「さぁ、おいで」
そう言って両手を広げるヒノエ君ってずるいと思う。
そうされたらもう自分からその腕の中に飛び込むしかない。
いっそヒノエ君から抱きしめてくれたら良いのにと思う。強引に心も身体も縛り付けて、どこへも行けないようにしてくれれば。そうすれば、私はそのまま流れにのってしまうだけで何も考えなくても良いのだから。
それに、そうしてくれた方が、この先何かあったとしてもヒノエ君のせいにできる。
あの時、ヒノエ君が強引に私を抱きしめたのだから、と。
とてもずるい考え方だと、自分でもわかっている。
でも、私は言い訳を用意しようとしている。
私はこの世界の人間ではない。当たり前のように今一緒にいることができてもこの先はわからない。神子としての役目が済めば、この世界を離れ、ヒノエ君と別れて、元の世界に帰るのが本来の道だと思う。
近い未来、その日が来てこの世界を離れる時、その別れはあまりにもつらくて悲しくて、自分は耐えられないのではないかと思う。
だから、元の世界に帰る時の別れの悲しさを少しでも減らしたくて、自分は逃げ道を作ろうとしている。
何もかもヒノエ君のせいにして、自分にヒノエ君を想う気持ちをなかった事にすれば、悲しまずに済むだろう、と。
でも、それは許されない。
愛する気持ちを偽る事はできない。
自分の気持ちを誰かのせいにもできない。
◇ ◇ ◇
「さぁ、おいで」
そう言った自分はずるいと思う。
望美の何もかもが欲しくてたまらないのに、今すぐにでも抱きしめて自分のものにしたいと強く思うのに、それを自分からしない。
望美が自分を選んでくれるのを待っている。
彼女が元いた世界のことを気にかけているのはずっと前から気づいていた。
何もかもにケリが着いた時、きっと彼女は元の世界に帰ると言うだろう。
でも、俺が強引に引き止めれば彼女はそれに従うだろう。
でもそれではダメなんだ。
『俺が』彼女の進む道を決めてはいけない。彼女が『自分で』決めなければならない。
そうでなければきっと彼女は後悔する。元の世界に未練を残したままでは、きっといつか帰りたいと思ってしまう。この世界にいることが、俺の側にいるということが苦痛にすらなるだろう。
だから、彼女が決めなければならない。
両手を広げて待つことで、俺は全てを彼女にゆだねる。
見つめる先にいる彼女が困惑しているのがわかる。
でも、俺はただ彼女を見つめて待つ。
◇ ◇ ◇
ヒノエ君は、わかっている。
どれだけ私がヒノエ君を好きだとしても、その気持ちとは別に、いつも不安を抱えているということを。
それをわかっていて、いや、それがわかっているからこそ、ヒノエ君は待っている。
私が自分からヒノエ君の腕に飛び込み、私自身が自分でヒノエ君を選ぶことを彼は望んでいる。
◇ ◇ ◇
望美は俺を選んでくれるだろうか。
『彼女が自分で進む道を決めなければならない』なんて本当はただの格好だ。
そんな大義名分をつけているが、俺はただ彼女に選んで欲しいだけなのだ。
他の誰でもなくただ俺だけを。
全てを忘れさせて、この俺を選ばせたい。
俺から離れたくないと、俺しか必要ないと言わせたい。
お前を俺で夢中にさせたい。
いますぐ押し倒して、心にも身体にも俺の想いを刻みつけたい。
そんなどうしようもない衝動が俺の中で疼く。
こんなにも俺の心を激しく動かす女と出逢えるとは思わなかった。
『おいで』と告げてからまだほんの一瞬のはずなのに、とても長い時間が経ったように思える。
我慢するのは苦手だ。
いっそのことその細い手を取って引き寄せてしまおうか。
強引な気持ちをギリギリのところで押さえ付ける。
しかし、我慢はそう続かない。
俺は最後の賭けに出る。
◇ ◇ ◇
「望美」
そっと一言ヒノエ君は私を呼んだ。
名前をささやかれるだけでもうどうしようもない気持ちになる。
私の心にある不安の全てを、たった一言で解かしてしまう。
その優しい微笑みが、その意志の強い瞳が、甘くささやくその言葉が、私の心を捕らえて離さない。
私は決める。
いや、答えはとうに決まっていた。
ただ、伝えるタイミングを探していただけ。
本当はあなたと出逢った瞬間からわかっていたから。
あなたのそばからは離れられない事を。
私はヒノエ君の腕の中へ、その身をゆだねる。
終
<こぼれ話>
普段口説き文句をいろいろというヒノエ君ですが、今回はもう短い一言で決めさせてみました。
でも短いこの一言『さぁ、おいで』と言われたら、逆らうことなんてできずに、フラフラ〜と迷う事なく行ってしまうでしょう(^^;)
ヒノエ君の言葉は長くても短くても威力絶大でしょう。
望美ちゃんがヒノエ君の腕の中へ飛び込んだ後、どうなったかは……また別のお話。
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