〜 恋咲き 〜

     

 空は青く晴れ渡り、陽光がキラキラと降り注ぐ穏やかな春の日。
 そんな天気とはうらはらに、藤姫の表情は曇り空のようであった。そして大きくため息をつく。まだ朝の内だというのに何度目だろうか。
「はぁ」
 再び浮かない顔でため息をついた。
「何をそんなに憂いておられるのですか?」
 パチンと扇を一鳴らしして、藤姫の前に雅びな姿が現れた。
「友雅殿」
「そんなふうにしていては、かわいいお顔が台なしですよ」
 友雅は藤姫の顔を覗き込むような感じで顔を近づけ、にっこりと微笑む。
 いつもならここで藤姫は顔を真っ赤にするところなのだが、今日に限ってその表情は沈んだままだった。
「藤姫、どうかなさったのですか?」
 いつもの反応とは違う様子に、友雅は不思議に思った。
 藤姫は友雅の顔を見つめ、もう一度大きくため息をついた後に話を切り出した。
「はい、実は神子様が……」
「神子殿がどうかされたのですか?」
 表情は変えないまでも、友雅の口調はほんの少しだが重くなる。藤姫がこのような表情をするくらいなのだから、何か事件でもあったのかもしれないと思った。
 藤姫は 一度目を伏せた後、友雅の顔を見上げた。
「はい。ここ数日神子様の御様子が変なのです。友雅殿、神子様はどこかお悪いのではないでしょうか?」
「3日ほど前に御会いした時は特に神子殿に変なところはなかったと思うが。私が会わない間に何かあったということだろうか。藤姫、神子殿が変とはどんなふうに?」
「はい。暗い表情をなさって部屋に引きこもったり、かと思えばいきなり張り切って館の掃除を始めたり。それに話しかけてもどこか上の空でお返事もなさらないことがあるのです」
 そう言うと再び藤姫の口からため息がもれた。 
「要するに、浮き沈みが激しい、といったところか」
「そうですわねぇ。友雅殿、わたくしどうしたら良いのでしょう? 神子様に何かしたいと思いますのに、どうしていいのかわからないのです」
 両手を胸の上で組み、真剣な面持ちで藤姫は友雅を見つめた。
 友雅はその視線を受け止めつつ、思い当たることはなかったかと考えてみた。
 3日ほど前に行動を共にした時は、別段変わった様子はなかった。頼久と3人で怨霊退治をし、無事に帰宅した。昨日、一昨日は私用で供を出来なかったが、他の八葉と言葉を交わした折りには、特にあかねに何かあったとは聞かなかった。
 あかねの様子が変になるような原因は思い当たらなかった。
 藤姫と友雅が考え込んでいたその時、バタバタと廊下を誰かが駆けてくる音が聞こえてきた。
「藤姫、藤姫!」
 急いで藤姫の部屋に入ってきたのは、話題の龍神の神子、あかねであった。
 あかねはどこか嬉しそうな表情をしていたが、藤姫の他に誰かがいるのに気づくと、あっ、と小さくもらした。
「友雅さん、来ていたんですか? おはようございます」
「おはよう、神子殿。朝から神子殿の麗しいお顔を拝見できて嬉しいよ」
「友雅さんも相変わらずですね」
 友雅は優雅にあかねに向かって微笑んだ。女性なら嬉しい悲鳴を上げかねない魅力的な微笑みなのだが、あかねはさらりと受け流していた。
「神子様、そんなに慌ててどうなさったのですか?」
「あ、うん。今日の予定なんだけど、これからちょっとでかけてくるね」
「おでかけでございますか? 今からお一人で? どちらに?」
 続けざまに藤姫は質問する。まっすぐに見つめられ、こんなふうに質問されると、答えない訳にはいかない。
「えっと、頼久さんんとちょっと……」
 あかねの頬が少し赤く染まった。
 その小さな変化に、友雅の眉がぴくりと動く。その様子にあかねも藤姫も気がつかなかった。
「あら、いつの間に約束なさったのでしょう?」
「あ、えっと、ちょっと庭をね、散歩してたら頼久さんと偶然逢って。それで、桜ってもう咲いてるよねって話になって、それなら花見にお連れしましょうかって頼久さんが言ってくれたの。ここ2日位来れなかったお詫びも兼ねるからって。だから約束っていうほどでもないかな。さっき決めたの」
 少し照れたように、そして楽しそうにあかねは話す。その時のあかねに、藤姫が気にしていた変な様子は感じられなかった。
「神子殿、今日は頼久と2人っきりで出かけるのかな?」
「えっ、あ、はい」
 そう答えたあかねに、友雅はにやりと口元に笑みを浮かべる。
「なるほど、それで神子殿はご機嫌が良いのだね。頬を染める神子殿のお顔はなかなかに魅力的だ」
「やだな、友雅さん、からかわないでください」
「からかってなどいないさ。藤姫が神子殿の元気がないと心配しておられたのだが、頼久がそばにいれば問題はないらしい」
「わ、私はいつだって元気ですよ! べ、別に頼久さんがいなくても……」
 そう言いつつも語尾は消えていく。頼久がいなくても平気、だとはあかねには口に出して言えなかった。
「では、神子殿。今日の外出は私も供をして良いかな? あの堅物の頼久と2人だけでは間が持たないだろう?」
「えっ、友雅さんも一緒に?」
 あかねの声音が思わず落ちた。そのことに自分でも気づいたのか、あかねは慌てる。
「と、友雅さんは今日の予定はないんですか?」
「私は神子殿とどこかへでかけたいと思って誘いに来たのだよ? 頼久に先を越されてしまったようだけど」
「そ、そうだったんですか。あ、じゃ、友雅さんも……」
 あからさまにイヤとは、あかねは言えなかった。もちろん友雅がイヤだと言う訳ではない。ただ頼久と逢うのは3日ぶり。それに頼久と2人っきりで出かけることは滅多にない。だから、あかねとしては今日くらいは頼久と2人で過ごしたいと思っていた。
 しかし、それを口に出して説明するのも、なんとなく恥ずかしい気がした。
 友雅にはっきりと承諾の返事をできないあかねは、いつの間にか無言になっていた。
「そんな顔をされると私も傷つくのだが」
 急に黙ってしまったあかねに、友雅は苦笑を唇に浮かべる。しかし、それはどこか楽し気にも見えた。
「えっ、そんな顔って……」
「『せっかく頼久さんと2人っきりなのに、友雅さんはおじゃまだわ』といった顔だよ」
「ご、ごめんなさい! そんなつもりは……」 
 あかねは焦って言い繕おうとする。自覚していなかったが、そんなふうに友雅の瞳に映っていたのが恥ずかしくなった。
「やっぱり2人だけの方が良いようだね」
「そ、それは……」
 再びぽっとあかねの頬が赤く染まる。
 あかねは自分で気づいていないのだろうが、やはり頼久と2人で出かけられると思うと、表情が明るくなるのである。
 本当にくるくると表情が変わる様子はおもしろい。
 あまりにもわかりやすいあかねの様子に、友雅はくっくっと笑いを押し殺したようにする。
「咲きかけの花はなかなかに可愛いくて愛でていたものだが……。神子殿、今日のところは私は遠慮しておこう。2人っきりで行くと良い。ほら、頼久を待たせているのだろう? いつまでもここにいては心配するだろう。そろそろ彼のところへ戻った方が良い」
 やはり笑いは押さえられなかったのか、楽し気にしながら友雅はあかねを促した。
「じゃ、じゃあ、行って来ますっ」
 あかねはどこか照れながらも晴れ晴れとした明るい笑顔を残して、藤姫の部屋を出ていった。
「あ、いってらっしゃいませ。神子様、お気をつけて」
 藤姫はあかねに声をかけたが、すでにあかねの姿は藤姫の瞳には映っていなかった。
 バタバタと廊下を走る音がだんだんと小さくなり、やがて消えていった。
「今日の神子様は昨日と違ってお元気そうですわ」
 首を傾げながら藤姫はつぶやく。
 とはいえ、頼久と2人ででかけると言ってきた笑顔の時と、友雅も一緒に行くと言われて声音が落ちた時のあかねの変化の様子は、藤姫が目にした浮き沈み、というのとは目にした感じは違うかもしれないが、その意味合いは同種であろう。
 今だ心配顔の藤姫に、友雅は話しかけた。
「どうやら、藤姫の心配は無用のようだ」
「どういうことですの?」
「病でもなんでもなく、神子殿も普通の少女だということですよ」
「? どういう意味ですの?」
 藤姫は友雅の言う意味がさっぱり理解できなかった。
「要するに、神子殿は頼久と一緒にいると楽しくて元気になるということだよ」
 他の誰でもなく、あかねにとっては頼久がそばにいることがなによりのしあわせだということである。
 藤姫の言う『変な様子の神子様』とは、頼久に逢えなかったことに原因があるのである。
 つまりは、恋わずらい、というもの。
「頼久と一緒だと元気になれる? やっぱりわたくしにはよくわかりませんわ」
 藤姫は首をひねるばかりであった。
「わたくしなら頼久よりも友雅殿と一緒にいる方が楽しいと思いますのに」
 何気なくそんな言葉が藤姫の口からこぼれる。
「おや。藤姫は嬉しいことを言ってくれる。では、本日は私のお相手をしていただけますか?」
「よろしいのですか?」
 パッと藤姫の表情が明るくなる。それはさきほどのあかねのような笑みだった。
「ええ、いいですよ。神子殿もいないことだし、特に予定もないからね」
「あら、わたくしは神子様の代わりですの?」
 思わず拗ねたように頬を膨らませる藤姫の姿を、友雅は微笑ましく思う。
「目の前のこんなにも可憐な花が他の代わりなどとどうして言えるのだい? 今日は桜よりも藤の花を愛でていたいのですよ」
 優し気な友雅の微笑みに、藤姫はほんのりと頬を染めた。

 

         終

          

ちょっとフリートーク

 基本は『頼久×あかね』なんですけど、書き上がったら『友雅×藤姫』が強くなっ
てしまったかも?
 しかも頼久さん出てきてないし(^^;)
 あかねと友雅さんがこんなやりとりをしている頃、頼久さんは庭でそわそわしてい
るかもしれませんね。
『神子殿はまだだろうか』とか『藤姫様に承諾を得られないのだろうか』とか(笑)


●感想がありましたら、ひとことどーぞ♪     

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