精霊の歌声

空に浮かぶは黄金(きん)の月
輝く光に照らされて
今宵出逢うは運命の人

待ち焦がれたるこの時に
白く輝く花を抱き
月に向かいて誓う永遠(とわ)

今宵の話は吟遊詩人に紡がれて
私は夢に語られる

今宵出逢うは運命の人

 

 

 いつも一人で夢を見ていた。
 友達と呼べる者もなく、語りかけるのは森の小鳥や小動物。彼等は決して応えてはくれず、自分一人が語りかけるだけ。それでもたった一人の身内である祖母には言えない夢物語を語ってきた。
 いつかこの森を訪れる、気高き騎士を待っているということを。
「今宵出逢うは運命の人……」
 銀色の長い髪の少女が小さくつぶやく。
 昔祖母からもらった絵物語の一節。もう本を見なくても、間違うことなく語ることができる。
 物語の挿し絵は満月の夜だった。ちょうど今夜のような空。満天の星空に煌々と輝く月。
 少女は瞳を閉じて静かに空を仰ぐ。
 優しい風が頬をなでる。いつもと変わらない穏やかな夜だと思った。
 月光を浴び、清浄な風にその身を包み、そっと静かに息を吐いた時だった。
 それまで穏やかに吹いていた風が突然乱れた。木々の葉を激しく揺らす。葉ずれの音がどんどん大きくなる。まるで木々が何かを訴えているかのように激しく揺れた。
「な、なに? どうしたの?」
 少女は慌ててまわりを確かめる。  
 風が激しく吹く他に、森の変化はなさそうである。
 ただ風だけが一方方向に吹いていた。
 風に乱れた長い髪を押さえながら、少女は風が流れる先を見る。
「こっちの方向に何かあるの?」
 そうつぶやいてみても返ってくる応えはない。けれど、少女は何かが気になって、とにかく風の流れに沿って駆け出した。
 しばらく進んだところで、何か黒い影が見えた。足を止めて様子を伺う。
「何、かしら……?」
 少女はおずおずとその影に近づいてみた。
 ふいに月光が影を照らす。影の正体は大木の根元、地面より浮き上がった太い根の一部にもたれかかるようにして倒れている人だった。
 倒れているにも関わらず、その手にはしっかりと長剣が握られている。
 月光によって照らされるその姿はどう見ても隠れ里に住んでいる者ではなかった。
「どうしてこんなところに人が……」
 精霊の森と呼ばれるこの場所は、森の奥にある隠れ里に住む者以外はまず滅多に人が入る事はない。
 少女は恐る恐る近づいてみた。
 うつ伏せに倒れたその人物。
 光沢のある白いマントに赤い染みのようなものがあるのが見えた。
「赤い染み……、もしかして血? 怪我でもしているのかしら」
 そうであるならこのまま放っておくわけにはいかない。見知らぬ者とはいえ、怪我人をそのままにしておけなかった。
「あの、大丈夫ですか?」
 思い切って声をかけてみたのだが、気を失っているのか返事はなかった。
「あの……」
 少女はうつ伏せのままでは苦しいのではないかと思い、その人物の身を仰向けにしようとした。
 その時、その人物の顔が少女の瞳に映る。
「こ、この人は!」
 どの顔を見た途端、少女は息を飲んだ。

◇ ◇ ◇

動き出したる運命の輪
聖なる剣を握りしめ
黒き影を断ち切らん

祝福の月光は恋人達に降りそそぎ
永遠の誓いを交わしあう

今宵出逢うは運命の人

 

 

 子守唄のように優しい響きの声が聞こえて来た。
 急いていた心が落ち着きを取り戻していく。
 頭痛がするほどの重い頭で、自分の今の状況を考えた。
 突然の夜襲で混乱してしまった軍。指揮官である自分も自ら戦闘に立ち、応戦した。しかし敵はつかず離れずの間合いを取り、思わず追ってしまった自分は孤立してしまった。敵の思惑は軍の壊滅が狙いではなかったようだった。自分を仲間から引き離すことだったと思える。孤立した途端、一斉に敵が襲いかかって来たのだ。それでも相手が魔法士だったのが幸いしたのか、接近戦に持ち込めば、敵は敵ではなかった。
 襲って来た敵を全て退治し、軍に戻ろうとした。しかし森の中で方向を見失ったせいか、途中で道に迷ってしまった。遠くから美しい音色が聞こえて来た。音色、いや、それは声。そばには誰もいないのに耳に届いた女性の声。自分はそれに導かれるように歩いた。しかし、怪我をしたせいか、身体がどんどん重くなり、声の許へたどり着く前に地面に倒れ込んでしまった。
 ちょうどそこまで、思い出すことができた。
 倒れ込んだ後、自分はどうなったのだろうか。
 ゆっくりと瞳を開けてみた。
「目が覚めましたか」
 月光に照らされ、キラキラとまぶしく輝く銀色の髪が目に飛び込んで来た。
「君は……」
 一瞬幻でも見ているかのような気分だった。精霊かと見間違うような少女が目の前にいた。
「出血のわりには軽傷でした。すでに魔法で傷口もふさいでありまし、歩くには支障ないはずです。この道をまっすぐ進めば街道に出ます。ではお気をつけて」
 表情を変えずに少女は淡々とそう告げると、立ち上がって森の奥へと歩き出した。
「待ってくれ!」
 シグルドはとっさに身を起こして少女の手を取った。
「放してください」 
「放せば君はどこかへ行ってしまう」
「……」
 少女は視線をシグルドの方へと向けようとはしなかった。
 シグルドは少女から手を放さないまま、しばらく無言でいた。
「君が手当てをしてくれたんだね。ありがとう」
「……怪我をした人を放っておけなかっただけです」
 顔をうつむけたままの少女の答えは素っ気ない。そして弱々しく震えているように聴こえた。
「ディアドラ」
「どうして私の名前を……?!」
 突然自分の名前を呼ばれハッとして、顔をあげる。シグルドの強い瞳がディアドラを見つめていた。
「マーファの長老に聞いたのだ。この森が君が住む精霊の森なんだね。私は君に逢いたかった」
「それなら私のことを、私にさだめられた運命のことも知っているのでしょう? お願いです。その手を放してください。私は人と接するのを禁じられています!」
 振り払おうともがくけれど、力の差は歴然としていて、びくともしなかった。
「確かに長老から話を聞いた。君の運命……、いや迷信をね」
「迷信ではありません! 私の星回りには黒い影がいつもつきまとっています。私がこの森から出てしまえば、その黒い影は世界へと広がってしまいます!」
「そんなことはない! 黒い影があるなど、誰が決めたのだ?! そんな目に見えないもののために、私は君をあきらめることなどできない!」
 シグルドはディアドラを引き寄せてその身体を抱きしめた。
「ダメです! いや、はなして! 私に関わればあなたも黒い影にとりつかれる! あなたは私には関わってはいけません! 私のことなど忘れてください!」
「逢いたいと思っていた君に出逢えたというのに、どうして忘れる事なんてできるのだ?!」
「お願い、私のことは放っておいて! 放って……!」
 激しくシグルドを拒絶するディアドラの言葉が急に途切れる。
 ディアドラはあたたかい感触を唇に感じていた。
「あ……、ん……」
 ふさがれた唇の隙間から甘い吐息がもれる。
 しっかりと力強い腕に抱き締められているうちに、徐々に思考能力が落ちていき、何も考えられなくなる。
 ディアドラは急に身体の力が抜けたかのように崩れ落ちた。
「ディアドラ?!」
 シグルドに支えながらも、ディアドラは大地に膝をつけた。
「……ダメ」
「ディアドラ?」
「お願い、私に関わらないで」
 子供のようにダメと何度もくり返し、首を左右に振る。
「ディアドラ……」
「あなたにだけはこの黒い影をまとわせたくない。闇の運命に従うのは私ひとりで十分だから」
「ディアドラ、運命とは従うものではない。自分で切り開くものだ」
「シグルド様……」
「恐れることは何もない。必ず私が君を守る。君が運命というものを信じるのなら、今日、この今夜、君が私と逢えたことこそが運命なのだ。君が信じるべき運命なのだ。さっき君が口にしていた一節は何だ?」
「……今宵、今宵出逢うは運命の人」
 ディアドラの瞳から精霊の湖のように澄んだ涙がこぼれ落ちる。
「何にも負けない君への想いがこの胸に刻み込まれた今、私は君を、君だけを愛し、守り抜く」
「でも……」
「君への想いが真実であることをあの満月に誓おう。君が歌ったその一節のように」
「シグルド様……」
「何度でも言おう。恐れることは何もない。必ず私が君を守る。私と共に生きる事が君の運命なのだ」
 強い意思が感じられる言葉。一点の曇りのない澄んだ瞳。 
 待ち望んでいた瞬間がそこにあった。
 シグルドの大きな手がディアドラの頬に触れる。そっと涙を拭われ、そして唇が落とされる。
 優しく、熱く触れられる唇を、ディアドラは受け入れる。力強い腕の中にその身をゆだねる。 

祝福の月光は恋人達に降りそそぎ
永遠の誓いを交わしあう

 
 絵物語の一節が頭に響く。
 祝福の月光は何に邪魔される事なく、シグルドとディアドラにだけに輝き、降りそそいでいた。

◇ ◇ ◇

「ディアドラ、ヴェルダン城の件が終わったら必ず迎えにくる。それまでここで待っていてくれ」
 シグルドはマントを羽織り、腰の長剣を改めて確かめながら言った。その言葉にディアドラの表情が曇りはじめる。
「戦いの場へ行かれるのですか?」
「私は指揮官だ。今もみんなが闘っているはずだ。指揮官の私が戻らねば我々に勝利はない」
「でも、ヴェルダン城にいるというサンディマは恐ろしい暗黒魔法を使う闇の司祭です。これ以上先へ進めば、きっと殺されます。お願いです。行かないで……」
「サンディマを知っているのか?」
「ヴェルダン城の悪い噂は聞きたくなくても聞こえてきます。いくら武芸に秀でている方でも暗黒魔法に対抗できる術はありません。ですから……」
 危険を告げるディアドラの言葉に、シグルドは首を左右に振った。 
「部下が戦っているのに私が逃げ出す事はできない。何においても、対抗できる術は必ずあるはずだ。私が諦めるわけにはいかない」
 はっきりとそう告げられ、ディアドラはそれ以上引き止める言葉は言えなかった。その代わりに、彼女はゆっくりとうなずいた。
「……わかりました。それなら私も一緒に行きます」
「えっ……?」
「私は少なからず魔力を有しています。封印の杖を使えば、きっとお役に立てるはずです」
「封印の杖?」
「はい。この隠れ里には『サイレスの杖』いう名前の魔法杖が封印されています。この杖は一時的ではありますが魔力を封じ込める力があります。私がこれでサンディマの魔力を封じれば、戦いはかなり優位になると思います」
「君にそんな力があったなんて……。いや、ダメだ。君を危険な戦いに巻き込みたくはない」
「共に生きて行く事が運命だとあなたは言いました。私はそれを信じます。だからどこへでもあなたと一緒に行きます。もう待つだけなのは嫌なのです」
 絵物語の騎士を、ただ夢見ていた。自分から探しに行こうとしなかった日々。そんな人など来るはずがないと心の奥ではじめから諦めていた。ただ待つだけでは、誰かが与えてくれるのを待っているだけではダメなのだ。欲しいものは自分から取りにいく。幸せは自分で見つけなくてはならない。
 自分の幸せはこの人と共になるのだと、ディアドラは確信する。
「私もあなたの力になりたいのです」
 揺るぎない瞳がシグルドへと向けられ、そしてシグルドはそれを受け止める。
「わかった。一緒に来てくれ。私の力となって欲しい」
 シグルドは右手をディアドラへと差し出した。
「はい。ずっとあなたのそばにいさせてください」
 細い指先を、大きな手のひらへと乗せる。しっかりと握りしめられた手は、そのぬくもりを受け、そしてディアドラの心の不安を解かしていった。 

 今宵出逢うは、運命の人…………。

         Fin

ちょっとフリートーク

 シグルドとディアドラの2回目の出逢いシーンです。
 えっ、これが2回目?
 もうすでにらぶらぶです(笑)
 冒頭などに出てくる一節はかなり前から出来上がっていました。ディアドラの声に惹かれたシグルドが彼女の許を訪れ……というのを構想していたのですが、どうしたらシグルドが精霊の森にひとりで来られるかと、その部分で迷いました。
 それにしても、シグルド、熱く語ってます(笑)
 もう少し熱くても良かったかも?

 

 

  

  

 

 

 

 

 

●感想はこちらからでもOKです。ひとことどーぞ♪     

お名前(省略可)            

感想