〜 恋酔い 〜

     

 

 様々な花が咲き乱れる時季。
 友雅は土御門の庭を眺めながらあかねの部屋へと向かって歩いていた。
 庭の花や植木はそれは見事に配置され、持ち主の趣味が感じられる。
 感嘆しながら歩いていた友雅の足がふいに止まった。
 庭の一角に藤棚がある。その側に一人の少女が立ち止まっていたのである。 
「神子殿?」
「あ、友雅さん。おはようございます」
 あかねは名を呼ばれて振り返ると、それが友雅だと気づいて、笑顔で挨拶する。
「おはよう、神子殿」
 同じように挨拶をした友雅は、簀の子から庭へと歩き出した。
「朝からここで何をしていたんだい?」
「藤の花を見ていたんです。綺麗ですよね」
 その藤棚は庭の規模からするとそれほど大きくはないのだが、よく手入れされ、見事なまでに咲き誇っている。控えめな感じはするけれど、そこにある藤は庭の主役といっていいほど瞳を奪われるものがあった。
「その藤は、左大臣殿が藤姫の母君のために植えたと聞いたことがある。ここまで咲かすには苦労もあっただろうね」
「とても大切に育ててきたんですね、きっと。だからこんなに綺麗に咲いているんですよね」
「神子殿、知っているかい? 藤の花言葉を」
「花言葉ですか? いいえ、知りません。どんな言葉なんですか?」
「『恋に酔う』と言うのだよ」
「なんだか大人っぽい花言葉ですね」
 そうつぶやきながら、再びあかねは藤の花ををじっと見つめた。
 友雅はそのあかねの横顔をまっすぐに見つめた。
 あかねを見ていると不思議な気持ちになる。
 ただの少女だと思っていたのが、いつの間にかそう思えなくなっていた。
 子供っぽくわがままを言うかと思えば、大人びた瞳で意見する。
 その笑顔に、その心に惹かれずにはいられない。
 いつから惹かれるようになったのかはわからない。ただいつの間にか視線はあかねの方へと向いていた。
 どこからか漂う甘い香りが、友雅へと届く。
 あかねを見ているだけで届く香り。これが恋と言う名で自分を酔わせようとしているのだろうか。
 もっと近くでそれを感じても良いだろうかと思う。
 手を伸ばせばすぐに届きそうな位置にあかねはいるのだが、友雅は手を動かすことすら出来ずにいた。
 普段の自分からは考えられないほどに、今の自分が臆病に感じられた。
 一度酔ってしまえばその味は忘れられなくなる。
 もう2度と正気の自分に戻れなくなるかもしれない。
 それでも、酔ってしまいたくなる。
 言い表せないあかねへの想いが心を占めていく。
 陽光に照らされるあかねの姿はまぶしすぎた。  
 静寂の中、ざくっと砂利を踏み歩く音がこちらに近づいて来るのに気づく。
 友雅はハッとしたように、そしてあかねは何気なく視線をそちらに向けた。
「神子殿。こちらにいたのですね」
「頼久さん!」
 誰が来たのかがわかると、あかねはすぐにそちらへと走り寄って行く。
「お迎えにあがりました。本日お出かけになるのでしたら、どうぞこの頼久をお連れくださいませ」
「はい! 今日もよろしくお願いします」
 あかねは嬉しそうに頬を染めた。
 友雅の瞳におだやかな雰囲気をかもし出す2人が映る。
 あかねは知っているのだろうか。
 頼久の前に立った時、どんなに艶っぽい表情をしているか、を。
 頼久は知っているのだろうか。
 こんな表情ができたのかと思わず驚いてしまうほどの優しい笑顔をあかねに向けていること、を。
「どうやら神子殿も頼久もすでに恋にほろ酔いのよいだ」
 友雅はふいにつぶやく。
 すでに酔い始めている2人の間に入ろうとは、何故か友雅は思わなかった。
 無理矢理に割り込んだところで、どうにも悪酔いしそうである。
「私は酔い損ねたようだ」
 自嘲気味に友雅は口元をゆるめる。
「私だけが酔える花はどこに咲いてのだろうね……」
 藤棚を見上げながら、友雅は誰にも聞こえないくらいに小さくそう口からもらした。

 

         終

          


<こぼれ話>

 とあるお店で藤の花言葉が『恋に酔う』とあったのを見て、このお話ができました。
友雅さんの片想いっぽい感じですが、本気でもなかったのかも。
友雅さんが酔える花というと、藤の花を見ている以上、やっぱり……?
まだ咲き切ってないってことですね。