「一緒にいる時は私だけを見て!」
たまりかねた望美がそう叫ぶ。瞳に少しの涙が浮かんでいた。
言われた方のヒノエはというと、何故そんなことを泣きながら言われるのか意味がわからず、何故かきょとんとした表情をしていた。
事の起こりはそれよりも10分ほど前のことだった。
◇ ◇ ◇
「今日はどこへ連れて行ってくれるの?」
「ネットでチェックしたら、最近オープンした水族館でペンギンの赤ちゃんが公開されてるって情報見つけたんだ」
「ペンギンの赤ちゃん?」
「見たくない?」
「見たい!」
望美はヒノエの提案に即座に応えた。
「ということで、今日のデートは水族館な」
ヒノエはそう言って軽くウインクをすると、さりげなく望美の肩に手を乗せた。
「ヒノエ君ってホント何でも知ってるよね」
「まぁね。何事も情報がまず第一だろう? ここの世界には『ぱそこん』ってもので何でも調べられるからね。烏の情報よりも正確性には欠けるけど、仕入れられる情報は知っておかないとね」
こんなことを軽く言うヒノエだが、望美は強く感心する。
この世界に来たヒノエはパソコンに興味を持ち、いつのまにかそれを扱えるようになっていた。譲の指導のおかげもあるが、ヒノエの飲み込みの良さは抜群だった。そんなヒノエに、機械の操作に疎い望美は尊敬するばかりだった。
「水族館まで電車で2駅だったな」
そう言いながらヒノエと望美はまず駅を目指した。
すぐに着いた駅の券売機の前はずいぶんと混雑していた。
「あんな人込みに望美を連れて行く訳には行かないな。オレが、切符買ってくるからちょっと待ってて」
軽い足取りでヒノエ切符を買いに行く。
望美は券売機より少し離れたところでヒノエを待つことにした。
壁にもたれながら券売機の方を見る。
「ヒノエ君、まだかなぁ」
券売機前の混雑は一向に解消されていはいなかったが、それはあとから絶えず人が来るのであって切符が買えないわけではない。
それなのに、なかなかヒノエは戻っては来なかった。
望美は心配になり、券売機の方へと移動してみた。
人込みの中から見え隠れする赤い髪。
すぐにヒノエの目印となる髪の色を見つけた望美はそちらの方へと近づいてみた。
しかし、急にその歩みが止まる。
ヒノエは一人ではなかった。
向かい合うようにして立っている人物がいる。
上下とも真っ赤なスーツに身を包む女性。ミニスカートから伸びる足はすらりと長く、きついウェーブがかった髪は背中に流れ、口元に当てられた指先の綺麗に色付けされた付け爪が目を引いた。女性は横顔しか見えないが、ヒノエと何か言葉を交わしては楽しげに笑っていた。
ヒノエが見知らぬ女性に声をかけられることは少なくない。
一瞬、いつもの逆ナンパにも思えたが、すぐにその雰囲気ではないことがわかった。
見知らぬ人を見る時のヒノエの顔はどこか冷めた表情になる。けれど、その女性に見せる顔はいつものそれではない。多少なりともくだけた感じが見える。
誰?
望美の心に不安が浮かぶ。
離れていたのはほんの2、3分。けれどそれは望美にとっては短い時間ではなかった。
目の前で、ヒノエが自分以外の女性に目を向けているのを見るのは堪え難いものだった。
望美はヒノエに近づけないまま一歩足を後ろに引いた。そしてそのまま踵を返した。
どこを目指しているわけでもなく、望美はただ早足で歩く。
どうして笑顔で話なんてしているの?
私の知らないその人は誰なの?
望美の頭の中では、口には出せない疑問がぐるぐると繰り返していた。
「望美!」
背後からヒノエの声が聞こえてきた。けれど、望美は歩みを止める事はせず、その呼びかけにも応えなかった。
「急にいなくなるからびっくりしたじゃないか」
何事もなかったように話しかけるヒノエ。
望美はやはり応えることはしない。それどころか歩く速度をさらに上げる。
「そんなに急いでどうした? 気分でも悪くなった?」
望美が歩く速度を上げても、あっさりとヒノエは望美の隣に追いつき、いつの間にか並んで歩いていた。
しばらく無言ままでいる2人。
やがて望美の様子を伺っていたヒノエが先に口を開いた。
「望美、何か怒ってる?」
「……」
「望美」
「……」
「望美ちゃん」
「……」
ヒノエが呼び方を変えて呼んだりしてみても、望美は無言のまま返事はしなかった。
「オレの姫君は一体どうしたのかな?」
ついにヒノエは望美の前に回り込み望美の行く手を阻むと、望美の顔を覗き込んだ。
望美はうつむいたままだったが、急に顔をあげる。
そして冒頭に台詞となる。
◇ ◇ ◇
「一緒にいる時は私だけを見て!」
たまりかねた望美がそう叫ぶ。目に少しの涙が浮かんでいた。
言われた方のヒノエはというと、何故そんなことを涙を浮かべながら言われるのか意味がわからず、何故かきょとんとした表情をしていた。
「オレはいつも望美しか見てないけど?」
「嘘!」
「何故、そう思う?」
「だって……」
「だって?」
「さっきのヒノエ君、楽しそうに笑ってた!」
「さっき?」
「赤いスーツ着た大人っぽい綺麗な女の人と一緒にいたじゃない」
「……あぁ、あれか」
忘れていた事を思い出したかのようにつぶやく。ヒノエにとってはそんな些細なこと。しかし望美にとっては違っていた。
「とぉっても仲が良さそうだったわよね。一体どんな関係の人かしら?」
「気になる?」
『女性問題』を指摘されたにも関わらず、別段ヒノエは慌てた様子を見せたりはしなかった。それどころかどこか楽しげな感じが見える。
しかしそれは返って望美の嫉妬心を刺激した。
「あの人と一緒の方が良いならそっちに行けばいいじゃない! さようなら!」
望美はヒノエの横をスッと通り抜けて駆け出した。
今までになく怒りを表す望美に、さすがのヒノエも慌て出す。
「待てよ、望美」
ヒノエはすぐに望美の腕を掴み、その場に引き止める。
「知らない! ヒノエ君なんて大嫌い!」
半分泣きながら望美は叫んだ。
「……ひどい事言うね、オレの姫君は」
「えっ?」
急に腕を引っ張られて引き寄せられたかと思うと、一瞬のうちに望美はヒノエに唇を重ねられた。
あまりに突然のことで望美は抵抗すらできなかった。
しかしハッと今自分達がいる場所が公共の場であることを望美は思い出す。
土曜日の午後、そこは買物客や学校帰りの生徒達でにぎわっている。そんな人通りの多い場所でキスするなんて望美には考えられないことだった。
「やめっ、ヒノッ……!」
抵抗の言葉はヒノエの口に飲み込まれる。
塞がれる唇。
場所を考えもしない突然のKiss。
強引で一方的で。
でも、望美はそのKissが、イヤではなかった。
強引ではあったけれど、それはいつもと変わらないKiss。
どれだけ愛されているかがすぐに伝わるものだった。
唇から伝わるぬくもりを感じた望美は、わずかにしていた抵抗を止めた。
そして、やっとヒノエは望美を解放した。
「ずるいよ……こんなところでするなんて……」
か細い声で望美はつぶやく。
「お前が『大嫌い』なんて言うから、オレは『大好き』を伝えただけだ。ここがどこだろうと、誰が見てようと関係ない。オレはオレの気持ちを伝えるだけ。コレが一番早く気持ちが伝わるからしただけだ」
確かに伝わった。
ヒノエの想いは確実に。
しかし、それだけでは望美の心に不安は残ったままだった。
ついに涙が一筋流れた。
「望美、まだダメ? オレの気持ちは届いていない?」
その問いかけに望美は首を左右に振る。
「ヒノエ君の、気持ちは届いた。でも、でも……」
「泣かないで、望美。望美に泣かれるとオレはどうしたら良いのかわからなくなる」
ヒノエはそっと望美の涙を指で拭う。
「だって、だって……、ヒクッ、ヒノエ君カッコ良いから……、ヒクッ、目立つから……、ヒクッ、すれ違う女のコみんなヒノエ君を見てる」
「誰がオレを見てようが、オレは望美しか見ていない。望美しか見えない」
「見ている人はみんな綺麗で、ヒクッ、可愛くて、ヒノエ君を見てるその別の誰かが、ヒノエ君をあっという間にさらってしまいそうで、ヒクッ、怖い……」
「うん」
気がつけば望美はヒノエの腕の中にいた。
「ごめんな、そんな望美の不安に気づかなくて」
そっと包み込むように抱かれ、優しく髪を撫でられる。
「さっきの女はオレの取り引き先のオーナーなんだ。前に話したろ? オレがこの世界の金を手に入れるのに、1件の宝石商を相手にしてるって。今日はたまたま通りすがりに会ったから挨拶しただけ」
望美のいる世界と熊野を行き来しているヒノエ。
こちらの世界にずっと住む訳ではないけれど日帰りというわけにはいかないため、何かと必要なものはある。この世界での住居費、洋服代、望美とのデート代、食事代など。
こちらで働いて稼ぐような時間もないため、金銭を手に入れる手段としてヒノエが選んだのが宝石を利用した取り引きだった。
もともと熊野で他国との取り引きをしていたのだから、その相手を広げただけのことである。
熊野で取り引きされるメノウや琥珀などの原石は、熊野でも価値は高い。そしてその価値はこの世界でも当然高いものであった。
手軽に持ち込め、少数で大金ともいえる現金を手に入れるのにはもってこいの方法である。
そうは言っても大量に熊野の物を持ち込むのは良くないとの譲の意見を聞き入れ、取り引きは数カ月に1回しか行わない。こちらの世界で使う分さえあれば良いのだから、それで十分だった。
「わかってくれた? 望美』
ヒノエの説明を聞き、そしてヒノエの腕のぬくもりと髪を撫でられる心地良さに、次第に望美の気持ちも落ち着いてくる。
やがてぽつりと口を開いた。
「……ごめんなさい」
「謝らなくても良いよ」
「ううん、ごめんなさい、勝手に不安がって。ヒノエ君が悪いわけじゃないのはわかってるの。でも、不安は消えなくて……。いっそ誰の目にも触れないところに隠しておきたくなる」
「奇遇だね、オレも望美を隠しておきたいっていつも思ってる」
「ヒノエ君、ふざけないで!」
「お前こそ気づいていない」
ヒノエの望美を抱く腕の力が強まる。
「お前が学校へ行っている間、オレが熊野にいる間、その逢えない間にオレがどれだけ不安でいるか。オレのいないところで、お前が別の枝に羽ばたいて行くんじゃないかっていつも考えている。挨拶を交わすだけの男でも、いや、オレがこの世界で困らないようにと協力してくれた譲でさえもオレは嫉妬するよ。望美のそばに近寄る男は全部排除したい」
「ヒノエ君……」
「オレだけを見て、望美。周りなんて気にしなくてもいいから」
「ヒノエ君も私だけを見てくれる?」
「言っただろう、オレはお前しか見えていないって。いつも、いつでも、どんな時でも望美のことだけを見ている。オレは決して他の女になんか目を奪われたりなんかしない」
ヒノエの断言はそのまま真実を示す。彼が口にした言葉が嘘になることはない。
「望美が不安に思うようなことは絶対にないから。だから望美も安心してオレだけを見て?」
その言葉に望美は頷く。
ヒノエがそう言うのならもう不安になる必要などない。
抱きしめられるこのぬくもりは、私だけのもの。
この強い輝きを持つ瞳の見つめる先にいるのは私だけだと、そう思うことができる。
「ヒノエ君、ずっとそばにいてね」
「もちろん。お前から離れるなんて考えられないよ」
ヒノエは望美の額に軽く口づけた。
「ねぇ、望美」
「何?」
ヒノエの腕の中で心地よくしあわせを感じながら望美は返事をする。
「お互いに相手を隠しておきたいって思うなら、2人っきりになれるところ、行こうか?」
「2人っきりになれるところ?」
「そう、例えばオレの部屋とか」
「いいの? だって今日は外で遊ぼうって……」
「部屋で2人っきりになったら望美を抱きしめて放したくなくなるから、今日は我慢しようかと思ったんだけだからね。望美が部屋に来るのは大歓迎」
「じゃ、行く。行きたい」
やっと望美の顔が陽が射したかのように明るくなった。
「オレの姫君はやっぱり笑顔が一番だ。可愛いよ」
ヒノエの言葉にポッと望美の頬が薄紅色に染まる。
それを見た後、ヒノエは望美の耳もとに口を近づける。
「オレがどれだけ望美を想っているのか、たっぷり感じさせてあげるよ。今日は帰さないからね、覚悟しておけよ」
望美の頬は一層紅に染まるのだった。
終
<おまけ その1>
ヒノエがこちらの世界で借りているマンションへ向かう途中でのこと。
「ねぇ、ヒノエ君、さっきの人とは2人っきりで会ったりすることあるの?」
「ん? 意外と引きずるね。まだ何か気になるわけ?」
「ヒノエ君言ったじゃない。私のそばに近寄る男は全部排除したいって。私も同じだよ。たとえ仕事上の関係でも2人っきりで笑顔を見せたりするのはイヤ」
「嬉しいこと言ってくれるねぇ」
「だって……」
「あんな笑顔なんて言えないものを気にする必要なんてないぜ。オレが笑顔になれるのは望美の前でだけなんだから。それに、お前はお前しか知らないオレの最高の顔を知ってるだろう?」
「ヒノエ君の最高の顔?」
「そう。誰にも邪魔されないオレの部屋の、ベッドの上での、ね?」
<おまけ その2>
「ママ、あのお兄ちゃんとお姉ちゃんちゅーしてる」
「見ちゃダメよ」
「あの男のコ、カッコ良くない?!」
「ドラマの撮影?!」
遠巻きに様子を伺う人々の声が学校帰りの譲の耳に届く。
「一体何が……って、えぇ?!」
(せ、先輩?! と、ヒノエ?!)
思わず柱の影に身体を隠し、そしてこっそりと様子を伺う。
(ど、どうしてあんなところで、だ、抱き合って、キ、キ、キ、キ、キスなんて!)
(目立つ事はするなってヒノエに言っておいたのに……、いやそもそも先輩に何を!)
(先輩、あんなに顔を赤くして……可愛い……、い、いや、そうじゃなくて。2人ともせめて場所くらい考えて……)
「ママ、このお兄ちゃん何かぶつぶつ言ってるよ〜?」
「見ちゃダメよ!」
<こぼれ話>
十六夜記編、初創作。
書いた本人がいうのも何ですが、あまりのバカップルぶり(笑)
こんな話になる予定ではなかったと思うのですが、おかしなものです。
おまけその2の譲君も、こんなシーンを目撃するなんて不幸なものです(ゴメン、譲君/^^;)
うちの十六夜記編の2人は、望美ちゃんが現代に帰る直前、あの船で過ごした一晩の時に一線を越えているので、少しばかり大胆な設定です。
ヒノエ君の最高の顔を、この後望美ちゃんは見ることになるのでしょうね〜(///)
……ってそんな余裕が望美ちゃんにあるのかどうか……おっと、話が表ではまずいものになんてきたのでこのへんで(笑)
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