土御門から北に向かったところにある北山。
あかねはまたしてもひとりで屋敷を抜け出し、その場所を目指していた。
いつもよりも一人で出かけるには遠い場所なのだが、ちゃんと藤姫には書き置きして来たし、泰明に逢いに行くのだから大丈夫なのだと、あかねは自分を納得させて、この場所に向かう。
北山への道中が一人であり、その時の危険性をあかねは考えていない。このあたり、やはり藤姫や頼久の言葉をちゃんと理解していないようである。
北山へ向かった理由は泰明に逢いに、であった。
最近、泰明は何をしているのか忙しいという理由でもう何日もあかねのところに訪れていない。それまでわりと頻繁に迎えに来ていたのに突然ここまで長い間訪れて来なくなると、逢いたくなるというものである。その欲求が強くなり、あかねは強引に逢いに来たのであった。
泰明は今日はここで過ごしているのだと、こっそりと盗み聞き……もとい、情報を耳にしたため、あかねはやって来たのだった。
北山に着いたとはいえ、すぐに泰明に逢うつもりはなかった。少しの間だけでもいいので、こっそりと普段彼が何をしているのかを見てみたかったのである。
とはいえ、広いこの場所で泰明を見つけるにはなかなかに困難だった。
「いないなぁ」
あかねは自分の身体を隠すようにしゃがみ込みながらつぶやいた。
ひっそりとしたその場所にはどこにも人の気配がなく、あかねは途方に暮れ始めていた。
「神子、何をしている?」
「わっ?!」
茂みに身を隠すように辺りの様子を伺っていたあかねの背後から、突然声が聞こえて来た。
「や、泰明さん?! どうしてそこに……」
いつもの無表情に近い表情の泰明がすぐそばに立っていた。
「お前の気を感じたので来てみた。神子、私の質問に答えよ」
「へ? あ、何をしているかってこと? あのね、ちょっと泰明さんの様子を見に来たの」
あかねは照れながら答えた。
「私の様子だと?」
「うん、そう。泰明さん、どうしているのかなぁって思ったから」
「他に誰かいないのか? 頼久はどうした? 供をしていないのか?」
「頼久さんは、藤姫のお父さんのお供で出かけたので、今日は一人で来てみました」
「!」
「泰明さん?」
泰明が息を飲むのがわかった。
何か変なことを言ったかと、あかねは首を傾げた。
「最近、泰明さん、忙しくて来てくれないでしょ? だから私が逢いに来たの。大変な時は1人より2人の方がいいでしょ? 私も何かお手伝いできることないかなぁって思って……。え、泰明さん?!」
話の途中であかねは泰明に手首をつかまれた。そしてそのまま歩き出す。
「ど、どうしたの?」
「土御門に行く」
「え、でも、泰明さん、今日はここで何かしなきゃいけないんでしょ?」
「私のことなどどうでも良い。こんなところまで一人で来るなどどうかしている」
「や、泰明さん?」
どんどん先を進む泰明に引っ張られる形であかねはついて行く。泰明の足が長いためか、歩幅の違うあかねは小走りになる。
「泰明さん、手が痛いし、歩くの早いです」
息を切らし始めたあかねがそう言うと、泰明はぴたりと足を止めた。
「もっとゆっくり歩いてください」
「……」
「泰明さん?」
「神子、何を考えている?」
「えっ? 何ってどういうこと?」
「私に逢いに来て、忙しいなら手伝うなど、どうしてそんなことを考える?」
何故か泰明は怖い顔をしてそう訊く。
「どうしてって、逢いに来ちゃダメでした? 邪魔しちゃいましたよね。でも忙しい時は少しでも誰かが手伝った方が早く終わると思ったし」
「神子、私のために何かしようとするな。私が神子のために何かするならともかく、神子が私のために手をわずらわせる必要はない」
「どうして?」
「どうしてだと? 道具は利用するもので利用されるものではない」
「道具?」
いまいち泰明の言っていることがあかねには理解できなかった。あかねの疑問に泰明は淡々と答える。
「八葉は龍神の神子の道具だ」
「違います!」
あかねは慌てて否定した。
「泰明さん、どうしてそんなこと言うんですか! 八葉が龍神の神子の道具なんて、そんなことあるはずないじゃない!」
「何故だ?」
「何故って、私達仲間でしょう? 一緒にがんばって、京を助けようって、そう約束したじゃないですか!」
「確かに神子と一緒に京を助けると約束した。だが、私がの力は神子のためにある。神子が望むままにその力を私は使う」
「だからって道具だなんて言い方……」
あかねは泰明が『道具』と言ったのが悲しかった。道具とは、まるで人としての存在を無視した言い方である。あかねに力を貸す泰明に意思はなく、ただ力のみを必要だと言っているようなもの。
あかねは一度としてそんなことを考えたことはない。あかねが泰明に望んでいるのは力だけではないのだ。それなのに、力だけを必要としていると思われている。
あかねは、泰明が自分のことをそんなふうに考えていたことが悲しくて、思わず涙を流した。
「神子、何故泣く? お前に泣かれても私はどうすることもできない」
そう言いながらも、泰明はあかねの涙をそっと袖で拭い取る。
「……っ!」
何かを言いたかったのだが、あかねは何も言えなかった。
「とにかく屋敷へ帰れ。一人で出歩いては星の姫が心配する」
再び泰明はあかねの手を握ると歩き出した。今度は歩調をあかねに合わす。
あかねは涙を堪えながら泰明に引かれるままに歩いた。
しばらく歩いた頃。やっと落ち着いたのかあかねが泰明に声をかけた。
「……泰明さん」
小さくてか細い声であかねは呼ぶ。
「なんだ?」
「ここで何をしようとしてたんですか?」
「……気を静めに来ていた」
「気?」
「お前の側にいると私の気が乱れる。気が乱れては力を使いこなすことができぬ。だからここへ気を静めていた」
「私、泰明さんの邪魔ばかりしてるんですね、ごめんなさい……」
あかねはうつむいて小さな声でつぶやいた。泰明は自分にいろいろと力を尽くしてくれているのに、自分は何の役にも立てない。それどころか邪魔になっているのだ。
また悲しくなってきた。
「……邪魔だと、そうは思っていない」
「えっ?」
「確かに私の気が乱れるのはお前が関係している。だが、それは私が未熟だからだ。お前のせいではない」
「でも……」
「お前が今日来てくれて良かったと思っている」
「えっ?」
「お前と一緒にいると気は乱れる。だから離れれば元に戻ると思った。そうして試みてみたが、気は静まるどこか逆効果だった。私の気は乱れるばかりであった」
泰明は歩みを止めた。
「どうすればいいのかわからずにいたところにお前が来た。そして、私の気が変わった」
「変わった?」
「お前の顔を見て、私の身体全体にあたたかい気が行き渡ったのだ。おまえと初めて逢った頃のように元に戻った訳ではないのだが、私はこの感じを心地よく思った。自分でもよくわからないのだが、神子と一緒にいる時の方が心地よい」
「泰明さん、こっち向いてください」
あかねの言葉に従うように、泰明はゆっくりと振り返る。
目を少し細め、口元も軽く緩ませたあたたかい微笑みがそこにあった。
あかねの心の奥で、とくんと何かが静かに鳴り響く。
「私も、泰明さんと一緒にいる時の方が良いです。ずっと来てくれなくて、泰明さんに逢えなくて、私は淋しかったです」
「神子は私に逢えなくて淋しかったのか?」
自分の言葉を泰明にくり返し訊かれ、あかねの顔が赤くなる。
「さ、淋しいっていうか、その……」
改めて言われると、自分が何か恥ずかしいことを言ってしまったような気がしてきた。
「先ほどの言葉は嘘だったのか? 本当は淋しくはなかったのか?」
言い淀むあかねの言葉に、今度は泰明がしゅんとなる。
「泰明さん、嘘じゃないです。私、淋しかった、ですよ? じゃなきゃ逢いに来ようなんて思わないし」
「本当か?」
ぱっと泰明の表情が明るくなった。
「本当です。泰明さんにずっと逢いたかったです」
「わかった。明日からは私が神子に逢いに行く。そうすればお前は淋しくないな?」
「あ、はい。そうですね」
「それに私が迎えに行けば、神子が一人で出歩くこともない」
言われたくないことを言われ、あかねは慌てる。
「す、少しくらい一人で出歩いても大丈夫ですよ」
「神子! 一人でいる時に何かあったらどうする?! お前は私にとってなくてはならない存在なのだ。私の気をこれ以上乱れさせるようなことはするな」
「は、はい!」
ぴしゃりと言い聞かせられ、あかねは背筋を伸ばして答えた。
「やっぱり藤姫、心配しているかな?」
「悪いと思うのならば謝れば良い。私も一緒に謝ろう」
「本当ですか?」
「大変な時は1人より2人なのだろう?」
表情を変えることの少ない泰明に優し気に微笑みかけられて、あかねは心臓の高鳴りを押さえることが出来なかった。
気が乱れたぞ、何故だ、と泰明に言われたのを何とかごまかし、帰路に着く。
土御門では、やはり藤姫が今にも倒れんばかりの顔色であかねを待っていた。
あかねはひたすら謝り続けた。その横には泰明が座り、泰明なりの謝罪の言葉を藤姫に告げていた。
そして。
この翌日から、泰明は言葉の通り忠実に、毎朝あかねのところへ迎えに来るのだった。
「神子、迎えに来た。外出するなら私も連れて行け」
土御門では、泰明の涼しい声が今日も響いていた。
終
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