マーファ城を制圧した日の翌日。
シグルドは城下の様子を見に単身城を抜け出した。
誰も共をつけずにいたのは、制圧したばかりであるため、城下の者達に自分がシグルドだということを気づかれたくないと思ってのことである。
いくら前城主ガンドルフが悪政を強いていたとはいえ、やはり自分は他国から来た侵略者である。できるなら自分の正体をしられたくはないと思った。
しかし、我々がどのように思われているのか、そして今後このマ−ファ城下をどうしたら良いのか、それを自らの目で確かめたかったために、シグルドは一人で城下街へと向ったのであった。
突然ガンドルフは倒され、城主が変わったことに人々は困惑しているのではないかと思ったのだが、意外にも人々に不安な様子はなかった。それどころか城下の一番の大通りとなる店々では、返って活気があるようにも思えたのだった。
「お兄さん、お兄さん、買ってかないかい?」
突然体格の良い果物売りの女性が声をかけてきた。
「見かけない顔だね。旅の途中かい? だったら買っていきなよ。ほら、うちの店じゃ、いいものしかないよ」
熟れた果実をサクッと2つに切って、片方をシグルドへ差し出した。
味見にと渡された果実を、シグルドは遠慮がちに一口食べる。口いっぱいにほどよい甘さが広がっていった。
「ずいぶんとここはにぎわっているようだね」
「そりゃ、そうさ。あのガンドルフがいなくなったんだ、これでやっとまともに商売ができるってもんさ。前はガンドルフやその仲間達が来ては勝手に売り物は持っていくし、何か気に入らないといっては店を荒らしていったりしたんだよ。あんなのが城主じゃ、安心して暮らせやしなかったのさ。グランベルの公子様が来てくれて、私らは喜んでいるんだよ」
果物売りの意外な言葉に驚く。どうやらガンドルフを倒したことは歓迎されているらしい。
「長老様のお話じゃ、その公子様にまかせておけば安心だってことさ。ホントに良かったよ」
おしゃべりな果物売りはペラペラと世間話を始め出した。なかなか終わらない話に、シグルドは立ち去る機会を失っていた。
その時。
「キャー!」
突然シグルドの耳に女性の叫び声が聞こえて来た。シグルドは果物売りに簡単に詫びて店の前を離れる。そして慌ててその声がした方へと駆けて行く。
「いやっ、はなしてください!」
「へへー、いいじゃねえか、ちょっとくらいつき合ってくれてもよぉ」
中通りの角で、1人の少女が3人の男達に囲まれていた。
通る人々はわずかにそちらを見るも、誰も助けようとしていなかった。
「放してください。私は早く森へ帰りたいのです。お願いです、私にかまわないで!」
まだ若いその少女は身を小さくして抵抗していた。男達はいやらし気な目をしながら薄笑いを浮かべている。
「うるせえな! ごちゃごちゃ言ってるとひどい目にあわすぞ!」
男は少女の顔をグッとつかんだ。
「おい、おまえ達、何をしてる?」
「なんだ、貴様!」
男達が一斉に振り返ってシグルドを見た。
「その汚い手をその娘から放すんだ」
「関係ねぇヤツは黙って引っ込んでな! さもないと痛いメにあうぜ」
男の一人がすごみながら、シグルドの襟元をつかんだ。
その時シグルドの腰のところにあった剣に気づく。
「なんだ、剣なんて持ちやがって……」
男はシグルドの剣を見た。派手ではないがどっしりとした鞘を見た瞬間に、男の顔色が変わった。
「……げっ、もしやあんた、グランベルの聖騎士!?」
鞘に飾りつけられたグランベルの紋章を、男は見たのだった。
「わかったなら早く行け。私はきさまらの様な連中が一番きらいだ。その娘にあやまって早く私の前から失せろ!」
「わ、わかったよ……。すまんな、ねえちゃん、ちょっとからかっただけなんだ許してくれよ」 男達はさきほどの態度とうって変わって頭を下げた。そしてすごすごと去って行った。
シグルドは男達の姿が見えなくなったのを確認して、少女に向き直った。
小柄な少女はうつむいたままで、顔が見えなかった。まだ少し身体が震えているようだった。 シグルドはふいに薄い紫がかった長い髪が綺麗だと思った。
「大丈夫かい、ケガは?」
「はい……、ありがとうございました」
ふと少女が顔をあげ、シグルドの顔を見あげた。何気なくシグルドも少女の顔を見る。
目と目が合った瞬間、2人の時間が止まった。
見つめあう互いの瞳から視線をはずせない。
街の雑踏や人々の声、そんなどんな音さえも聞こえない。
初めて出逢ったはずなのに、心の深い奥底で何かがつながっている感じがする。
そんな不思議な思いを感じながら、2人は見つめあっていた。
どれだけ時間が過ぎただろうか。
「シグルド様……」
ふいに形の良い唇から静かにこぼれ落ちる。
その時、2人を取り巻く時間がやっと動き出した。
「……シグルド様?」
もう一度少女はその名を呼んだ。
ハッとしたようにシグルドは正気に戻る。
「私の事を知っているのかい?」
少女はこくんとうなずく。
「少し前、この先のお店でグランベルから連れてこられたという女の人とお会いして……。その方がシグルド様のことを」
「エーディンが私の事を話したのか」
「あの方、エーディンさんとおっしゃるのですね。はい、だからすぐにわかりました。想像していた通りの方だから……」
わずかに少女の頬が赤く染まる。
マントをなびかせ、突然現われた青い髪の青年。あっという間に悪者を退治し助けてくれた人。
エーディンから話を聞いた後、彼女の危機を救ってくれるという騎士に逢いたいとずっと考えていた。きっと物語の騎士と同じくらいに素敵な人なのだろうと思っていた。
そんなふうに憧れていた人が、今目の前に現れ、そして自分を助けてくれた。
颯爽としたその姿が物語の騎士と重なる。
逢いたくて、でも逢いないだろうと諦めていた人が、今、少女の前に現れたのだった。
少女は潤んだ瞳でシグルドを見つめた。
シグルドはどこか不思議な感じのする少女から目が離せずにいた。
「そうだ……、君、君の名はなんと?」
そう聞かれた瞬間、小さく微笑んでいた少女の表情がふいに硬くなる。
「……ごめんなさい。私、もう行かなくては……」
「あ、待ってくれ! もう少しだけ話を……」
「ホントにごめんなさい。あなたにお会いできて嬉しかった」
そう言って微笑む瞳には淋しい影が見受けられた。少女はシグルドの手を振り切り、駆け足で去っていく。
「嬉しかったって、いったいどういうことだ? 待ってくれ!」
夕刻、この時間は夕餉の買い物客や商売人で通りは混んでいた。
シグルドは走り去る少女を追い掛けようとしたが、すぐに見失ってしまった。
名前さえも教えてもらえなかったために、誰かに訊くわけにもいかず、シグルドは途方に暮れる。
「……ド殿、シグルド殿?」
「え、あ、長老殿」
呆然と立ちすくむシグルドに声をかけたのは、白く長いあごひげのある老年の男だった。
「シグルド殿、こんな場所でお一人とは、どうかされたのですかな?」
「あ、はぁ……」
まさかここで長老と会うとは思ってもいなかったシグルドは口どもる。まさか、女性を追いかけて来たとは言えない。
「もしや美しき精霊にでも逢われましたか?」
「み、見ておられたのですか?!」
瞬間、パッと顔が赤らむが、隠しても仕方がないことだし、それよりも今はさきほどの女性のことの方が気になる。シグルドは長老に詰め寄った。
「ならば、長老殿、知っておられるのなら教えてください! 今、走り去っていった彼女は誰なのです?」
「ふむ。あの娘はディアドラといってな、精霊の森の巫女じゃ」
「ディアドラ……、美しい人ですね……」
「ほおぉ、あなたほどの方でも美人には弱いとみえる。もしや、ひとめぼれというやつですかな?」
「長老殿、からかわないでください」
「ふぉふぉふぉ」
長老はなにやら楽し気に口ひげを揺らす。
「しかし本当に美しい人だった。できればもう一度会いたいが……」
シグルドの無意識のつぶやきにも、長老は御丁寧に応えてくれた。
「それはちと難しいのう。もともと精霊の森の者は外界とは関わりを持たぬし、そのうえ、あの娘は人と交わってはならぬという宿命を背負っておる。もし破ればこの世界に大いなる災いがふりかかると信じられておるのじゃ。悪いことは言わん、あの娘に関わるのはおよしなされ」
「宿命、災い。私はそんな迷信は信じない。そんな迷信に振り回されていは、彼女が哀れです。ディアドラ……、もう一度逢いたい」
いや、必ず彼女とはもう一度逢える。
確信に似た何かをシグルドは胸の奥で感じていた。
見えない糸にたぐりよせられ、逢うべくして出逢った2人。
大きな運命の流れに巻き込まれていることを、2人はまだ気づかずにいた。
Fin
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