守るべきこと、守りたいもの

 それは本当に偶然だったのだろうか。
 本当は誰かによって仕組まれた罠だったのではないだろうか。
 いくら考えてみても、答えは出てこない。
 あるはずのない出来事が起こる。
 抗(あらが)うことのできない流れに飲み込まれる。
 全てが夢幻のごとく、通り過ぎていく。
 誰もが自分の信念のもとに動いていた。 
 しかし、真実がどこにあるのかは、誰にもわからなかったし、誰にも見通すことはできなかった。

◇ ◇ ◇
 

 ことの発端はリボー族によるダ−ナ侵攻であった。
 イード砂漠の都市ダ−ナはグランベル王国保護下の領地であり、リボー族はイザ−ク王国に属していた。
 いくら辺境の一族であっても、イザ−クの属国である。その一族がダ−ナに攻め入ることは、イザ−ク王国がグランベル王国に叛旗を翻すのと同じことであった。
 事の次第を知ったイザ−ク王マナナンは、リボーの族長の首を討ち、謝罪するため自らグランベルへ赴いた。しかしマナナン王はグランベルへ向かったきり、イザ−クに戻ってはこなかった。
 そのかわり、グランベルからはイザ−クに向けて討伐隊が出撃したというのである。
 友好条約破棄にあたる行為は決して許すまじ、というのだろうか。イザ−クへの出撃部隊には、バーハラ王家のクルト王子指揮のもと、グランベル6公爵家それぞれが所有する精鋭部隊が加わっていた。力の差を見せつけるかのような、あまりにも大掛かりとなったイザ−ク遠征である。
 一方グランベル軍の出撃を知ったイザ−クでは、マナナン王の長子マリクルが指揮を取り、闘いに備えていた。
 王は依然として戻っては来ず、グランベル進軍の情報しか入ってこない以上、もはや諦めるしかなかった。
 それでもマリクルはなんとか話し合いで事をおさめようと、何度もグランベル国王に書状を送ったが、聞き届けられはしなかった。もはや二国の戦いは避けようがなかった。
 イザ−クが戦場と化するのも必須だった。
 どう考えてみても、兵力の差は歴然としている。マリクルは戦場となるイザ−クに息子シャナンを置いておくべきではないと考えた。全力を以てグランベル軍を迎え撃つつもりではあるが、この戦で自分が命を落とした時、そのあとどうなるかを考える。次の世継ぎは、幼いとはいえシャナンである。世継ぎであるわが子はシャナン一人。万が一があってはならない。剣聖オードの血を絶やすわけにはいかなかった。
 今のうちにイザ−クを離れ、事が落ち着き次第戻って継承した方が良いと思った。
 マリクルはシャナンと自分の妹姫アイラを呼び寄せた。そしてすぐにイザ−クから逃げるようにと2人に伝えた。
 シャナンの出奔に大人数の護衛をつけて目立つ訳にはいかない。それなら一騎当千の剣の腕を持つアイラと2人の方がいいと考えた結果だった。
 それと同時に、アイラにも逃げ延びて欲しいとマリクルは思っていた。たった一人の大切な妹である。かわいい妹を戦場には連れて行きたくなかった。シャナンと二人での出奔も確かに危険ではあったが、戦場に出撃するよりはまだましだと思った。それに、もしもアイラが出撃したらな、命を惜しまず闘い続けることはアイラの性格からしてわかりきっていた。
 兄の言葉を聞くやいなや、やはり自分も戦場に行くとアイラは言い張った。そんなアイラに、マリクルは自分の思いを伝えることはせず、命令だと厳しく言い放った。
『王子シャナンを守り、そしてことの真実を見い出し、イザ−クの未来を守るのだ』
 アイラは悔しいながらもそれに承諾した。命令だと言われれば、それに従わざるを得ない。
 そしてすぐに準備を整えたアイラとシャナンは、イザ−ク城を後にしたのだった。

◇ ◇ ◇

 どこをどう辿ってここまで来たのか、彼女も覚えていなかった。
 彼女……イザ−ク王女アイラと、彼女の甥にあたる神剣バルムンクの継承者である王子シャナンの旅は終わりがなかった。初めから目的の場所があったわけではない。どこまで行けばいいのか、アイラにもわからなかった。イザ−クを出奔し、ただひたすらグランベルの目を逃れてここまで来た。
 グランベル王国の西方、ヴェルダン王国。森と湖の国といえば聞こえは良いが、蛮族として世に知られ、あまり評判は良くない国である。
 アイラはイザ−ク人特有の黒髪の前髪をそっとかきあげる。
 すでに疲労は限界に達していた。
 今頃、イザ−クはどうなっているのだろう。
 兄は、城のみんなはどうしているのだろうか。
 すごく気にかかりつつも、それを知る術はなかった。
「アイラ……」
「どうしたシャナン?」
 背後から弱々しいシャナンの声が聞こえてきた。
「ちょっと、休んでもいいかな……」
「シャナン?」
 珍しいことを言うなとアイラは思った。今までの旅の中、自分から休みたいとシャナンは言ったことがなかった。
 数歩先を行っていたアイラは心配そうにシャナンのところへ戻った。
 ぐったりとした様子のシャナンがふらりとその場に倒れ込む。アイラは慌ててシャナンを抱き支えると、シャナンの額に手を乗せた。驚くほどに、熱い。
「こんな高熱……。シャナン、いつからだ?! いつから具合が悪かった?!」
「アイラ、大丈夫だよ……。これくらい、僕、我慢できるよ……」
 10歳になったばかりのシャナンに、この旅はかなりつらかったであろう。それなのに、文句も言わずにアイラについてきた。突然両親と別れ、叔母であるアイラと旅をしなければならないことは、子供ながらに思うこともあるだろうに、何ひとつ口には出さなかった。シャナンはシャナンなりにアイラを気遣っていたのである。
「シャナン!」
 息づかいがどんどん荒くなる。
 アイラは熱くほてった体のシャナンを抱き締めた。
 こんな時、どうすればいいのかわからない。自分が疲労を感じていたのだから、当然シャナンも疲労していることに何故気がつかなかったのだろうか。
 シャナンは兄から託されたイザ−クの希望である。聖痕こそ今はまだうっすらとしかあらわれていなかったが、立派なイザ−クの世継ぎの王子。たとえ今グランベルにイザ−クが占領されたとしても、シャナンがいればいつか真実を見い出した時、復興も可能である。イザ−ク存続をその小さな身に背負うことになった王子。なんとしても守らねばならなかった。
 自分が取り乱してはいけない、とアイラは頭を振る。ごちゃごちゃ考えている暇はない。とにかくシャナンを手当てしなければならない。今、自分がどこにいるかを考える。近くに医者のいるような村はあっただろうか。しかしそれよりも医者に看せる金がないことに気づく。
 いや、金のことはあとから考えればいい。どうにでもなるだろう。ならなければ、母の形見の指輪を売ればいい。
 とにかく村か街を探して医者に連れて行こうと、アイラは結論を出した。
 シャナンを背負い、いま来た道を戻ろうとした。
 その時だった。
 目の前に山賊ふうな数人の男達が現れた。
「女に子供か……。いい獲物が飛び込んできたな」
「なんだ、お前達は?」
「知れたことよ。なぁに、持っている金品を出せば命だけは助けてやる。子供の方は高く売れそうだな。女は……。まずは俺達で楽しんでから、売ってやるぜ。かなりの上玉だ。高く売れるぜ」
「お前達にかまっている暇はない。どいてもらおうか」
「けっ、どうしても通りたいっていうなら、俺達が相手だぜ?」
 いかにもガラの悪い連中が斧を片手にアイラの前に立ちふさがる。
「どうした? 怖じけついたか?」
「……そっちがそのつもりなら遠慮はしない。今の私には手加減する余裕も時間もない。私の行く手を阻むものは我が剣にて倒すのみ」
 アイラはシャナンを樹の根元に下ろすと、おもむろに剣を鞘から抜いた。
 ある程度力のある剣士なら、アイラの構えでその力量がわかり、安易に襲ったりはしないだろう。しかし山賊らしきその集団は、女であるというだけで、アイラの侮り、そして襲い掛かった。
 アイラは早さを生かし、流星のごとく剣を操る。その剣技は誰も見切ることはできない。それどころか悲鳴すらあげることなく倒されていく。
 10人ほどの山賊どもは、アイラに触れることさえできないまま、地に伏していた。
 残されたのは、アイラを襲わずに少し後ろで見ていた男ひとりだった。
 手には一応斧を持っていた。
 アイラが残った一人に視線を向ける。深い夜を思わせる漆黒の瞳が、男をとらえる。
 アイラは最後に残った一人に近づき、その鼻先にすっと剣先を向けた。
「ま、待ってくれ!」
 男は後ずさる。
「逃げたければ逃げるがいい。仲間を見捨てるのもお前の勝手だ。しかし、まだ仲間どもは手当てすれば助かるということを覚えておくんだな」
 アイラは剣を鞘に収めると踵を返し、シャナンのところへと戻った。
 やはり息遣いが先ほどより悪くなっている。
 早く医者に連れて行かないと……。
 そう思い、アイラはシャナンを背負った。
「つ、連れのガキ、具合悪そうだな」
 逃げずにいた男がアイラに声をかけてきた。
「だから何だと言うのだ?!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! と、取り引きしようじゃないか?」
「取り引きだと?」
「そうだ。ガキを助けたいだろう? 薬と食べ物、寝床を提供してやる。その代わり……」
「命を助けろと?」
「そ、それと、お前を雇いたい」
「私を雇うだと?」
 それは意外な申し出だった。
「お前が倒した連中は、これから俺の城で働いてもらう傭兵だったんだ。だがお前さん一人でこいつら全員の代わりが十分勤まる。もちろんそれだけの金も出す。どうだ?」
 祖国を出奔した時に持ってきたお金も底をついている。そのうえシャナンの具合が悪い今、雇われるということに抵抗はあるが、今の立場を考えても、それは好都合な申し出だった。
「お前の城とか言ったな?」
「そうだ。俺はジェノア城を預かるヴェルダン第2王子キンボイスだ」
 これが一国の王子だと、アイラは信じられなかった。山賊どもとなんら変わりない出で立ちであり、風貌であった。
 イザーク王女として育った自分がこんな男の傭兵に身を費やすのか、とアイラは自嘲した。
 しかし、シャナンを助けるためには自分のプライドなど問題ではない。そんなものは必要なかった。
「……わかった。取り引きに応じよう」
 その答えを聞いたキンボイスはほっとしたように、息を吐いた。
「ジェノア城はこっちだ」
 男は立ち上がり、南を示す。
「シャナン、もう少しの辛抱だ」
 アイラは背中で苦しそうにしているシャナンにそう言い、そしてキンボイスの後についていった。
 アイラとシャナンが祖国を出て、1ヶ月目のことであった。


 

         Fin

ちょっとフリートーク

  アイラがなぜヴェルダン軍として登場してきたかの説明です。
  シャナンのため、というのは周知のことですが、ちゃんとした理由付けが欲しかったので、
 このように書いてみました。
  シャナンは自分のためにアイラをヴェルダン軍として出撃させたことを後悔します。そして
 もっと強くなろうと思い始めるのです。これまで守ってくれたアイラを守るために。
  自分を捨ててシャナンのために生きているアイラ。このあと、ちゃんと自分の幸福をみつけ
 られるようにしたいです。