守る力、守られる意味


 

「ヒノエ君! 危ない!」
「来るな! 望美!」
 後方にいた筈の望美が駆け出していた。
 対峙していた怨霊とは違う別の怨霊が、ヒノエの背後に近づいてくるのを望美はいち早く見つけたのだった。
 ヒノエと怨霊の間に望美が入り込む。刀を鞘から抜く間もなく、望美は身体でヒノエをかばおうとした。
「ちっ」
 ヒノエは向かい合っていた怨霊を思いっきり足で蹴り飛ばす。そしてすぐさま振り返り、望美の手を取り強引に引き寄せて左手で抱きかかえた。
 次の瞬間怨霊の刀が二人に向かって振り下ろされる。それをヒノエは右手のカタールだけで受け止めた。しかし最初の攻撃はなんとか受け止めたものの、次第に押し負かされ始めてきた。怨霊の力に容赦はない。片手で受け止めるには無理なほどの強い力だった。
 その時、ヒノエにかばわれていた望美が、突然するりとヒノエの腕から飛び出し、怨霊に向かって行った。
「刀を放しなさい!」
 望美は刀を持つ怨霊の手にしがみつく。
「何してる?! 離れろ、望美!」
「刀を、放しなさい!」
 ヒノエの言葉を無視し、望美は怨霊からは離れようとしない。
 動きを邪魔された怨霊が一拍遅く望美の存在に気づく。怨霊はうっとうしげに望美を振りほどこうと大きく腕を動かした。その瞬間、怨霊の刀の刃が望美の手をかすめる。
 望美の左手に痛みが走った。
「……っ!」
 とっさに押さえた右手の隙間から赤い血が流れているのが見えた。
「望美! この野郎……、とっとと消えやがれ!」
「キエェェェ」
 勝負は一瞬だった。
 ヒノエの怒りによる炎の攻撃は、あとかたもなく怨霊を消し去ったのだった。

 

◇ ◇ ◇

 

 夜も明け切らない時刻の奇襲。 
 ヒノエと望美が向かった場所以外の怨霊達の攻撃もなんとか防ぐことはできた。思いもかけない奇襲に戸惑ったものの、死者もなく、数人の軽傷者が出ただけだった。

「ヒノエ、どこへ行くのですか?」
 陣に落ち着きが見え始めた頃だった。
 無言で陣を離れようとするヒノエに気づいた弁慶が声をかける。しかし、ヒノエはそれに振り返ることも返事をすることもせず、行ってしまった。
 ヒノエは厳しい顔をしてひと気のない場所へと来た。
 大木の前で立ち止まると、思いっきりその大木に左手を打ち付けた。
 ジンッとしびれが左手に走る。
「そんな思いっきり打ち付けては怪我をしますよ」
「なんでついて来るんだよ。今のオレは機嫌が悪いんだから近づくな」
 ヒノエは声の主−−−追いかけてきた弁慶を見ようとはしなかった。
「どうして……、どうしてオレの前になんか立ったんだ?!」
 その言葉は弁慶に向けられたものではなかった。
 今まで一度として怒鳴ったことのないヒノエが怒っている。
「八葉は白龍の神子を守るものだ。神子が八葉を守るものじゃない!」
「ええ、ヒノエの言う通りですよ」
「じゃあ、何故あいつはオレをかばった?! 怪我までして!」
「それが望美さんなんですよ」
 弁慶に言われるまでもなく、ヒノエもわかっていた。望美は誰かが困っていたら見過ごすことのできない性格なのだということを。それは彼女の美徳だろう。しかし、それは時と場合による。望美がヒノエをかばった時、あれは一歩間違えたら命を落としかねない行為だった。
 望美本人に怒りを向けたくはない。けれど、この怒りをそのままにしてはいられない。
「弁慶、あいつを前線から下げろ」
「ヒノエ?」
「怨霊の封印だけなら前線じゃなくても良いだろう? あいつは前線にいたら必ずまた誰かをかばう。今度は怪我だけでは済まないかもしれない」
「しかし、一番怨霊の封印が必要なのは前線です。それゆえ彼女は前線に必要なんですよ」
「自分の身も守れないくせに他人をかばうような奴は前線にはいらない」
 ぱき。
 ふいに小枝が割れる音がした。
 2人を追ってきたのだろうか。小枝を踏み割ったのは望美だった。
「あ、あの……。二人が陣から離れるのが見えたから……」
「望美さん、もしかしてお一人でここまで? いけない人ですね。陣にいてくださいとお願いしていたはずなのに」
「あ……、ごめんなさい。でも私……」
 望美はちらりとヒノエを見る。二人を追って、というよりもヒノエの事が気になって仕方がない様子である。
 しかしヒノエは横を向いたまま望美を見ようとはしなかった。
「ヒノエは大丈夫ですよ。それより、怪我をしたのは貴女です。軽い怪我とはいえ、あまり動かさないようにしててください」
 弁慶は白い包帯が巻かれた望美の左手を取る。
 とっさに望美は左手を自分の背中に隠した。
「これくらい大丈夫ですから」
 そう言ったきり、望美は黙り込んでしまった。
 ヒノエもやはり無言のままだった。
 二人の様子を交互に見比べ、どちらも動きそうにないのがわかると、弁慶はそっと望美の背に手を添えた。
「ヒノエは心配ありませんから、戻りましょう」
 弁慶はそう促したけれど、望美は動こうとはせず、ただその場でうつむいた。
 その時ふいにヒノエが口を開いた。
「……ない」
「えっ?」
 ヒノエの声に反応し、望美は顔をあげた。
「自分の身さえひとりで守れないくせに、オレなんかを守ろうとする奴はいらない」
 決して望美と目を合わせようとはしないまま、ヒノエはつぶやいた。 
「ヒノエ、言い過ぎですよ」
「……」
「ダメだね、私」
 ほんの少しの沈黙の後、ぽつりと望美がつぶやいた。
「私、何の役にも立てないんだね。迷惑ばかりかけてる」
 そうつぶやいた望美の身体が急にふらつく。
「私だって……頑張ってるつもり……なんだけど……な……」
 望美の身体が急にその場で崩れ落ちる。
「望美?! 」
 異変に気づき、今まで視線さえも向けなかった望美の方へ、ヒノエは駆け出す。
 慌てて手を伸ばすヒノエだったが間に合わず、それよりも先に弁慶が望美の身体を受け止めた。
 弁慶の腕の中で望美はくたりと力なく気を失っていた。
「弁慶、望美は?! 大丈夫なのか?!」
「さきほど手の怪我の治療をした時、熱が少しあったんですよ。たぶん疲労から来るものだと思いますからしばらく休めば大丈夫でしょう」
「そうか」
 ヒノエはホッと息を吐く。
「ヒノエ、さきほどの言葉はあなたらしくありませんよ」
「……」
「ちゃんとわかりやすい言葉で伝えないと望美さんを傷つけるだけです。いくらヒノエでも望美さんを傷つけることは僕が許しません」
「……わかってる」
 ヒノエはそう言うと、弁慶が支えていた望美の身体を自分の方へと寄せる。
 左手の包帯が痛々しく目に映る。
 戦場に出なくてはならないのなら、絶対に怪我だけはさせない、そう心に誓ったのに。 
 自分をかばったせいで怪我をさせてしまったことをヒノエは悔いていた。
「陣に戻って望美を休ませる」
 一言そう言い残して、ヒノエは望美を抱き上げて歩き出した。
 

◇ ◇ ◇

 

 額に冷たい何かを感じながら、望美は瞳を開けた。
「……朔?」
「目が覚めたようね。大丈夫?」
「あ、うん……。私どうして……」
「あなた、戦闘の後で倒れたのよ。覚えていない?」
「そういえば……」
 おぼろげな記憶が頭をかすめる。
「心配しなくても大丈夫よ。ただの過労だから。一昨日は封印の数も多かったから疲れたのね。少し熱があるようだけど、もう少しゆっくり休めば回復すると思うわ」
 一昼夜眠り続けた望美が目を覚ましたと知らされると、望美の枕元へみんなが集った。
「神子! 神子! 大丈夫?!」
「お前が大怪我したんじゃないかとヒヤヒヤしたぞ」
「先輩は無茶し過ぎです!いいですか、これは夢でも幻でもなく現実なんです! 傷がひどければ命を落とすことだって……」
「それくらいにしとけ。お前の説教は長過ぎる。コイツだってわかってるって」
「大事にいたらなくてホント良かったよ〜」
「体調が良くなかったことに気づかなくてすまなかった」
「神子、今はゆっくりと休みなさい」
「解熱の薬湯ですよ。少し苦いですが全部飲んでくださいね」
 安堵であったり説教であったり、いつもの仲間からの言葉に望美は嬉しくなった。
「みんな、ありがとう」
 その後も白龍をはじめ、八葉の面々は、果物や花を手に代わる代わる望美の元を訪れた。
 ただ一人を除いて。
 やがて見舞いも一段落した時だった。
「ねぇ、朔」
「なあに?」
「ヒノエ君って……」
「えっ?」
「あ、ううん、なんでもない」
「望美……」
「少し寝るね」
 望美は頭からすっぽりと身体にかけていた衣をかぶった。
 朔は望美が何を言いかけたのかは問わなかった。
「わかったわ、おやすみなさい」
 一人の方が良いだろうと、朔は部屋を出ていった。
 部屋に残された望美は、寝ると言ったもののなかなか寝つけずにいた。熱のある身体はだるくてつらいのに、頭だけは冴えていた。
 ふと横を向けば、白龍が持って来た白い小さな花が目に入った。
 他にもいつでも食べられるようにと果物も置いてある。
 それぞれに気を使って用意してくれた物の中に、ヒノエからのものだけがなかった。
 それどころか、ヒノエは一度も望美のところに顔を出していなかった。
 ふいに倒れる前に聞いたヒノエの言葉が思い出される。

『自分の身さえひとりで守れないくせに、オレなんかを守ろうとする奴はいらない』

『いらない』と言われたことが物凄くショックだった。
『いらない』ということはこれから先は必要ないということ。
 姿を見せないことが何よりの証拠。
 必要のない存在に気を使うことはない。
 ヒノエにとってもう自分は必要ない存在なのだと宣言されたのだ。
 そのことを思い出すだけで望美の瞳に涙が浮かんでくる。

 ただ守りたかった。
 考えるよりも何よりも身体が動いた。
 自分の身よりも大切な存在だと思ったから。
 しかし、それはヒノエ本人には迷惑以外の何物でもなかった。
 自分のしたことが返ってヒノエを怒らせる結果になってしまった。
 どうしたら良いのだろうか。
 ヒノエのためにできることはないのだろうか。
 どんなに考えても答えは出ない。
 何もできないことが悲しかった。
 

◇ ◇ ◇

 

 いつの間にか陽はすっかり落ちていた。
 望美が休んでいる場所の辺りは、今は誰もおらず静かだった。
 ヒノエは気配を消してそっと室内へ入る。
 横になっている望美の側に、音もなく近づいた。
 側に寄り、望美の顔を覗き込んだ時、ギクリとした。
 頬を伝う涙の跡。
 そして今なお目もとに浮かぶ涙。
 このこぼれる涙の理由はなんだろうか。
 そっと指をその頬へ伸ばす。
 泣かせたのはきっと自分なのだろう。
 みんなが心配して見舞う中、ヒノエはただ一人訪れはしなかった。その病状を誰かに聞くことさえしなかった。
 夕方、すれ違った朔の目が冷たかったのが胸に痛い。
「ごめんな」
 ヒノエは小さくつぶやいた。 
「どうしてヒノエ君が謝るの?」
「……起きてたのか?」
 突然の望美の声にヒノエは驚いた。頬に触れていた指を慌てて放す。
「今、目が覚めたの。来てくれたんだね、ヒノエ君」
 望美は身体を起こし、寝巻き代わりの単衣の上に薄衣を肩からかけた。
「コレ、皆からの見舞いか?」
 枕元の花や果物をヒノエは目で差す。
「オレとしたことが何も用意してないなんてな」
「来てくれただけで嬉しいから……」
 望美は静かに微笑んだ。
 それっきり2人は黙り込んでしまった。
 視線を合わせずただじっとしていた。 
 雲が晴れたのか、月明かりが部屋の中に差し込む。
 うっすらと淡く月明かりが望美を照らす。
 それを見て、ヒノエは綺麗だと思った。
「お前の……」
「えっ?」
「お前の綺麗な身体に傷つけちまったな」
「あ……、これのこと?」
 望美は左の人さし指から手のひらに巻かれた包帯を差す。
「これくらいの傷なんて傷って言わないわ。ちょっとだけ刀の刃がかすっただけだもの。それにこれはヒノエ君のせいじゃないわ。私が勝手に……」
「……そうだな。お前がオレの前に出てこなきゃこんなことにはならなかった」
「ヒノエ君……」
 ここへ来てくれはしたものの、やっぱり許してもらえていないのだと、望美は悲しくなる。
「そんな顔しないでくれ。そうじゃないんだ」
「ヒノエ君?」
「頼むから、戦の時にはもうオレの前には出ないでくれ。お前が守られるだけじゃなくて守りたいという気持ちはよくわかる。でも、もうあんな思いはたくさんだ」
 あの時、一瞬でも自分の動きが遅かったなら、望美は大怪我を、あるいは命を落としていたかもしれない。
 あの瞬間に感じた恐怖は今も身を震わせる。
「『守る』ということは何も身体を張って守ることだけじゃないと思う」
「えっ?」
「オレはお前を守ることで自分の持てる力以上のものが出せると思うんだ。そしてその力を出すためにには、お前がオレの後ろにいてくれなきゃならない」
「でも、それじゃぁ……」
「お前を守ることでオレは力を発揮する。それはどんな敵にも負けないということだ。つまり、お前はオレに守らせることでオレを守っていることになるんだ」
「でも、それじゃあ私は何もしていない。私自身がヒノエ君のために何かしたいの!」
 自分を強く想ってくれる望美の気持ちが嬉しい。
 ヒノエはそっと望美の肩に手を伸ばして抱き寄せる。
「だったらさ、いつでもオレの後ろに、そしてそばにいてくれ。どんな時も」
「そんなこと……」
「そんなことって言うけど、結構難しいぜ? 例えば弁慶が作戦のためにオレ以外の誰かと組んである場所に行って欲しいって言ったらどうする? そこで望美が『ヒノエ君も一緒じゃなきゃイヤ』って言ってくれないとオレは一緒には行けない」
「……」
 確かにヒノエの言うようにいつでもどこでも一緒にという訳にはいかないだろう。
 意思表示するのは結構勇気がいるかもしれない。
「どう? 望美に言える?」
 望美の耳もとでヒノエは問う。
 甘く囁くような言葉に、望美は逆らえなくなる。けれど、心に不安が残っている。それを無くさなければ、前へは進めない。
 望美は思いきって聞いてみる。
「ひとつだけ聞いて良い? もう……『いらない』なんて言わない?」
 その言葉だけはもう2度と耳にしたくはない。
 ヒノエは、うつむき、弱々しく問う望美の肩を抱く手に一層力を込める。
「誤解させちまったよな。『いらない』と言ったのは『前線には』っていう意味なんだ。オレにはお前が、他の誰でもないお前が必要だよ」
『必要』だという言葉に、心から安心する。
 どんな言葉よりも嬉しい言葉だった。
「いつでも、どんな時でも、ヒノエ君のそばにいるね」
 望美はヒノエの胸に顔を埋める。
 離れてしまったと思った心がすぐ近くに感じられ、望美はホッとする。
 そばにいることが、その背中を見えるところにいることが、今私にできること。
「望美」
「……なあに?」 
「お前の身体に傷をつけた責任は取るから」
「責任?」
 ヒノエのふいの言葉に望美は顔をあげる。
「女の身体に傷を付けたんだ。その責任を取るのは男として当然だろう?」
「な、何言ってるのよ?!  責任って、そ、それってまるでプロポーズみたいよ?!」
「ぷろ……なんだって?」
「な、何でもない! ヒノエ君が責任感じる必要ないから! そ、それにこんな傷、舐めとけば治るから!」
「そうかい? それなら」
 ヒノエはニヤリと笑って、望美の怪我をした手を取る。
「この傷、オレが治してやるよ」
 包帯の上にヒノエは軽く口づけた。
  

 

 

                                   終


<こぼれ話>

ヒノエ「包帯、取って良い?」
望美「ダ、ダメ! 絶対ダメ!」
「舐めとけば治るっていったの望美じゃないか」
「いいの! ヒノエ君は舐めなくても!(///)」

 

望美ちゃんは結構無理すると思うんですよね。
考えるより先に身体が動くタイプというか(うちの望美ちゃんだけかも?)。
誰かが諌めないと本当にいつか大怪我(あるいは命を落とす)しそうです。
ヒノエ君は『いらない』なんて言わないだろうなぁと思いつつも、こんなシーンもあったんじゃないかなぁということで。

 

    

   

 

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