一日の予定も無事終わり、もうすぐ陽が稜線に沈もうかという時刻の頃だった。
きょろきょろとあたりを見渡しながら、あかねは土御門殿の庭を駆けていた。
時々足を止めては植え込みの影や縁の下を覗きこむ。
その度にあかねは小さなため息をついていた。
「あかね? 何してんだ?」
ふいに自分の名前を呼ばれ、あかねはそちらの方へと視線を向けた。
「あ、天真くん! ネコ知らない? この間私が拾った子猫。帰ってきたらいないの!」
「あぁ、コイツだろ?」
天真は自分の肩に乗せていた子猫の首元をつかんであかねに見せた。
ミャウと真っ白な子猫が鳴く。
「あ、そう! ネコ、どこ行ってたの?」
天真から子猫を受け取ると、あかねはその小さな頭を撫でる。
「コイツ、木に登ったまま降りられなくなってたぜ。猫のくせにまぬけだよな」
「そんなことないもん。まだちっちゃいだけだからだよ」
ねぇ、とあかねはネコに話しかけながら頭や背を撫でる。天真にまぬけと言われた当のネコはそれを気にするわけでもなく、あかねの手が気持ち良いのか目を閉じて撫でられるままに撫でられていた。
「見つかって、よかった。ありがと、天真くん」
探していたネコも無事に見つかり、安心したあかねはにっこりと天真に笑いかけた。
「あ、あぁ。まぁ、これくらい礼を言われることでもねぇけどな」
「ねぇ、天真くん、こっちの生活慣れた?」
あかねは色とりどりの花が咲き誇る庭を眺めつつ、簀子縁に座る。その隣に天真も腰を下ろした。
「慣れた、っていうか、まぁなんとかやってる程度だな。それよりも、お前の方はどうなんだ?龍神の神子だか何だかしらねぇけど、疲れてないか?」
「うん、大丈夫。健康なのが私のとりえだしね。それにみんなが助けてくれるから。天真くんも、ごめんね。いっつも迷惑かけてばかりで」
「迷惑だなんてこれっぽっちも思ってねぇよ」
「でも、私があの時、井戸に近づいたりしなければこっちに来ることもなかっただろうし……」
「今さら済んじまったこと言っても仕方ないだろ? それより早く帰れるようにがんばれ」
「そうだね。うん、がんばるね!」
ここに来て、龍神の神子を引き受けた以上、しっかりがんばらなきゃならない。
天真くんの妹も取り戻して、みんな揃って元の世界に戻るためにも、早く京の平和を取り戻さなければならない。
あかねは今一度強く決心して大きくうなずくと、笑顔を天真に向けた。
「しっかりやってくれよ。ネコなんか構ってないで」
「う、うん。でもちょっとくらい良いよね? ネコ、かわいいんだもん」
確かに天真の言うようにネコと遊んでいる場合ではない。それはわかっているけれど、動物好きなあかねとしては、このネコを放っておけない。
ちょっとだけ大目に見てね、とネコを抱き上げ、上目づかいであかねは天真を見た。
ふいに天真と視線がぶつかる。
「かわいいな」
天真のこの一言に、あかねはパァッ表情を輝かせる。
「でしょ! この真っ白い毛のふわふわ感っていうのかなぁ、さわり心地も良くって。時々ね、ちっちゃな口をあけてあくびするの。それがまた可愛くって。それからこの間なんてね……」
「あかね」
ネコの魅力を次々に言おうとするあかねを、天真は制した。
「何? 天真くん」
「違うんだ」
「えっ? 違うって何が?」
あかねは不思議そうに首をかしげた。
「かわいいのはネコじゃなくて、おまえ」
天真はくしゃくしゃっとあかねの髪を撫でた。
その途端、かぁっとあかねの顔が赤くなる。
「や、やだ。天真くん、な、何言い出すのよ」
「おまえはずっとそのままでいろよ」
「えっ?」
「どっか抜けてて、ドジばっかするけどな」
「何それ? そんなに私って頼りない?」
「だから、それでいいんだよ。そういうおまえがおまえらしいから、俺は……」
最後まで言わずに天真は言葉を止める。
優し気に見つめる天真の瞳。
あかねの胸の奥でトクンと何かが鳴る。
「そのネコのようにあんまりフラフラとどこかへ行くなよ」
そう言うと、天真はもう一度くしゃっとあかねの髪を撫でた。
あかねはこの天真の言葉の意味や話の流れががすぐには理解できず、首を傾げる。
そんなあかねの様子に、天真はふっと口元をやわらげる。口元の笑みとは逆に、瞳はどこか淋し気にも見えた。
「さてと。これから頼久と勝負なんだ。あかね、またな。あ、今度はコイツに着地の仕方でも教えとけ」
軽くネコの頭を撫でると、天真はすっと立ち上がる。
「わ、私、猫じゃないんだからそんなこと教えられないもん!」
「これくらい小さかったら守るのもラクかもな」
後ろ向きのまま手を振って天真は行ってしまった。
「天真くんったら私のことネコ扱いして……」
あかねはすねたように赤く染まった頬をふくらませる。
京に来てから天真の言動に驚かされる事が多い気がする。
ドキッとさせられてはかわされるような、どこか曖昧な態度。
からかわれたのかと思うけれど、時々見せる真剣な瞳の意味は何なのだろう。
胸の奥に広がるこのあたたかい何かの意味は何なのだろう。
今のあかねはよくわからなかった。
「ネコ、着地の練習する?」
抱き上げたネコの瞳を覗いてみる。
みゃう、とそれが返事なのか、ネコはただ一言鳴くだけだった。
終
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