しあわせたいむ


   

「ヒノエ君、私今夜は子供達と寝るから」
 その夜、素っ気なく望美はそう言い残し、3歳になる息子のカナタと娘のはるひを連れて夫婦の間を後にした。
 仕事から戻り、望美の膝の上で寛ごうかと思っていた矢先にその言葉。
 愛する夫に言う言葉としてはあまりにも冷たいではないだろうか。
 3月中に絶対に戻ってきてと望美が言うから、急いで仕事を片付け、全速力で船を走らせたと言うのに。
 今日は3月31日。
 約束の日には間に合った筈だ。
 しかし、夜も更けたこの時刻、明るいうちに帰れなかったのが気に入らなかったのだろうか。
 もっとも、子供を理由にされれば、無理を通す事は出来ない。
 彼女は妻であると同時に母でもあるのだから。
 理屈は頭でわかっていても、気持ちを気軽に切り替えることは出来ない。
 「一週間も逢えなかったっていうのに、望美は平気なのか?」
 ぶつぶつとヒノエは不満を口にするが、聞く者はいない。
 一人でつぶやいたとて仕方のないので、ヒノエは諦めて一人眠りについた。

 

◇ ◇ ◇

 

  ヒノエ君

 
 優しい声が耳元をくすぐる。
 

  ヒノエ君
 

 もう一度、くすぐったくなるような甘い声が耳に届く。
 

  ヒノエ君
 

 三度名前を呼ばれたところで、ヒノエは目を覚ました。
 眩しい光に目を細めつつ、目を徐々に開ければ、瞳に映るのは最愛の妻の顔だった。
「望美? もう朝か?」
 強行軍で戻ってきて疲れていたのか、あれからすぐに寝入ってしまったようだ。
「おはよう、ヒノエ君」
 にっこりと望美は微笑んだ。
「ちちうえ、おきた」
「とおさま、おきたね」
 小鳥がさえずるような可愛らしい声も聞こえてきた。
「ちび2人もいるのか?」
「うん、いるよ。さ、二人とも」
 望美に促され、ぱたぱたと小さな足音を立ててカナタとはるひはヒノエに近づく。
 かと思ったら。
「ちちうえに、ちゅー」
「ちゅー」
 ヒノエの両側に来たカナタとはるひは、寝ていたヒノエの左右の頬にそれぞれ小さな唇で口づけた。
「どうしたんだ、おまえら。朝っぱらから」
 起き抜けに、いきなり我が子から口づけを受けたヒノエは驚く。
「おいわいのちゅーなの」
「ちゅーなの」
 カナタとはるひは嬉しそうに飛び跳ねる。
「お祝い? 一体何の事だ?」
 体を起こしたヒノエは、望美に訊く。
「忘れちゃったの? 今日は4月1日だよ。ヒノエ君の誕生日。だからお祝い」
 望美がいた世界では生まれた日を祝い習慣があるという。
 この世界では特に意識したものではなかったので、望美に教えられはしてもつい頭から離れがちであった。
「驚いた? 寝起きに一番に子供達からのお祝いをあげたかったの。ヒノエ君のそばで私が寝てたら、私が起きた時ヒノエ君絶対起きちゃうでしょう? だから昨日は子供達と一緒に寝たの。さ、カナタ、はるひ、もう一度父上にお祝いのちゅーよ」
「はーい、ちゅー」
「ちゅー」
 左右同時に受ける小さな口づけは幸せの証でもあった。
「ありがとな、カナタ、はるひ」
 ヒノエは二人の頭を撫でた。
 可愛い我が子。
 二人がこの世に生まれて来て良かった。
 この子達の生まれ日には、盛大な祝いをしようと心に誓う。
 二人を産んでくれたのが望美で良かった。
 この世に生まれ、望美に出逢うことが出来て本当に良かった。
 ヒノエは自分が生まれたこの日があることを、心から感謝した。
「それで、我が奥方からのお祝いはないのかな?」
「あのね、今日はたくさんごちそう用意するから。それから、もちろんちゃんと贈り物もあるのよ」
「ねぇ、望美」
 何かをねだる子供のような顔で、ヒノエが望美の顔を覗き込む。
 ヒノエの言いたい事は望美にもわかっていた。
 けれど、この場には子供達がいる。
 望美はちらりとカナタとはるひを見た。
「別に気にする事ないだろう? 両親の仲が良いことは子供達にとっても悪いことじゃない」
 頬を染めながら望美が躊躇う理由もヒノエにはわかっていた。
 どれだけ年を重ねても、照れる様子は出逢った頃と変わりなく、初々しさが見える。
 そんな姿が愛おしくてたまらない。
「カナタ、はるひ。目閉じろ」
「どうしてぇ?」
「どうしてぇ?」
「目閉じて、ゆっくり5つ数えたら、お土産あげるから」
「ホント! わかった!」
「わかった!」
「よし、良いコだ。じゃあ、行くぞ、イーチ」
「いーち」
「いーち」
「ニーーーーーーーーーーーーーー」
「にーーーーーー……」
「にーーーーーー……」
 子供達は目を閉じて数を数え始める。 軽く片目をつむって、ヒノエは合図する。
 望美は小さく笑い、それに応える。
 この世で一番甘くて優しい口づけを二人は交わす。

「ヒノエ君、お誕生日、おめでとう」
 

 あたたかい陽射しを受けて花芽吹く卯月の始まりの日。
 その日は1日中しあわせに満ちていた。

                                      終    



<こぼれ話>

  

カナタ「さーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
はるひ「さーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
ヒノエ「イーーーーーーーーーーーーーーーーーーーチ」
「いーーーーーーーーーーーーーーーーーーーち」
「いーーーーーーーーーーーーーーーーーーーち」

「時間延びたから、もう1回な」
望美「ヒノエ君、ずるはダメ」
 

ヒノエ君が時々入れば、数かぞえはエンドレス(笑)

ということで。
ヒノエ君のバースデー創作です。
2008年版では子供達からもお祝いです。
子供達からのちゅーはヒノエ君も嬉しいことでしょう。

では最後に。
ヒノエ君、Happy Birthday♪

   

 

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