ヴェルダンの3人目の王子ジャムカによる停戦承諾のおかげで、ヴェルダン軍もシグルド軍も最低限の被害でおさまった。
ジャムカの話により、ヴェルダン城にいる父王が病のために寝込んでいること、そしてサンディマという魔導士がある日突然現れたせいで和平派だった王の考えが変えられたことを知らされた。
今回のヴェルダンのグランベル侵略には、サンディマが大きく関わっているとジャムカは語り、父王は考えを変えたというよりもサンディマに操られているのではないかとも言った。
王の病状もあまり思わしくなかったことから、一刻も早く王を助けに戻りたいとジャムカは申し出た。
一連の鍵を握るのがそのサンディマなら、その人物を捕らえ尋問すべきという結論になり、ジャムカの申し出を聞き入れる形で、シグルドは出立することを決めたのだった。
出立の前夜、シグルドはマーファの長老の許を訪れた。
「長老殿、夜分失礼いたします」
「おぉ、シグルド殿。いよいよヴェルダン城へ進軍されますのじゃな」
「はい。ジャムカ王子の案内で、直接バトゥ王に会うつもりです。早朝陽が登るのと同時に出発します」
「早朝とはまた急な。用意の方はお済みかのぅ? 入り用なら遠慮なく申し出てくだされ。出来得る限りのことはさせていただきますので」
マーファの民にとっては悪政を強いたジャムカの兄達よりも、他国の軍とはいえ悪領主を倒してくれたシグルド達に対しての方が好意的であった。
「ありがとうございます。しかし今やヴェルダン城には戦う軍もなく、今の我々の準備でも大丈夫かと思われます」
「そうであるなら良いが、何かあれば遠慮なくおっしゃってくだされ」
「御好意感謝いたします。ところで長老。実は今夜訪れたのは長老殿にお聞きしたいことがあって参ったのです」
「わしに聞きたいこと? はて、何であろう?」
白いひげに手を当てながら、長老はふと考え込む。
「彼女の……、ディアドラの事です」
長老は白い眉寄せ、どこか困った表情になった。
「関わらんほうが良いと申したはず。深入りなさるのはおよしなされ」
「あの迷信のせいですか? それなら私は信じないと言いました。私はどうしてももう一度彼女と逢って話がしたいのです。精霊の森について訊いても誰も答えてはくれないのです。お願いです。彼女について知っていることを教えてください」
「運命を変えることになるやもしれぬぞ?」
「運命という言葉を使うのなら、彼女と出逢ったことこそが運命なのです」
迷いのない力強さを秘めた瞳が長老を見つめる。静かにその視線を受け止めていた長老は、やがて小さくため息をついた後、話し出した。
「この街の北には精霊の森と呼ばれる深い森があってな、わしは昔、その森の中にある隠れ里に住んでおった。その里は、暗黒神ロプトの一族でありながら、人間に味方して追放された聖者マイラの子孫が隠れ住んだと伝えられるところであった」
「マイラの子孫? それと彼女にどういう関係があるというのです? 私が聞きたいのは……」
聞きたいのはディアドラのことである。ただの世間話につき合っている余裕はない。
急かそうとするシグルドを長老はなだめる。
「まぁ、聞きなされ。わしがいた頃はシギュンという名の美しい娘が唯一ロプト神の血を引くマイラの子孫として、里人達に守られて暮らしておった。しかしシギュンは退屈な森での暮らしにあきて掟を破って里を出てしまったのじゃ。何年かして彼女は里に戻ってきたが、その時すでに身重じゃった。そして一人の女の子を産み落とすとそのまま死んでしまったのじゃ。その子は里の占いおばばにひきとられたと聞いておる」
「ではそのシギュンの娘がディアドラであり、つまりはロプトの血を引いていると……? だから外界との接触を断てと……」
勘の良いシグルドはその話だけで長老が言いたいことを悟る。
「シギュンの娘である以上ロプトの血を継いでおるのは間違いない。これでわかったであろう? どうしてディアドラが外へ出てはいけない訳が。少しでもロプトの血を継ぐ者を表に出してはいけないのじゃ」
暗黒神ロプトの血は禁忌である。その血を引きし者は世界を混乱に導くとまで伝えられている。実際にはロプトの血を引く者が何をするのかまでは伝わってはいないけれど。
ディアドラはそんなロプトの血を引いている。しかし彼女は過去の大戦で人間に味方をしたマイラの一族でもあるだ。ロプトの血は絶やせとはいうけれど、マイラの一族である以上簡単にその存在をなかったことにはできない。だからといって禁忌の血を持つからにはその存在を表立たせるわけにはいかなかった。
ディアドラはその一生を人と関わらず精霊の森で過ごすことを条件に生かされているのであった。
そんなディアドラの身の上を知ったシグルドではあったが、だからといってそれで大人しくあきらめる彼ではなかった。
「ロプトの血を引いているとはいえ、彼女には何の罪もない。この世に生まれてきた以上、彼女にだって普通に暮らす権利はあるはずだ。彼女ひとりを閉じ込めたところで、どんな影響があるというのです?! 彼女ひとりで何ができるというのです?! 私にも彼女ひとりくらい守れる力はあります。不当な宿命の鎖が彼女を戒めているのなら、私がこの手で断ち切ってみせる!」
シグルドはディアドラのためならどんなことでもしてみせるとでもいうように、堂々たる態度を長老へ示した。
長老はほんの少しだけ何かを言いたげに唇が動いたが、シグルドにはこれ以上諌める言葉を言ってもその決心を変えられないと感じ取った。そして、ただゆっくりと1度うなずいた。
「強い瞳をしておるのぉ。もしかするとシグルド殿なら違う道を歩んでいけるやもしれぬ」
「それでは……」
シグルドの表情が明るくなる。
「ふむ。精霊の森へ行くには、ヴェルダン城への深い森の道から脇道へ入らねばならぬ。その道はただ人には開かれぬものだが、シグルド殿であれば開かれるであろう。心の迷いを捨て、精霊の森へ行くことだけを考えなされ。さすれば自然と道は開かれる。あとは導かれるままに進めばよい」
「わかりました。ありがとうございます!」
すっきりとした表情でシグルドは長老に礼を述べた。
◇ ◇ ◇
マーファ城とヴェルダン城とのちょうど中間あたりの森の奥。精霊の森と呼ばれる場所の、さらに奥深いところにある小さな祭壇の前に少女がたたずんでいた。
大きな木の根元に作られたその祭壇には、とある魔法の杖が奉じられていた。
「この中に私になら使える魔法の杖があるのね」
月光が彼女の薄紫色の髪を照らす。淡く輝くように照らされるその姿は、まるで本当の精霊のような不思議な魅力があった。
少女はごくっと息を飲む。
この杖の効力があれば、きっと役に立てる。
自分は戦うのには何の力も持っていない。けれど、少しでもあの方の力になれるのなら……。
そう思いながら手を祭壇に伸ばそうとした。
手を近づけるにつれ、祭壇が光っていくような気がする。
まるで奉じられた杖自身が使い手を待っていたかのように、祭壇、いやその中の杖が少女に反応していた。
しかし。
少女は手を下ろした。
自分が本当に役に立てるのかと、ふいに不安に襲われたのだ。
育ての親は占い師で、多少なりとも自分も占いの力を授けられていた。
まだ未熟であるその占いの力ではあるが、ヴェルダン城に覆われている闇の魔力の気配は感じることができた。今までに感じたことがないほどに強大なものである。
恐怖を感じるほどのその魔力を、例え力のある杖があるとはいえ自分に押え込めるのかがわからなかった。
その効力を知識として知ってはいたけれど祭壇の杖は一度も使ったことのないものである。
ましてや持ち出し禁止とされている杖。
勝手な判断で持ち出していいものではなかった。
少女は何度も手を伸ばしかけては躊躇っていた。
「何をしているんだい?」
「お、おばあ様?!」
ディアドラはハッとして振り返りながら祭壇からその身を一歩引いた。
育ての親であるこの占い師に恐い顔で見つめられ、ディアドラは身を小さくする。
「何をしているのかと問うたのだ。応えなさい、ディアドラ」
「あ、あの、私……」
門外不出とされている杖に手を出そうとしたのである。どんな理由があったとしても許されることではないだろう。
実際に触れたりしてはいないのだが、そうしようとしたことだけでも罪であるかのように思えた。
必死になって言葉を探そうとするがすぐに出てこない。その間も占い師は瞳を細めてまっすぐにディアドラを見ていた。
「あの、私……、何もしておりません! ごめんなさい、おばあ様」
ディアドラはまるで逃げるかのように走って行った。
「謝るようなことをしようとしていたのかい? ディアドラ」
占い師は小さくなって行くディアドラの後ろ姿を見つめながら、ぼそりとつぶやく。
そしてディアドラの姿が見えなくなると、視線を祭壇へと移した。
『サイレスの杖』
そう呼ばれ、祭壇に奉られている魔法の杖は、どんな術者の魔力でも封じることができる杖である。
ディアドラの母シギュンが娘のために残した唯一つの杖であった。
どんな時のためにこの杖を残したのかはわからないが、ただひとつ娘の許に残されたもの。
しかし、この隠れ里にいるならこの杖は必要ないものである。ディアドラ自身もこの杖が奉じられている祭壇に来ることは今までなかった。それなのに、彼女は思いつめた顔でこの場所に来ていた。それだけで彼女がこの杖を何かに使いたがっていることが読み取れる。
「おまえにはこの先もここで穏やかに過ごして欲しいと思っていたのだが、やはり無理なのかねぇ……」
18年の間、親代わりを努めた占い師は、ため息まじりにつぶやいた。
こうして、シグルドとディアドラ、2人の見えない運命の糸は紡がれ始めていた。
Fin
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