ユングヴィ城襲撃の知らせは、グランベルの優れた情報網によってすばやく各地に届けられた。
バーハラ王宮ではすぐに討伐隊を出すべきかとの判断に迫られた。しかしグランベル各地の主要部隊はイザークへ遠征中であり、残された兵で討伐隊を組み、出立させるには、王宮自体の守りが薄くなるためできそうになかった。
そのことを知ってか知らずか、ユングヴィ危機の知らせを聞いた者の中に、少ないながらも個人的にユングヴィを目指す者がいたのだった。
◇ ◇ ◇
ヴィルトマー城の裏庭。
手入れは行き届いてはいるものの、鬱蒼と生い茂る木々とその静けさは、なにやら無気味な雰囲気が感じられる。
人気のないその場所に、青い髪の青年がごろんと緑の芝生に寝そべっていた。そばには白馬が一頭、小さな泉の水を飲んでいた。
「レックス!」
炎に似た赤い色の髪の少年が、城の方から、駆けてくる。
「おう、アゼル。兄貴の了解は取れたのか?」
ゆっくりと立ち上がると、頭一つ分低いアゼルにレックスは聞く。
「いや、まったく取り合ってくれなかった。だいたい兄さんは心配性なんだよ。僕だってもう18歳なんだよ。兄さんの手を借りなくたってなんでもできるのに」
実年齢よりも若く見える、優し気な面だちのアゼルはうんざりしたようにため息をつく。7歳年上の兄であり現ヴィルトマー城主アルヴィスは、両親もすでに亡いせいもあってか必要以上に過保護だった。母親が違うとはいえ、ヴィルトマー家に残された血縁はこの兄弟のみ。兄の気持ちはわからないでもないが、すべての行動を制限されるのには、もう我慢の限界にきていた。
「で、今回はどうするんだ? いつものように兄貴の言う通りにして、ユングヴィに行くのは止めるか?」
そう言いながら、レックスは何故かにやにやと口元に笑いを浮かべる。
「冗談。グランベル6公爵家の1つが襲われているっていうのに見過ごせるわけないじゃないか。バーハラ王家の近衛騎士団を預かる兄さんなんだから、それくらいわかっているはずなのに。僕は行くよ。僕の魔法が役に立つなら、行ってユングヴィを助けるよ」
ひとり、力がこもった正義感のある口調になる。そんなアゼルにレックスは楽しそうに言う。
「助けたいのは『ユングヴィ』じゃないだろ? 兄貴には言えなくても、俺には素直に言っていいんだぜ? 『エーディン公女』を助けたいんだって」
「な、なんだよ、それ! 僕はユングヴィを!」
慌てて言い繕うが、顔は正直である。『エーディン公女』の名前が出てきた途端に、アゼルの頬が赤く染まる。
「お前もホントわかりやすいな。そんなことじゃ恋のかけひきはできないぜ?」
レックスは右腕をアゼルの首にまわして、ギュッと絞める。
「だから、僕は!」
「今さら隠すことないだろう。アゼルの気持ちに気づいていないのは、当のエーディン公女だけだって」
アゼルの顔はどんどん真っ赤に染まっていく。
ユングヴィ行きを決めたのは、確かにエーディンを心配してのことであった。どこかはかな気で、穏やかな笑顔を見せる1つ年上の彼女は、初めて出逢った時からの憧れの存在であった。だからこそ彼女が危機にさらされている今、助けに行って力になりたかった。
彼女を想っていることは親友のレックスにも打ち明けたことはなかった。もちろん他の誰かに話したこともなかった。とはいえ、普段のアゼルとエーディンを前にした時のアゼルとではその態度が全く違っていて、レックスではなくてもアゼルがエーディンに好意を持っていること目に見えて明らかだった。
しかし、想いを隠してきただけに、アゼルは簡単には認めようとはしなかった。
「レ、レックスこそ、ヴィルトマーの貴族の姫君を紹介されたって聞いたよ! そっちはどうなっているのさ?!」
「なんでお前が知っているんだよっ」
逆襲しかけたアゼルに、レックスは絞める腕にさらに力をこめる。
「レ、レックス! く、苦しいって!!」
つい力をこめ過ぎたせいで、アゼルは本当に苦しそうに顔を歪める。
「あ、悪ぃ。姫君ねぇ、あんな愛想笑いしかできないつまらない女には興味はないね。もっとこう力強い瞳(め)を持つような女なら考えないこともないけれど。言っておくけど、エーディン公女はタイプじゃないから、安心しな、アゼル」
「だから、僕は別にエーディンのためとかじゃなくて……」
エーディンへのアゼルの想いはすっかりレックスにばれているというのに、照れくさいのか、まだアゼルは否定しようとした。しかし、またレックスに首を絞めらそうになったので、最後までは言わなかった。
「とにかく、ユングヴィに行くんなら、さっさと行こうぜ」
「レックスも行ってくれるの? ドズルには帰らなくていいの?」
「あん? 別に俺がいなくたって気にするような奴はいないし、それにあそこには俺の居場所はないからな。親友のアゼル君が初めて兄貴に逆らったんだ。俺もつき合ってやるよ」
レックスはそばで休んでいた愛馬の背に颯爽と乗る。そしてアゼルに手を差し伸べた。
「ほら、後ろに乗りな。ユングヴィまで飛ばすからしっかりつかまってろ!」
アゼルがレックスの後ろに乗るや否や、見事な手綱さばきでレックスは馬を走らせた。
◇ ◇ ◇
そこはレンスター王国からグランベル領に入り、しばらく街道を走らせたところにあるユングヴィを臨める高台だった。
馬に騎乗した3人の男女が西を眺めている。
「もうすぐユングヴィね」
春色の髪をなびかせた少女がつぶやく。
「ああ。思ったよりも早く着けそうだな」
少女のすぐそばの青年が答える。
情報通り、城下からは煙りが立ち上っている。遠見鏡を覗けば、ヴェルダンの旗を掲げたものものしい数の兵の姿が見える。
馬をなだめながら、少女はすまなそうな表情を青年に向けた。
「ごめんなさい、キュアン。あなたまでまきこんでしまって」
「どうしたんだ、エスリン。そんなことを言い出すなんて」
「レンスターに嫁いだ以上、突然グランベルに行きたいなんて私のわがままだわ。レンスターだってトラキアとのことがあって油断できないのに。でも、兄様は幼馴染みのエーディンの危機にきっと助けに行くはず。でも今のシアルフィに残された兵はわずかなものだし、回復の杖を使える者も少ないはずだから、兄様もきっと困っていると思うの。だからどうしても行って私も力になりたいの」
「わかっているよ、エスリン。君を妻と迎えた以上、シグルドは義兄でもある。親戚関係を結んだからには、私が助けにいくのは当前のことだ。それに士官学校以来の親友でもある彼とは昔約束をしたんだ。お互いの危機には必ずかけつける、と。だから彼を助けるのに、君がそんな気を使う必要はないよ」
次期レンスター王夫妻が国を離れ、他国の争いに参加するのは好ましいことではなかったが、2人とも駆けつけずにはいられなかった。
エスリンにとっては、エーディンは幼馴染みの姉代わりでもあり、シグルドは敬愛すべき実兄だった。2人の危急に黙っていられるような性格のエスリンではなかった。
「ありがとう、キュアン」
優し気に微笑むキュアンに、エスリンも同じように微笑む。
これから戦場に赴くとは思えない和やかな雰囲気が漂う。2年ほど前に結婚した二人は、今なお新婚当時の、いや、それ以上に仲睦まじい。
そんな2人から少し離れたところで控えていた青い髪の少年が、頃合を見計らって声をかける。
「キュアン様、エスリン様。そろそろ出発しましょう」
「そうだな、フィン。この道を駆け抜けて、一気にユングヴィを目指すぞ!」
キュアンは坂道を駆け下りる。その後をエスリンが、そして最後にフィンが続いた。
◇ ◇ ◇
目指すはユングヴィ城。
誰もがそれぞれに思いを抱き、集うべき者たちが集い始める。
これから起こるべき計り知れない大きな流れに、彼等は知らずその身を投じるのだった。
Fin
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