いろいろと大変だった戦いも一段落し、その夜は酒宴が催された。 シグルド軍の主だったメンバーは広間に集まり、思い思いに酒や料理を楽しんでいた。 みんながこれまでの大変さを労いあおうと楽しんでいる中で、ラケシスはつまらなさそうな顔でノディオン酒を飲んでいた。 「アイラ、お代わり」 ラケシスは同じテーブルに座っていたアイラに、空いたのグラスを差し出す。 「ラケシス、もうそろそろ止めておいた方が……」 アイラはちらりとテーブルの上の酒のボトルを見た。 すでにボトル4本が空いている。 「フィンもそう思うだろう?」 アイラはラケシスの向い側に座っていたフィンに話を振る。 いくら自分やフィンも一緒に飲んだとはいえ、その大半がラケシスの口に消えているのだ。何故か今夜のラケシスはグラスを空けるのが早かった。 「そうですね、今夜は飲み過ぎているのではないかと……」 ラケシスは平気そうな顔をしてはいるが、あまり女性に酒を勧めるのはどうかと思った。 「フィンもそう言っているのだから、今日はそのへんで止めておきなさい」 ラケシスが差し出したグラスをアイラは受け取ると、それを空いたボトルのそばに置いた。 「……お酒、くれないなら部屋に戻るわ」 「では、お送りいたします」 ラケシスが立ち上がると、フィンも同時に立ち上がった。 ラケシスはフィンを一瞥すると、声をかけるでもなく歩き出した。 城内にいるもののほとんどが広間にいるせいか、広間を離れると人の気配はなく静かであった。 廊下の燭台の明かりは最低限に落とされうす暗い。 フィンは携帯用の小さな燭台を手に持ち、ラケシスを案内するかのように彼女の部屋へと向かった。 部屋の前まで来ると、フィンはラケシスに燭台を渡そうとした。 「部屋の明かりはこれでつけてください」 そう言ってがラケシスはそれを受け取ろうとはしなかった。 「あなたがそれで部屋の明かりをつけて」 ラケシスは一言そう言うと、扉を開けてさっさと部屋の中に入っていった。 開け放たれた扉に、一瞬フィンは戸惑う。こんな時間に女性の部屋に入るのはどうかと思った。 「フィン、何をしているの。早く入りなさい」 中からラケシスが急かす声が聞こえてきた。 部屋の燭台に火を移すだけだし、と思ったフィンはラケシスの部屋へと入っていった。 「扉閉めて」 「えっ、しかし」 「いいから閉めて」 強く言われ、フィンは仕方なく扉を閉めた。 先に部屋に入ったラケシスはベッドのそばでたたずんでいた。 フィンは燭台を探してそれに火を移そうとした時だった。 「灯りはいいわ。それ、ここに置いて」 ラケシスはベッド横のサイドテーブルを指差した。 「しかし、部屋の灯りをつけないと暗いのでは……」 「私がいらないと言っているのだからいらないの」 どこかいつもと違う口調で、フィンは何か気に障ることでもしたかと考えながら、持っていた燭台をサイドテーブルに置いた。 「暑いわ」 ラケシスはそう言ったかと思うと、羽織っていたショールをパッと床に放りなげた。 「やはり飲み過ぎたのではありませんか? 少し窓を開けて夜風でも通しましょう」 フィンはショールを拾って近くのイスの上に丁寧にたたんで置いた後、ベランダのある方の大きな窓を半分ほど開けた。ほどよく気持ちの良い夜風が部屋の中に入り、薄地のカーテンをふわりと揺らした。 「ラケシス様、今夜は満月ですよ。綺麗な月明かりですね」 フィンは何気なく空を見上げてそう言った。 「ブーツ、脱がせて」 ラケシスはフィンの言葉に返事もせずにベッドに腰掛けると、赤いミニスカートから伸びるすらしとした足をフィンの方へと伸ばした。 「はい。失礼いたします」 フィンはイヤな顔をせずにひざまずいたかと思うと、ラケシスのブーツを片方ずつ 脱がせた。そしてベッドの脇にきちんと揃えてブーツを置いた。 「どうして?!」 ラケシスは何を思ったのか、ブーツを思いっきり蹴飛ばした。 「こんなこと、騎士がすることじゃないでしょう?!」 「今はラケシス様付きの立場を拝命されております。ですから、ラケシス様がおっしゃられることであれば、それをするのも騎士の努めだと思いますが」 急に機嫌の悪くなったラケシスに驚きながらも、フィンは平静を保つ。 そんなフィンの態度が妙にラケシスの心にイライラを募らせていく。確かに以前フィンはキュアンからそうするよう言われてはいたけれど、今となっては自分とフィンとの関係は、そんな主従の関係ではないはずだ。 「だったら、私が命令したらどんなことでもするという訳?!」 「私にできる御命令であれば」 淡々とフィンは語る。 ラケシスにはそれがさらに気に触った。 「だ、だったら……」 言いかけて一度止めたが、視線をまっすぐフィンの方へと向け、ラケシスは言葉を続けた。 「だったら私が抱いてと言ったら、あなたは私を抱いてくれる?」 「……!」 一瞬息を飲み、フィンは驚いた表情になった。驚き過ぎて言葉がすぐに出て来なかった。 「どうなの? 返事をなさい」 ラケシスは胸元の飾り紐をするりとほどいた。襟元がゆるみ、薄闇の中に肌の白さが浮かび上がる。そして解いた飾り紐をこれ見よがしに床に落とした。 フィンは表情を固くしたまま、黙ってラケシスを見ていた。 視線を合わせたまま、2人はしばらくそのままでいた。しかいふいにフィンの視線がラケシスから逸らされた。 「それは……、ラケシス様が、お望みなら……」 「フィンのバカ!」 ラケシスは枕を思いっきり力を込めてフィンに投げつけた。 「バカ、バカ、バカ! 何がお望みなら、よ! どうしてそんなこと言うのよ! 私の命令なら何でも言うこと聞くというの?! 命令だったら抱きたくなくても抱くってそう言うの?!」 ラケシスは枕ばかりか、サイドテーブルに置いてある数冊の本もフィンに向かって投げつけた。 「じゃあ、あの時のことはなんだったの?! あなたに初めて抱かれた時は、私は命令なんてしてないわ!」 「あの時は……」 フィンは口ごもりさらに視線を下へと落としてうつむいた。 「私を好きだと言ってくれたのは嘘だったの?! あの時だって好きだから愛してくれたんじゃなかったの?!」 ラケシスの問いにフィンは答えなかった。いや、何度か口が何かを話そうと動いたのだが、それは声にはなっていなかった。 「フィンのバカ……」 いつしかラケシスの言葉は涙混じりのものになっていた。 「……ラケシス様? 泣いておられるのですか?」 「そうよ! 私が怒るのも泣くのもフィンのせいなんだから! フィンがそうさせたのよ。私の心の中はフィンでいっぱい。フィンが私に笑いかけてくれなかったら私は笑えない。フィンが私のことを好きでいてくれないなら、私は死んでしまいそうよ」 「ラケシス様……」 「私、ずっと待ってたのに。あなたがもう一度抱きしめてくれるのを。それなのに、初めて2人で一緒に夜を過ごした後もあなたはいつもと変わらなくて。いいえ、それどころか、私への接し方が変わった気がしたわ。どこか避けるような感じで必要以上に近くに来なくなった」 「避けてなど……」 「避けてたわ、2人っきりになるのを。それまでは2人で飲んでいたお茶も、キュアン様やエスリンが一緒になって……。いつも誰かがそばにいた」 もしかするとそれは故意ではなかったかもしれない。 フィンの作ったお菓子が美味しいと広めたのは自分だ。甘いものが好きな女のコ達が代わる代わるお茶の時間に訪ねてきても仕方がない。それはわかっているが、2人っきりの時間がなくなってしまったことは事実である。そして2人の時間を作ろうとしてくれなかったのも事実。それに、他の女のコ達が来た時に見せるフィンの笑顔は自分に見せるものと区別がつかなかった。同じ夜を過ごしたにも関わらず、自分は彼女達と区別されていないのかもしれないと不安が襲ってきた。苦しくて、それなのに確かめる勇気もなくて、自分がどうすればいいのかわからなかった。もう我慢の限界だった。 「フィンは私のことをどう想っているの? もしも、もしも私の想いが迷惑だと思っているならそう言って」 ラケシスは裸足のままフィンに歩み寄った。右手がフィンへと伸びかけたが、触れるのを躊躇い、空をさまよう。そしてフィンに触れることのできないまま、潤んだ瞳でフィンの顔を見上げた。 「フィンにだけは嫌われたくないから。迷惑なら、もう……話しかけたりしないから……。だから、嫌いにだけはならないで」 そう言ったラケシスはあまりにもはかな気で弱々しく見えた。 その瞬間、フィンの内にあった何かが壊れた気がした。心の奥底でずっと押し殺しておかなければならないと思っていた想いが一気にあふれだす。 フィンは思わず空をさまよっていたラケシスの手を握ると、ラケシスを引き寄せて抱きしめた。そして、赤く彩られた唇に、自分のそれを重ねる。 ラケシスは一瞬どうなったのかわからなかった。 息ができないほどに強く唇を求められ、背に回された腕に力がこめられる。 「……んっ」 唇がわずかに離れた時、ラケシスは熱い吐息を洩らした。 しかしフィンはそれに構うことなくさらに唇を求めながら、ラケシスをベッドの上に押し倒した。 「あ……」 すぐ目の前にフィンの顔があった。真剣な瞳で見つめられる。 握られた手が熱かった。 「……私は恐かったんです」 「えっ?」 それまで黙っていたフィンが口を開いた。 「貴女はノデォンの王女で、私はただの騎士、しかもまだ見習いです」 「そんなこと……」 気にする必要ないと言おうとしたのだが、フィンの言葉の続きを待った。 「私が貴女を愛することは、それは貴女にとって負担にしかならないと思いました。貴女に相応しくない者が隣に並ぶことは、貴女の名を汚すことになるのだと」 「フィン……」 「エルトシャン王亡き今、ノディオンはアレス様と貴女が守らねばなりません。貴女は王女として、しかるべき方と婚姻しなければならない立場にあるのだと思いました。そんな立場であるのに私とのことがあっては良い話もまとまらなくなるのではと思いました」 「私に政略結婚しろと言うの?」 「そうではありません。ただそういう立場に貴女がいるのではないかと言っているだけです」 「……」 「貴女にもう一度触れてしまったら、もう2度と離せなくなる、そう思いました。ノディオンのことなど考えず、何もかも忘れて貴女だけが欲しい、と。いっそどこかへ連れ去ってしまえばいいとさえ思いました。しかし私にはそんなことができる勇気はありませんでした。そして貴女の気持ちを確かめもせずに、勝手に1人で貴女から身を引こうとしてしまったのです」 フィンはそこで言葉を区切り、唇を噛みしめた。瞳を閉じて一瞬苦し気な表情をしたあと、再び言葉を続けた。 「しかし、どんなに押し殺そうとしても、貴女への想いは止められません。貴女を諦めるなんて、嫌いになんてなれるはずがありません。私は貴女を愛しています」 それはラケシスの一番聞きたかった言葉であった。 思わず涙が一筋頬を流れた。それはもう悲しい涙ではなかった。 フィンはその涙をそっと拭う。 「私が貴女を愛することを貴女が許してくれるのであれば、私はこれからも貴女を愛していきたいのです」 「許すなんて……」 ラケシスはそっとフィンの頬に両手を伸ばした。 「私の方こそ許して欲しいわ。あなたがどんな思いでいたかなんて全然知らなかった。私はあなたを責めるしかできなくて、あなたの想いを考えようともしなかった。もっとあなたのことをちゃんと見ていれば、わかったこともあったはずなのに」 「いいえ。私が臆病で、何も言わなかったのが悪いのです。貴女にわずらわしい思いをさせ、不安にさせ、私は……」 ラケシスはフィンの頬に触れていた指をそっと唇に持っていった。 「もう何も言わないで。あなたが私を愛していると言ってくれるだけでいいの。それ以外の言葉はもう必要ないわ」 「ラケシス様」 「誰に何を言われようと構わない。あなたが私を見てくれない方が悲しいから。あなたがそばにいてくれないことの方が苦しいから。だからお願い、もう一度言って。あなたは私を……」 ラケシスの言葉は途中で途切れた。 相手のあたたかな想いが唇を通して伝わってきた。 「貴女を愛しています」 フィンは微笑みながらそう言うと、再びラケシスに口づけた。やさしくそっと愛おしみながら。 「私も……、私もフィンが……一番好き。誰よりも……愛してる」 フィンの愛を唇で受けつつ、ラケシスがつぶやく。 何度も重ねられる口づけに、しあわせを感じる。 「ねぇ、フィン。これからはあなたの思うようにして。自分の気持ちを我慢してはいけないと、エルト兄様が亡くなった時にそう教えてくれたのはあなたよ。あなただけが私を自由にできるよの。私はあなただけに愛されたい……」 「ラケシス様、愛してます」 フィンの手がラケシスの髪に触れる。絹糸のようにサラサラと流れる髪を手で梳きながら額に口づける。そして口づけはまぶたに、頬に落とされる。 「ラケシス様、今夜はこのまま私と過ごしていただけますか?」 そう言ったフィンに、ラケシスはいたずらっぽい瞳をしながら答える。 「そうねぇ、どうしようかしら」 「拒否は認めません」 「あら、訊いておいてそんなこと言うの?」 「たった今私に思うように行動して欲しいと言ったのは貴女ですよ?」 そう言いながら、フィンはラケシスの上着のボタンをひとつ、ふたつと外していく。 「そうだったかしら」 「今さらイヤだと言われてもダメですよ」 フィンの唇はついばむような軽い口づけをラケシスの唇に数回落とした後、徐々に滑らせていく。そして白い首筋と開いた胸元に、薄紅色の印をつけていく。 「あ……ん」 フィンの熱い唇を身体に受けながら、ラケシスは声を洩らした。 「どうしてもイヤだと言われるのなら、ここでやめましょうか?」 フィンの口調はどこかいつもと違うようだった。 「……フィンって意地悪だったのね。知らなかったわ」 「私も知りませんでした。それを知っているのは唯一ラケシス様だけですね」 フィンの手は、外されていない他のボタンに触れていく。 「それじゃぁ、意地悪な騎士様に命令をひとつ与えようかしら」 「命令、ですか? それは困りましたね」 「大丈夫、ひとつだけよ。『今夜は私が満足するまで愛しなさい』 どう? この命令はイヤ?」 「それはまたずいぶんと難しい御命令ですね」 「あら、難しいことなんてないわ。フィンが私だけを愛してくれるなら、それで大丈夫でしょう?」 「そうかもしれませんが、ただ……」 「ただ?」 「今夜という短い時の中だけでラケシス様は満足されてしまうのですか?」 「!」 自分と過ごす夜は今夜だけでいいのかと、フィンは暗に訊いているのだ。 「フィンったらやっぱり意地悪だわ。だったら命令を変えます。『これから先もずっと私だけを愛しなさい』」 少しだけ拗ねたように視線をそらして言った。 「わかりました。慎んでお受けいたします」 フィンはラケシスの着ていたものを床に落とすと、ベッドのそばのサイドテーブルの上にあった燭台の火をふっと吹き消した。 |
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