シグルドがディアドラを連れて陣幕へ戻った時は、すでに敵は一掃されていた。
思いがけない夜襲であったにも関わらず、それほど大きな被害はないようであった。強いていうなら指揮官のシグルドの行方がわからなくなったことだけが気掛かりといったところである。
しかしそれもシグルドが無事に帰還したことで、皆は安心した。それと同時に、シグルドと一緒にいた美少女を見て驚いた。
シグルドはディアドラのことをヴェルダン城攻略に不可欠な人だと説明した。詳しい身分についての説明がなされなかったことに一部ではいぶかしがる者もいたのだが、彼女の持つ魔封じの杖とその魔力に、皆は納得した。
けれど、ディアドラを見た瞬間、いち早く2人がどういう関係なのかをエスリンは見抜いたのだった。
「驚いたわぁ。まさか兄様が女のコを連れて来るなんて。ねぇ、どこで知り合ったの? どっちから告白したの? いつからおつきあいしていたの?」
「お前は私の説明を聞いていなかったのか?」
「聞いていたわよ。だけどそれは建て前でしょう? 今はヴェルダン城攻略を優先しなければならないから、そう言っただけ。あ、もちろん兄様が説明したそれも事実なんでしょうけれど。でも、本当のところは兄様のお嫁さん、私のお義姉さまになる方。違う?」
自信たっぷりにエスリンに問われ、シグルドは一瞬返答につまった。
うまくごまかすことのできない兄の態度に、エスリンは確信を持つ。このあたりもう少しうまく立ち回る事ができればもっと早く出世もするだろうにと思いつつ、それが兄の良いところであり好きなところでもあるのだとも思う。
もっとも、好奇心旺盛で話好きで、人の恋愛事には特に首を突っ込みたがるエスリンの性格では、さすがのシグルドでも対抗できる術を持たないというか、悪気がないだけに太刀打ちできないものがある。
「兄様って理想高かったのねぇ。これじゃあいくら私が紹介しても首を縦に振らないわけよ。彼女のどのへんが好きなの? 性格はどんな感じ? 優しそうだけど、魔力を見せてくれた時のあの表情からは結構気は強そうな感じがしたけど、どう?」
「うるさいぞ、口より手を動かせ」
シグルドはエスリンの質問には答えようとはせず、自分の傷の手当てを早く済ますように指示した。
ディアドラに手当てをしてはもらっていたけれど、それは応急処置的な程度でもあったため、シグルドは改めて救護班の陣幕でエスリンの手当てをエスリンに頼んだのであった。
「なによぉ。妹として喜んでいるのよ? だらしない兄様のお嫁さんになる人なんていないんじゃないかと心配していたのに、あんな綺麗な人を連れてくるんだもの」
「そのわりにはおもしろがっているようにしか見えないが。い、痛いぞ、エスリン」
シグルドの傷を消毒するエスリンの手がつい乱暴になる。
「彼女の手当てのおかけでもうほとんど治ってるようなものじゃない。少しくらいしみても我慢しなさい」
エスリンは間をおかずに話を続ける口と同じように、てきぱきと傷を手当てを続ける。
「はい、おしまい。一番ひどかった右肩の傷だけど、それも明日1日大きく動かしたりしなければ大丈夫よ」
「わかった、ありがとう」
シグルドは傷の手当てが終わると上着を着て服を整えた。
「ねぇ、兄様、さっきの返事は?」
「返事? なんのことだ?」
エスリンの好奇心な瞳を、シグルドは何事もなかったかのように無視する。
そんな兄の様子をじっと見つめていたエスリンは小さくため息をついた。
「何にも教えてくれないのね。いいわ。彼女に直接聞くから。やっぱり女は女同士、義妹としてはいろいろ話して仲良くならなくちゃ」
切り替えの早いエスリンはターゲットを変えたらしい。どうあってもシグルドとディアドラのなれそめ話を聞き出すつもりなのである。
仲良くするためというよりも、どちらかというとやはり好奇心の方が大きいように思えるが、シグルドはもう何も言わなかった。
「いじめるなよ?」
「失礼ね。誰がいじめるのよ?」
「お前にその気はなくても、こんなふうに質問攻めにされてはディアドラが困るだろう?」
「じゃぁ、兄様が答えてくれる? 私はそれでも構わないけど?」
「……ほどほどにしろよ」
エスリンの質問攻めに自分はこれ以上はつきあってはいられないと、シグルドは仕方なくそう言う。話題が話題だが、義姉妹となるディアドラとエスリンが仲良く話すきっかけになるならそれはそれでよしとするべきか。
多少複雑な思いを残しながら、シグルドは立ち上がった。
「ねぇ、兄様。これだけ教えて」
「なんだ?」
「プロポーズの言葉って何て言ったの?」
「プロポーズの言葉?」
踏みかけた足がぴたりと止まった。そしてそのまま身体が固まったかのようになる。
「どうしたの? 急に黙っちゃって。これもやっぱり教えてくれないの?」
「……言ってない」
「えっ?」
「プロポーズの言葉、言っていない」
シグルドの言葉にエスリンは大きく目を見開いた。
「兄様、彼女と結婚するのよね?」
「そのつもりだ」
ここまで来たならもう隠す必要もないので、シグルドは言い切った。
「でも、プロポーズはしていない?」
「そうだ、な。あ、いや、一生守ると誓ったぞ」
「でも結婚するとは言っていないんでしょ?」
「……」
『結婚』の二文字はディアドラとの会話の中には確かに一度も出て来てはいない。
「ちなみに一応聞いてみるけれど、彼女も結婚するつもりよね?」
「だと思うが」
なんとも心もとない返事である。
けれど、必ず守る、共に生きて行くことが運命なのだ、君だけを愛するいうことを誓ったのである。
その誓いにには全て含まれはしないだろうか。
それはそれで結婚の約束にはならないのだろうか。
シグルドはそう思ったのだが、エスリンはそう思わなかったようである。
「もう! 何やってんのよ!」
口調が急に喧嘩ごしになる。
「エ、エスリン?」
「いい? 女のコはちゃんとした言葉が欲しいものなの! プロポーズの言葉は女のコにとっては大切なものなのよ。そんなあやふやな態度でいたら、心細いじゃない! ただでさえまわりは見知らぬ者ばかりで好奇の目で見られてるっていうのに。頼る人が兄様しかいない彼女なんだから、ちゃんと言ってあげなきゃ!」
「い、いや、しかしな、エスリン、いまさら……」
「兄様!」
こういう時の妹の迫力には逆らえない。
「困らせるつもりで言っているわけじゃないのよ。愛する人に言わなくても良い言葉なんてないの。言葉は大切なの。言わなくちゃわからないの! 彼女だって本当は待っているはずよ。だから、お願い。ちゃんとプロポーズしてあげて」
「……そんなに大切なものなのか、プロポーズってものは」
「大切なものなの」
エスリンはきっぱりとそう言ってうなずいた。
「なぁ、エスリン」
「なあに?」
「キュアンはお前になんて言ってプロポーズしたんだ?」
「あらん。兄様、聞きたいの?」
そう言ったエスリンの瞳がキラリと光ったような気がした。
あのキュアンがこの妹にどういう言葉で結婚を申込んだのか気にはなるが、そう言ったことをすぐさまシグルドは後悔した。普段からの妹夫婦の仲の良さを知っていて、さらにはつきあいの長い二人である。エスリンがキュアンのことを話し出したら止まらないのは目に見えていた。
他人ののろけ話を聞かされる時ほど退屈なものはない。
「……いや、やめとく」
「そう? まぁ今は私の話よりも兄様のプロポーズよね。だから今度時間ある時にゆっくりきかせてあげるわね」
一瞬話し出されたらどうしようかと思ったシグルドは、こっそり心の中で安堵した。
「兄様。こういう時は花なんかあると良い演出になるわよ」
陣幕を出るシグルドに、エスリンは最後のアドバイスをしたのだった。
そうかと、感謝の笑みなのか苦笑なのか、どちらにでも取れるような微妙な笑みを残し、シグルドは陣幕を出た。
ディアドラはエーディンの陣幕にいるはずである。どういう経緯なのかはわからないのだが、二人は顔見知りだったようである。
たぶんまだディアドラはエーディンノところにいるはずである。シグルドはそこへと向かった。
「花、ねぇ」
歩きながら、エスリンの言葉を思い出してそうつぶやく。
用意するといっても、野営をしているこの場所では花束となるような花を用意するのは不可能である。どうしたものかと考えながら歩いていると、ふと白い花が一輪だけ咲いているのに気がついた。
「これ1本でも構わないかな」
シグルドは白い花を一輪摘み取る。
「なんという名の花なんだろう」
控えめで清楚な感じのするその花は、ディアドラにとても似合うような気がした。
それにしても何と言ったら良いのだろう。
結婚して欲しいと素直に言うべきなのか。
それとも、何かもっと違う言葉が必要だろうか。
エーディンの陣幕までそれほど遠くはない。早く言葉を見つけようと手に持った花を見ながら考える。
その時。
「シグルド様!」
小鳥のさえずりのような可愛らしい声が聞こえてきた。
前方から小走りに近づいてくるその可憐な姿に、シグルドの顔が自然とゆるむ。
やわらかに微笑む彼女が手の届くところにいるのが嬉しくなる。
「ディアドラ、君と出逢う事ができて本当に良かった……」
シグルドはディアドラが自分の前に立ち止まると、その手にあるディールの花を差し出したのだった。
Fin
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