて頼久は告げた。
 あかねはそれに対してすぐに返事を出来ずにいた。
「神子殿?」
 どうしたのかと気になった頼久が顔をあげると、あかねはじっと頼久を見つめていた。
「あの、頼久さんも……心配しました?」
 あかねは恐る恐る訊いてみる。
「当たり前です! 神子殿を見つけるまで私がどんな心地でいたか、貴女にはおわかりになりませんか?!」
 再び肩に手を置かれ、その肩をつかむ腕の力の分だけ、強く想っていてくれたのだと身をもって知る。
「ごめんなさい! 私、そんなに頼久さんが心配するなんて思わなくて……」
「神子殿。貴女は誰よりも大切な方なのです。危険だと思われるどんなことからも遠ざけておきたいのです。それでも貴女に危険が及ぶ時は、この頼久がこの手でお守りしたいのです。ですから、どうぞ貴女のそばに私を置いてください。いつでも、どんな時でも……」
「頼久さん……」
 頼久の言葉が嬉しくて、うっすらとあかねの瞳に涙が浮かぶ。
「……もしも、神子殿がお嫌というのであれば、私以外の誰かでもかまいません。とにかく貴女に危険なことがないように……」
 言葉の途中であかねは頼久の胸に顔を寄せて上着をギュッと握る。
 頼久の広い胸の中は、あたたかくて心地よい。言葉の通りに頼久はいつでもどんなことからも守ってくれるのだと信じることができる。
「頼久さんじゃなきゃイヤです。他の誰かじゃダメ、です」
「神子殿……」
「ごめんなさい! 私、頼久さんに心配させようなんてホントに思ってなかったんです。それなのにこんなに心配させてしまって、ごめんなさい……」
 一度流れ始めた涙は、止まることを知らずに後から後から流れてくる。
「どうかお泣きにならないでください。貴女の涙を見せられては、どうしていいのかわからなくなります。涙を止めて、そのお顔に笑顔を……」
「……ダメ、止まらない」
「神子殿」
 優しく名を呼ばれると、余計に涙が出てくる。
「見ないでください。私の泣き顔、可愛くないから……」
「でしたら、もう少しこのままでおりましょう」
 頼久はあかねの背に片腕を回してそっと抱き寄せる。そしてもう片方の手で、あかねの髪をゆっくりと何度も撫でた。

◇ ◇ ◇

 すっかり陽が落ちた頃。
 頼久に付き添われて帰宅したあかねは、涙ながらの藤姫の出迎えを受けた。
 部屋に戻ってからもさんざん藤姫に泣きつかれた。あかねは何度も謝り続け、やっと藤姫の涙も引いたのだった。
「もう誰にも行き先を告げずにおでかけになるのはおやめくださいね」
 さきほどからくり返し言い続けられる言葉を、あかねは神妙な顔つきで、言葉と同じ数だけうなずいた。
「神子様もお疲れでしょうから、そろそろ失礼いたしますわね」
「藤姫、本当にごめんね」
「もうよろしいですわ。神子様もお約束していただけたのですから」
 赤く泣き腫らした目で藤姫は笑う。それを見るとよけいに心が痛み、当分は大人しくしていなければと、あかねは思った。
「あ、神子様、忘れるところでしたわ。明日は物忌みでございます。八葉のどなたかに文を出されるなら御用意くださいませ」
「うん、実はもう用意してあるんだ」
 あかねは朱塗りの文箱から紫苑色の紙を取り出す。そして、それにそっと花を添えた。
「はい、これをお願い」
「神子様、この花は……」
 藤姫はあかねから文と花を受け取ると、少し驚いたようにつぶやいた。
「まさか、このために?」
「藤姫に心配かけたのは本当に悪かったと思っているの。ごめんなさい。でも、どうしてもこの花が今日欲しかったの」
「それならそうとおっしゃっていただければ花など御用意いたしましたものを……」
「でも、これは自分で用意したかったんだよね」
 あかねは頬を染めて小さく笑う。
「神子様ったら。お気持ちはわからなくはないですけれど、だからと言ってお一人で出歩くのが良いことだと思わないでくださいませ」
「はーい」
「それで、この文のお届け先ですが……。聞かずともよろしいですわね。では、文はお預かりいたします」
「うん、よろしくね」
 そうして、あかねからの文を受け取った藤姫は、あかねの部屋から退出すると文を届けるように側仕えの者に頼んだ。
 
 翌朝。
「お呼びとのこと、頼久参上つかまつりました。神子殿、文をありがとうございました。美しい紫苑の紙とそれに添えてあった橘の花、大変嬉しく思います」
 平静を装って頼久はそう挨拶したのだが、何故か目線をあかねからそらされていた。よく見れば、心なしか頬が赤いように思える。
「その花、気に入ってもらえましたか?」
 あかねはにっこりと微笑む。
「は、はい。あの、もしや昨日は、その……」
 文に添えるために橘の花を取りに行ったのかと、頼久は訊こうとした。しかし、どうも照れくさくてはっきりと言葉にすることができない。
「ふふふ。頼久さんが喜んでくれたならそれで私も嬉しいです」
 頼久が何を言おうとしているのかあかねにもわかっていた。そしてそれに対して戸惑っているのも。
 昨日、あれほどまでにあかねを怒った頼久である。出かけた原因が自分にあったと知った頼久が、今どんな心地でいるかを考えるとあかねは楽しくなる。きっと内心あんなにも強く言ったことを後悔しているだろう。
 悪趣味といえなくもないのだろうが、めったに見られない頼久の困った顔を見ることができたのが嬉しかった。
 表情を崩さない、いつもの精悍な頼久も良いが、こんな表情をしてもらえると、もっと身近に感じることができる。
 頼久のいつもと違う一面をもっと見たいとあかねは思った。
「神子殿、昨日は……」
 頼久といえば、昨日の件をまだ気にしているらしい。ついに膝を折り、謝罪体勢に入った。
「頼久さん」
「はい?」
「私が贈った文と花、嬉しかったんですよね?」
「もちろんです! 私の好きな紙と花を御用意いただき、嬉しく思わぬはずがございません」
「だったら、嬉しい時は嬉しいって顔してください。眉間にしわは良くないです。ね?」
 困った顔もたまにはいいが、いつまでも続けて欲しくない。ましてや謝ってなどして欲しくない。
 昨日の件はやはり黙って出かけた自分に否があるのをあかねは自覚している。いくら頼久のためだったとしても、ダメだと言われたことをしたのである。よって、責任は自分にあり、頼久に責任はない。これを理由に頼久を困らせるのもこのへんで終わりにしなければと思った。
 あかねの大きな瞳で見つめられ、頼久はふっと表情をやわらげる。
「神子殿、貴女という方は……」
「頼久さん?」
「貴女のお側にいられること、この頼久、本当に嬉しく思います」
 今まで以上に優し気な表情を頼久はあかねに向ける。
 その瞬間、あかねの顔は真っ赤になり、心臓の高鳴りを押さえることができなかった。
 

          

ちょっとフリートーク

あかねちゃん脱走シリーズ・頼久さん編です。
あかねちゃんの一人おでかけは、本当に危険な目に合わないと止めないと思います(^^;)
なので、これからも藤姫の目を盗んではでかけることでしょう。
今回のおでかけは『恋守り』と似た感じで、頼久さんのためにおでかけしました。
(実は恋守りを書いたあとに突然このシリーズが書きたくなりました)
強気に怒っていた頼久さんですが、文と橘の花が届いた時の頼久さん、いったいどんな気持ちだったでしょう。
青くなったり赤くなったりしてオロオロしていたかも?(笑)
物忌み当日はあかねちゃんの方が余裕があるかと思いきや、最後は頼久さんの逆転勝ちですね(笑)


●感想がありましたら、ひとことどーぞ♪     

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