平家と最後の決着をつけるべく戦がもうすぐ始まるだろうという頃だった。
「全てのことに決着がついたら、元の世界に帰ろうと思うの」
浜辺で夜風を受けながら、望美はヒノエに告げた。
「本気で言っているのか?」
一瞬の間の後にヒノエは訊いた。
「……本気、だよ」
「どうして?」
「だって、決着がつけば私がここにいてももうできることはないし……」
「オレのそばにいてくれるって言ったのはもう無効なわけ?」
「無効っていうか、戦う必要がないなら、そばにいる意味はないし……」
「オレがお前を必要だと言っても帰る?」
「ヒノエ君は私がいなくても平気でしょう?」
静かに打ち寄せていた波が、その時急に大きくなった。
「お前は本当にひどい事を口にできるんだね」
「ひどいって……」
「お前がいなくなってもオレが平気だって? 冗談じゃない。どれだけお前がオレの心をかき乱しているのか知らないなんて言わせないよ」
「ヒノッ……!」
ヒノエは望美に手を伸ばしてその頭を捕らえると、そのまま引き寄せて唇を重ねた。
重ねた、というよりも噛みつくような勢いのある口づけだった。
いきなりのその強引な口づけに、望美は抵抗する。
ヒノエに抱き締められながらも背中や肩を叩く。しかしそれはヒノエにとって何の障害にもならない。
抱き締めるヒノエの腕はさらに力が入る。
口づけも、息さえできないくらいに深くなる。
ヒノエの内に苦しさが込み上がってきた。
口づけのせいで息が苦しくなった訳ではなく、想う気持ちが正しく望美に伝わっていなかったのかと、心に悔しさが広がったせいである。
どんな態度を取っても、どんな言葉を伝えても、望美の気持ちは手に入らないのだろうか。
掴んだと思った途端に、この手からすり抜けていく。
ヒノエの口づけは止まることなく、激しくなる一方だった。
望美の抵抗していた手が次第にその動きを弱める。
初めて受ける激しい口づけ。
しかし強引な口づけだからこそ想いもまた強く感じる。
言葉にできない想いが触れた場所から流れ込む。言葉を交わすことよりも、もっと率直に気持ちが伝わる。
いつしか望美の抵抗が途絶える。
何も考えられなくなり、ただヒノエに身をまかせた。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
やがてヒノエの腕の力がわずかにゆるむ。
ヒノエの腕にのみ支えられていた望美の身体は、ヒノエの腕の力を失う事で立っていられなくなる。自分で身体を支えられなくなった望美は、重力に従ってその場にぺたりと座り込んだ。
「オレの気持ちを知ってて、オレを試した?」
頭上からの声に望美は勢いよく首を横に振る。
そんなことをするつもりは全くない。
ヒノエの気持ちを疑うことなど、望美は考えたこともない。
ただ、この世界では異端の存在である自分がこの先どうなるか、不安で不安で仕方がなかった。その不安に押しつぶされそうで、穏やかなあの日々が懐かしくて、『帰る』と口に出さずにいられなかっただけなのだ。
『帰る』と言えば、きっとヒノエは『帰るな』と言ってくれるだろうと思った。そして不安でたまらない気持ちをほぐしてくれる言葉をくれるだろうと。
それは望美のヒノエに対する甘えだった。
その言葉を言うことでヒノエがどんな思いをするか考えていなかった。
その一言がどんなに重いものだったか自分はわかっていなかった。
自分の甘えは、ヒノエを傷つけることでしかなかったと、望美は深く後悔した。
「帰りたいと言うなら帰れば良い」
「えっ?!」
思わず顔を上げ、ヒノエを見た。いつもとは違う難い表情でヒノエは自分を見ていた。
「帰れるものならね」
まっずぐにヒノエの視線は望美に向けられる。
「オレは本気だよ。お前を帰さないと決めたんだ」
ヒノエの一言一言が望美の心に響く。
「最終的に帰るかどうかを決めるのはお前だ。けれど、オレは必ずお前をその気にさせてみせる。お前がこれまで積み重ねてきた事全てよりもオレが必要だと言わせてみせる。もう手加減はしない。オレの本気を見せてやる」
自信にあふれた言葉。
胸が熱くなる。
その言葉にはもう逆らえなくなる。
選択権は望美にあるのだと言うけれど、答えはひとつしかない言葉だった。
「お前を帰さない」
最後にもう一度そう言ったヒノエの言葉は、望美の心に深く突き刺さった。
終
<こぼれ話>
優しくするばかりではなく、時にはヒノエ君もこんな態度を取ってみたり。
『帰る』と言ったら何て言ってくれるか、望美ちゃんにはホントに試すつもりはなかったんですけれど、何て言ってくれるかはちょっとは期待してたかな。
ヒノエ「どこから攻めるか……」
九郎「ヒノエはずいぶんと熱心に戦略を練っているようだな」
弁慶「あんな真剣な表情は、見た事がありませんね。あの調子なら勝利は間違いないでしょう」
ヒ「あぁ、本気を出したオレには勝利しかねぇぜ。お前ら、邪魔すんなよ」
なんの戦略なんだか(笑)
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