『龍神の神子よ』
誰かがあかねを呼んでいた。
『目覚めよ、龍神の神子よ』
呼びかけは次第に大きくなる。
あかねはハッとして目を覚ます。しかし、そこはまだ夢の中。身体が宙に浮いているような感じだけがしていた。
『龍神の神子よ、我が龍神の願いを聞き届けよ』
「龍神様?」
寝ぼけた頭に直接響く龍神の呼びかけに、あかねは首を少しかしげる。
「なんだかいつもの龍神様の声と違うような気がするけれど、でも、ま、いっか。わかりました。龍神様のお願いを聞かせてください」
『ありがとう、龍神の神子よ……』
あかねが承諾した瞬間、まぶしい光があかねを包み込む。そして直接龍神の声が頭に響いた。
◇ ◇ ◇
「神子殿、お呼びでしょうか?」
その日、一番最初にあかねの部屋を訪れたのは、天の青龍・源頼久であった。
約束の時間よりも早く来てくれる頼久に、あかねは嬉しくなる。
「頼久さん、来てくれてありがとうございます。忙しいのに申し訳ないんだけど、ちょっとだけ私に時間くださいね」
あかねは軽く頭を下げながら頼久にお願いをした。そんなあかねに、頼久は大きく頭を振る。
「そのようにおっしゃらないでください。私は神子殿のために存在しているのです。神子殿が望む事を叶えることが私の役目にございます。私の時間など、その全てを神子殿に捧げましょう」
「ありがとうございます、頼久さん」
頼久の言葉ひとつひとつが嬉しくて、あかねは花が咲きほころぶように自然に微笑んだ。
「それで、神子殿、どういった御用件なのでしょうか?」
「用件っていうほどでもないんだけど、みんなでちょっとお芝居することになったんです」
「芝居……ですか」
「龍神様からのお願いなんです。そんなに時間かからないと思うから、頼久さんもちょっとつきあってくださいね。じゃ、はい、これが台本です」
「台本……ですか?」
不思議そうな顔をしながら頼久はそれを受け取る。
「はい、頼久さんの分はこれです。ここに青い線がひいてある台詞が頼久さんの担当分の『小林千尋』です」
「『小林千尋』……何者ですか?」
「龍神様のとにかくお気に入り、美形の高校生で、誰をも魅了する微笑みと、罠を仕掛けるのが得意なんですって」
「なにやら危なげ気な感じがするのは気のせいだろうか」
頼久は小さくつぶやいた。
「私は『小林吹雪』っていう女のコやるんです。あとは、天真くんが『小林健吾』で、藤姫が『小林大和』。なんでも私以外は声が似ているらしいんです。あ、この話の題名は『おまけの小林クン』でぽっぷんコメディーなんです」
「ぽっ……ぷ、こめ……、それはどういったものなんですか?」
「笑いあり、涙あり、罠ありの、とっても楽しくて心あたたまるマンガです」
「……まんが、ですか?」
知らない言葉が次々と出て来て、頼久は少し混乱する。
「う〜ん、そのへんは今度詳しく説明しますね。とにかく、みんなが揃ったら台詞合わせしますので、天真くん達が来るまで台本に目を通しながらここで待っていてくださいね」
にっこりと微笑むあかねに指示されるままに、頼久は指定の位置に座った。そして、ぺらぺらと渡された台本をめくり、中に目を通す。すると、突然大きな声で頼久が叫んだ。
「み、神子殿!」
「わっ! どうしました、頼久さん?!」
「こ、これを、この台詞を私が言うのですか?!」
台本をあかねに見せ、とある台詞を頼久は指差す。
「あ、台詞のことですか。そうですよ。その通りに言ってください」
あっさりとあかねはうなずく。
「あ、天真くん達が来るまで練習しておきましょうか?」
「し、しかし、このような言葉を私が神子殿に向かって口にする訳には……」
「ただのお芝居ですよ。そんなに深く考え込まなくても大丈夫ですって。じゃあ、いきますよ。『あの笑顔で好きよ なんて言われたら誰だって好きになっちゃうよね?』はい、次頼久さん」
「は、はい、神子殿。『……ふぅん? んじゃ 吹雪チャン、オレも、す、す、す……』」
途中まで問題なく言葉を続けていた頼久が突然どもり始めた。
「頼久さん? どうかしましたか?」
「い、いえ。その……」
何やら頼久の頬が次第に赤くなっていく。
あかねはきょとんとした顔で頼久を見ていた。
「よぉ、あかね。呼んだか?」
今まで素振りでもしていたのか、手に木刀を持ったままの天真があかねの部屋に入って来た。
「なんだ? 何赤い顔してんだ、頼久」
「な、なんでもない」
頼久は台本を閉じるとふいっと天真から視線をそらした。
「天真くん。遅いよ」
「悪い。ちょっとイノリと腕試ししてたんだ。で、用ってなんだ?」
「うん。はい、これ」
「本? どうしたんだ、コレ」
「龍神様からのプレゼント。台本だよ」
「台本? 一体何をする気だ?」
「なんかね、龍神様が頼久さんと天真くんと藤姫に、この『おまけの小林クン』の1シーンをやらせてみたいんだって」
「龍神の考えることはよくわからねぇな」
天真はめんどくさそうに髪をかきあげ、しぶしぶ台本をあかねから受け取った。
「天真くんは『小林健吾』。高校生の役だよ」
「高校生? 今と変わらないじゃねぇか。どうせやるならもっと違う役とかねぇのか?」
「ないよ。だってみんな高校生だし」
あかねは即座にそう応えた。
「やりやすいっちゃやりやすいけど。ま、仕方ないか」
「藤姫が来るまで台本見ておいてね。オレンジ色の線引いてあるから」
「あぁ、わかった。……って、おい、あかね!」
ページをめくってさっと目を通した天真が急にあかねに詰め寄った。
「なあに?」
「俺の台詞が『……』ってばっかりってどういうことだ?!」
「それは仕方がないよ。『健吾』は『無口なおっさん』なんだもん」
「おっさんって、高校生だろう?!」
「そうだけど、『吹雪』はそう呼んでるよ? だから『健吾』は無口で『……』が多くなる、そういう設定なんだよ。台詞少なくても文句言わないの」
設定と言われればそれまでなのだが、天真は納得できかねていた。
「でもな、あかね……」
「私がそういう設定にしたんじゃないもん。台詞少ない分は演技でカバーする、OK?」
「わ、わかった」
あかねの勢いのある仕切り具合に、天真も思わずうなずいてしまう。
「今日のあかねはどうしたんだ? やけに仕切りが強気だな」
ぶつぶつと文句を言いながらも、天真は引き下がった。
「神子様、お呼びとうかがいました。何かご用がおありでしょうか?」
金色の冠の飾りをシャランと鳴らしながら、今度は藤姫があかねの部屋に入って来た。
「藤姫、来てくれてありがとう♪ これからみんなでお芝居するから。じゃ、これが藤姫の分」
「わたくしの分、ですか?」
「あのね、この紫色の部分の言葉を言って欲しいの」
「この部分を言えばよろしいのですね? わかりました」
藤姫はあかねの指示に素直にうなずいた。
「男のコの役なんだけど、でも大丈夫。このコは藤姫みたいな可愛い男のコだから♪ いつもの藤姫で全然大丈夫だからね」
「殿方の役ですか……」
藤姫は一瞬表情を曇らせたが、きゅっと唇を噛みしめてあかねの顔を見上げた。
「神子様、わたくし、がんばりますわ。神子様の頼みですもの、お役に立てるように精一杯がんばります!」
「ありがとう、藤姫」
あかねは藤姫の手を握って大きくうなずいた。
「それじゃ、みんな揃った事だし、始めましょうか。みんなそれぞれの役になりきってがんばってね」
「神子殿の仰せのままに」
「さっさと終わらせようぜ」
「ええと、わたくしはこの『大和』という役ですのね」
「そう。じゃ、まずはちょっと練習。ここからね。藤姫、頼久さん、スタート……いえ開始!」
「はい。え……こほん。『千尋クン、……小ラッシー好き?』」
「『好きだよ。当たり前でしょ?』」
「『ボクっ、ボクもねっ 千尋クンが好きよっ。好きだよっ、だあいすきっ』」
「はい、OK!」
あかねはパンッと手を叩いて2人の台詞合わせを止めた。
「神子殿、桶、がどうかしましたか? そんな台詞はありませんが」
「何ベタなボケかましてんだよ」
「天真くん、口悪いよ」
あかねは軽く天真をにらむ。そして、頼久には気にしないでね、と瞳で伝える。
しかし、頼久はさきほどから出てくる自分の知らない言葉があかねの口から出ているのが気になり、首をかしげるばかりである。
「あの、神子様。これでよろしかったのでしょうか? わたくし、上手にできなくて……」
藤姫は不安そうな顔であかねを見上げる。そんな仕種は同性のあかねの瞳にも可愛らしく映り、思わず抱き締めたくなりそうだった。しかしみんながいるのにそんなこともできず、気持ちを押しとどめて、あかねは藤姫の不安を取り除くように微笑んだ。
「大丈夫だよ、藤姫。とっても上手にできてたよ」
「本当ですか?! 神子様にお褒めいただくと、わたくしとても嬉しゅうございます」
藤姫はにっこりと笑顔をあかねに向けた。
「頼久さんもだいぶ慣れたみたいですね。じゃ、さっきのうまくいかなかったところやりましょうね」
「さ、さきほどの、ところですか?!」
頼久の声が微妙に半音高くなる。
「はい。じゃ行きます!」
あかねがパンッと手を叩いた瞬間に、頼久は背筋を伸ばし、台本を見る。
「『……誰だって好きになっちゃうよね?』」
「『……ふぅん? んじゃ 吹雪チャン、オレも、す、す、す……』
しかし、やはりすっと台詞は出てこず、同じところで止まってしまう。
「なんで頼久は赤くなってどもるんだ?」
不思議に思った天真は、その部分の台詞を台本で確認する。そして、あぁと納得する。
「頼久らしいっていえばらしいな。だけど、たかが芝居に何どもってんだよ。さっさと男らしく『好き』くらい言えよ」
天真はイライラしながら、横から口を出してきた。
「簡単に言うがな、天真。こういう言葉は無闇に口にするわけには……」
「何を今さら。藤姫には言ったじゃねぇか」
「そ、それは……」
確かに藤姫との台詞合わせでは問題なく台詞を言うことができていた。ということは、その台詞はあかねに対してのみ言えないということになる。
「頼久さん、私が相手じゃ嫌ですか? やっぱりやりづらいですか?」
藤姫には言えて、あかねには言えないとなると、何か原因が自分にあるのではないかとあかねは考える。頼久に嫌がられるのはあかねにとっては悲しいものだった。思わず表情も悲しいものになる。
今にも涙が流れそうなあかねに、頼久は大慌てする。
「神子殿、そのような顔をなさらないでください! 神子殿のお相手が嫌だなど、そのようなことを考えたことなどございません。それどころか光栄に思います。されど、その……、こういう言葉を神子殿には芝居で言いたくはなく……。ですから……」
「うだうだ言ってんなら俺が見本みせてやるぜ。『好きだぜ、吹雪』」
突然天真は『千尋』のような不敵な笑みを浮かべながらそう言うと、あかねの肩に手を置いた。そんな天真の手をあかねはぺちんと叩く。
「ダメだよ、天真くん。『健吾』にそんな台詞はないし、そんなに軽く言わないんだから。さ、天真くんは自分の出番が来るまでそっちで待機」
「つまんねぇな。俺の台詞少なすぎだぜ」
再度文句を言いながら、天真はあかね達から少し離れた位置に移動した。
「じゃ、もう1回。今度こそ、あの台詞私に言ってくださいね、お願いします」
ここまであかねに言われては、頼久も覚悟を決めるしかない。
「御期待に添えるようがんばります、神子殿」
「あのね、頼久さん。私、さっきの台詞、頼久さんの口から聞きたいの。だから……」
「神子殿……」
あかねと頼久は少し照れながら見つめあい、そして微笑んだ。
じれったい2人の様子を遠くから見つめながら、天真はあきれたようにため息をつく。
「たかが台本の台詞くらい頼久もさっさと言えよな。まったく、手のかかる奴だぜ」
「『吹雪ちゃん、大好きーっ』『健吾クン、だぁい好き』」
天真の横では藤姫が、あかねにもっと喜んでもらおうと、ひとり台本の確認を一生懸命におこない、担当の台詞をくり返していた。
終
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