怨霊封印も一段落して、今日は藤姫からお休みをもらった。
『今日は一日中部屋でのんびり一人で過ごします!』と宣言したので、部屋には誰もいない。
朝と昼の食事を持って来てくれた女房さん以外は誰も来なかったし、私は今度の物忌み用の文の下書きなんかしながらのんびりと過ごしていた。
そしてそのうちあたたかい陽射しを受けて居眠りなんかしてしまったようだった。それで気がついてみれば。
……どうしてかなぁ。なんでかなぁ。
私は小さくため息をつく。
首の鈴がちりりと鳴った。
なんというか、居眠りから目が覚めたら私はまたしてもネコの姿になってしまったのである。
前回ネコになった時はしばらくしたら元の姿に戻る事ができた。突然姿が変わって、突然戻る。今回もしばらくすれば戻るのかなぁ、などと考えながら部屋を出てみた。
良い天気だなぁ。
まだ夜には時間があるみたいだから、もう少しゆっくりと過ごせたはずなのに。
明日着る服にお香の薫りを焚きしめちゃおうかなとか、この間藤姫に貸してもらったもらった絵巻物でも見ようかなとか、いろいろやりたいことがあったのに。
くすん、この姿じゃ何にもできない。
前回はすぐに戻ったけれど、今度は戻らなかったらどうしよう。
こういう時はついイヤな方を考えてします。
私はどうしようかと考えながら、簀子縁まで出てみた。
庭にはいろいろな花が咲いていて、パステルカラーに彩られて綺麗だった。
その中に、漆黒の何かが空から降りて来た。
あの黒い鳥、カラス?
な、何?! こっち向かってくる?!
イヤ〜!
どうしてカラスに襲われなきゃならないのよぉ。
私はカラスの攻撃から逃れようと一生懸命に走った。けれど、小さな子猫の姿では走っても走っても振り切る事ができない。
こんな姿のまま御臨終なんてイヤ〜。
振り返る余裕はなく、ひたすらに走る。
息が切れそうになった時、前をよく見ないで走ったせいか、ドンッと何かにぶつかった。
うぅ、思いっきり顔面打っちゃった。
「あかねのネコじゃないか」
私がぶつかったのは天真くんだった。
「なんだ、カラスに追いかけられたのか? 猫のくせにトロいな」
トロいって、これでも一生懸命逃げて来たんだから!
「みゃう!」
……反論しても、所詮猫の鳴き声でしかない。
「あかねの大事にしているネコだし、お前に何かあるとあかねが悲しむからな。助けてやるよ」
天真くんはひょいっと私を抱き上げた。そしてじろりとカラスをにらむ。
そのにらみがきいたかどうかはわからないけれど、さすがにカラスは人間を襲おうとはしないようで、悔し気に一鳴きして飛び去っていった。
「なんだ、もう行っちまった」
つまらなさそうに天真くんはつぶやいたけれど、私はほっとした気持ちになった。こんな小さなネコを襲うなんて、カラスなんて大嫌い。もしかして本当のネコも襲われたことあるのかしら。私も気をつけてあげなきゃ。
ところでここどこなんだろう? 慌てて走って来たからどこまで来たのかわからなかった。
「あかねのところへ行くついでだ。連れてってやるよ」
どうやって戻ろうかと思っていたら、天真くんはあっさりとそう言って私を抱いたまま歩き出した。
「お前、ネコっていうんだよな?」
天真くんは何気なくつぶやく。
「普通猫にネコって名前つけるか? ネーミングセンスねぇよな、あかねの奴」
悪かったわね! センスがなくって!
だってこのコ迷い込んで来た猫で、どこかで飼われてた猫だったらちゃんと名前があるかもしれないじゃない。私が違う名前を付けて、もしも名前が2つになっちゃったらこのコだってイヤだろうし、だからわざと『ネコ』にしたんだから。猫に『ネコ』だっていいじゃない。
だったら天真くんは何て付けるのよ?
そう心で思っていたら。
「俺だったらそうだなぁ」
私の心が伝わったのか、天真くんは考え込んだ。
「白いからシロ……じゃストレートだし、小せぇからチビっていうのもなぁ。猫といえば、ポチ、タマ、それから……」
私は呆れたように天真くんを見た。
……天真くんの方が絶対センスないと思う。
私だって名付けていいなら、白くてちっちゃいから小雪とか六花とか可愛い名前つけるのに。
「あかね」
はい?
突然天真くんに名前を呼ばれた。
「あかね、だな」
あれ? 私を呼んだんじゃないの?
「俺が飼うなら『あかね』だな」
『あかね』って私と同じ名前?
「あかね」
天真くんはネコの私に向かってそう呼んだ。
しかもとびっきりの笑顔で。
ど、どうしたの、天真くん?
そんな笑顔を見せられたら、なんだかドキドキしてきそうなんだけど。
「あかね」
もう一度天真くんは呼ぶ。
いつも名前を呼ばれているのに、どこか違う響き。
優しくて、甘い声。
自分に対してそう呼ばれたわけではないのに、何故かドキドキして照れてしまう。
天真くん、『あかね』って名前に何かあるのかな。
昔そんな名前の猫でも飼ってたのかな。
でも死んじゃって、それでちょっと思い出してみた、とか?
うわぁ、そうだったらどうしよう。
私も昔飼ってた小鳥が死んじゃったことがあったんだよね。
その時ものすごく悲しくて。
もしかして、天真くんもそうなのかも、と思った。だからそんなふうに優しく呼ぶのかな、と。
私はなんだか急に悲しくなって、天真くんの服にしがみついた。
「何引っついてるんだ? 俺に甘えたいのか?」
そう言いながらくしゃくしゃっと頭を撫でられる。その手がとてもあたたかくて、私は余計にぎゅっとしがみついた。
「あかねも少しはこんなふうに甘えてくれるといいんだけどな」
ぼそっと天真くんはつぶやいた。
「あいつ、結構一人でがんばろうってところがあるからな。もっと俺を頼りにしてもいいのにさ。頼久なんかに比べると力や経験は不足してるかもしれないけど、あかねのためなら俺は何でもできる。あかねを守るために何でもする。それにあかねだけががんばってるのをただ見てるだけは嫌なんだ」
いつになく真剣な天真くんに、私はドキリとした。
天真くん、こんなこと考えていたんだ。
「一緒に現代からこっちに来たんだ、どれだけこっちの生活が面倒か俺が一番よくわかってる。それにいきなり龍神の神子なんかやらされて、あいつにだって言いたいことあるだろうに一言も文句を言わない。それがあかねの良いところって言えばそうなのかもしれないけど、もう少し俺にも愚痴でもこぼせばいいのにって思うんだ。あいつは……、俺を頼りにできないのか……?」
それから一瞬天真くんは黙ったかと思うと、急に自分の髪をぐしゃぐしゃっとかきあげた。
「ネコに何言ってんだよ。俺が愚痴ってどうするんだ」
天真くんはそっと私を下ろした。
「ここからならお前だけも帰れるだろ。あかねが心配してるかもしれないから、早く帰れ」
いつの間にか、この簀子をまっすぐ行けば私の部屋というところまで来ていた。
確かにひとりで部屋まで戻れるけれど、でも、天真くん、私のところに来るつもりじゃなかったの?
簀子に下ろされた私には、ちっちゃな頭をぐっと後ろに反らして見上げても、背の高い天真くんの顔は見えなかった。
「気になるからあかねの様子見に来たけど、やっぱ身体鍛えてくる」
それだけつぶやくと、天真くんは今来た廊下を戻って行った。
もともと天真くんってケンカも強くて頼りになってたけれど、京に来てからますます強くなっていると思う。
そんな天真くんに私は甘えていると思う。天真くんはもっと甘えて欲しいって言うけれど、私はすごく天真くんを頼りにしている。
私一人で京へ来ていたらどうしていいかわからなかったもん。愚痴だっていっぱい言っていると思うよ?
それに天真くんはいつもそばにいてくれる。私のことを見ていてくれる。それだけでも私は心強かった。
天真くんがいてくれたから私はがんばれたんだよ。
でも、もっとがんばらなきゃね。
天真くんが心配しないように、もっとしっかりしなきゃ。
でも、天真くん。
私のこと、そんなに心配してくれてありがとう。
天真くんの後ろ姿を見送りながら、そう考えていた。
やがて長い簀子の角を曲がって天真くんの姿が見えなくなった頃、首の小さな鈴がちりりと鳴った。
終
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