春眠り


 毎夜、優しく髪を撫でられながら眠りにつく。それがとっても心地よい。
 毎朝、一番最初に見るのは朝日に負けないくらいの眩しい笑顔。いつも変わらないその笑顔に朝からドキドキする。

 

「姫君、もう朝だよ」
「ん〜、おはよう、ヒノエ君」
「おはよう、よく眠れたかい?」
「う〜ん、眠れたけどまだ眠い……」
 望美は眠たい目をこすりながら、布団代わりの袿を引き寄せ頭からすっぽりと被る。
「オレの姫君は、目覚めの口づけでもしないと、今日も起きてくれないのかな?」 
 それもいいかも、などと寝ぼけた頭で望美は思う。とはいえ、本当に口づけされると朝から心臓が耐えられそうにないので、袿から顔を出した。
「何? オレの顔に何かついてる?」
 袿から顔を出した後、望美そのままじっとヒノエの顔を見ていた。
「ヒノエ君って、いつ寝てるの?」
「はぁ?」
 突拍子もない質問にヒノエは驚く。
「だって、いつも私の方が早く寝て、起きるのは後でしょう? どんなに遅く帰ってきた時も、必ず私より早く起きてるし。私、ヒノエ君の寝顔って見たことないなぁって思って」
「ちゃんと寝てるよ。姫君の隣で」
「でも……」
「姫君の可愛い寝顔も寝起きの姿もオレだけが見られる特権だからね。それを見逃さない程度に寝てるよ」
「それって毎日私は寝顔も寝起きも見られているわけよね?、そんなの、恥ずかしいからあんまり見ないでよ」
 寝所を同じくしているのだから、そう言われても無理なことなのだが、自分一人だけ寝顔を見られるのはやはり気恥ずかしくなる。
「恥ずかしいって? あんなに可愛いのに。でも、そうだね、寝言であんなこと言ってたら、恥ずかしいかもね」
「えっ?! 私、寝言で何か言ったりしてるの?!」
 望美は急に起き上がる。
 当たり前と言えば当たり前なのだが、寝言を言った憶えなど全くない。
 恥ずかしくなるような何かを無意識に口に出しているのだろうか。
「いつもの姫君からはとても聞けないような言葉、かもね」
 思わせぶりなことを口にしてみる。
「う、嘘?! 何、言ったの?! や、やっぱりいい、言わないで。あ、でも……、」
 慌てふためく望美を見て、ヒノエはククッ笑いをもらす。その様子はとても楽しげだった。
 それに気づいた望美がハッとする。
「あっ! もしかしてからかってるの?!」
「目が覚めただろう?」
「ヒノエ君ったらひどいんだから」
 ぷぅっと望美は頬をふくらませる。そんな子供じみた態度でも、ヒノエの瞳には愛らしい態度としか映らない。 
「でも、普段の望美が言わないことを寝言で言ったのは事実だよ。たとえば、『ヒノエ君、愛してる』とか」
「う、嘘!」
「嘘って、オレのこと愛してないってこと?」
「えっ、まさか! そうじゃなくて、寝言でそう言ったのが嘘だと思ったわけで、私はヒノエ君のことはもちろん……その……えっと……」
 次第に顔を紅く染め、しどろもどろになりつつある望美に、再びヒノエが笑い出す。
「もう! 話がずれてるんだから! 私はヒノエ君がいつ寝てるのか、ちゃんと寝てるのか知りたかっただけなのに。笑うなんてひどいよ」
「悪い、そんなつもりじゃなかったんだけど」
 そう言いながらも笑いは止められない。
「起きてても寝言でもその言葉はもう絶対言ってあげないんだから」
 そこまで言われると、ちょっとからかい過ぎたかな、とヒノエは心の中で反省する。
「機嫌直してくれよ?」
「もうしらない」
 望美はツーンと横を向く。
 そんな素っ気無い態度を取られ、ヒノエは少し苦笑を浮かべる。
「許してくれよ? ねぇ、望美?」
 得意技のように望美の顔を覗き込み上目遣いをするヒノエ。それに弱い望みは一瞬にして許してしまいたくなる気持ちになる。しかし、望美も意地がある。今日はあっさりと許しはしなかった。
「ダメ、許さない」
「困ったな。どうしたら許してくれるかな? そういえば、オレの寝顔を見たいと言ったね? なら、今日1日好きなだけオレの寝顔を眺めてて良いからさ」
 ごろん、とヒノエは横になって望美の膝を枕にする。
「寝ているうちに顔に落書きするかもよ?」
「いいぜ、姫君のお好きなように」
 ヒノエはそのまま瞳を閉じる。
 実際にはまだ寝ていないから寝顔ではないけれど、瞳を閉じたヒノエの顔を望美はゆっくりと見つめる。
 高い鼻梁、長いまつげ、薄い唇も形が良い。
 女性としては羨ましくなるくらいに整った顔立ち。
 顔で好きになったわけではないけれど、やはりこうしてじっと見つめればうっとりし、ドキドキする胸の鼓動の高鳴りは押え切れない。
 気持ち良さそうに目を閉じているその顔を見ていると、胸に浮かぶ気持ちがつい口からこぼれてしまいそうになる。
 何もしていないはずなのに、適わない。
 そう思わずにはいられない。   
 望美は正直な自分の気持ちを押さえることはできなかった。
「ヒノエ君、愛してるよ」
「!」
 当分は言ってくれはしないだろうと思っていた言葉が望美の口からこぼれ、ヒノエは目を見開いた。
 望美の膝に頭を置いたまま、ヒノエは望美を見る。
 ふんわりと吹く春の風のようなあたたかな微笑みがそこにある。
 細い指先がヒノエの髪に触れ、そしてゆっくりと髪を梳く。
 これだから、この姫君には適わない。
 どんなに驚かせたとしても、最後はいつも何気ない一言で負かされる。
 たった一言で骨抜きにしてしまう望美の魅力に、ヒノエは再度気づかせられる。
 しかし、そんなふうに感じたことを望美に知られるのは悔しいから、ヒノエは平静を装う。
「オレも、愛してるよ」
 真っ赤になった望美の顔を確認して、再びヒノエは瞳を閉じた。

 

                                   終


<こぼれ話>

 結婚後まだ間もない頃かな。
 ヒノエ君って寝顔はなかなか見せてくれなさそうな気がしました。
 それより、うちの望美ちゃんは『寝つきが良くて寝起きが悪い』設定なので、
よっぽどの事がない限りヒノエ君の寝顔は見られないかも?(笑)

 

 望美「目、覚めた?」
 ヒノエ「オレ、ホントに寝てたのか?」
 「寝てたわよ。もうぐっすりと」
 「……(まいったな、膝枕が気持ち良かったからって、まさかホントに寝るとは)」
 「じゃ、私はちょっと……」
 「ん? 望美、ちょっと待って。右手に持ってるの何? 筆?」
 「ふ、筆なんて持ってないわよ?」
 「お前、まさか……(手鏡を覗くと両頬に二重丸が描かれているのが映る)」
 「落書きしても良いって言ったのヒノエ君じゃな〜い」
 「だからって、ホントにやるな!」

 望美ちゃんなら絶対やる(笑)