アイラとシャナンがシグルド軍に合流してから数日が経った。
本来の元気を取り戻したシャナンは、まだ子供であるせいか、大人達、特に女性達には可愛がられ、シグルド軍にうまく溶け込むことができた。
それとは逆に、一緒に入ったアイラは、誰とも親しくなろうとせず、距離を置いてみんなから離れていた。
今もひとりジェノア城の中庭の片隅で、自分の剣の手入れをしていた。
何度も危機を救ってくれた自分の剣を丹念に磨きあげていた。そんな時、ふいに目の前が陰った。
「アイラ王女ね? 私はレンスター王子キュアンの妻で、この軍の指揮官シグルドの妹のエスリン。よろしくね」
突然声をかけてきたかと思うと、エスリンは右手を差し出した。しかしアイラは眉根を寄せて不審気味な表情をし、それには応えようとしなかった。
仕方なくエスリンは右手を引っ込める。
「ねぇ、こんなところで何をしているの?」
「……見ればわかると思うが」
親しく話そうとするエスリンに対し、アイラは素っ気無く答える。
「私に何か用か? それならさっさと話せ」
アイラはエスリンを見ようともせず、剣の手入れを続ける。
「あ、ええ。キュアンが貴女と話をしたいと言っているの。あまり人には聞かれたくない話だと思うから、悪いのだけど私達の部屋に来ていただけないかしら?」
「私はお前達に話などない」
「今イザークとグランベルは交戦中よね。その真の原因をキュアンは知りたいと言っているの」
「真の原因だと?」
ピタッとアイラは手を止めた。
「ええ。キュアンはこの交戦に疑問を持っているわ。だから、貴女だったら何か知っているかも、って」
アイラはエスリンの顔を見つめると、スッと立ち上がった。
「部屋はどこだ?」
その返事にエスリンはホッとした笑顔を見せた。
◇ ◇ ◇
「君がイザークの王女アイラ殿か。シグルドからだいたいの話は聞いた。私はレンスターの王子でキュアンだ」
「アイラだ。よろしくたのむ」
簡単な挨拶が済むと、キュアンはアイラに椅子を勧めた。
「早速だが、ひとつ、君に訊きたいことがあるのだ。どうしてイザークはダーナの街に攻め込んだのだ? あの街に手を出せばグランベルの報復を受けることはわかっていたはずだ。マナナン王ほどの方が、そんな無謀な事をされるとは私には信じられないだ」
自分の父の名前が出て来たことにアイラはハッと顔をあげた。
「キュアン殿は我が父上をご存じなのか?!」
「いや、私自身は会ったことはないのだが、我が父がマナナン王をよく知っておられた。立派な方だと聞かされている。マリクル王子、つまり貴女の兄上もとても優れた若者だと父は何度も言っていた」
「そうか……。そのようにレンスターの王に思われていたとは嬉しいことだな。確かに父も兄も立派な武人だ。無抵抗の街を襲うことなど絶対に許さない。ダーナの一件は辺境リボーの族長が勝手にやったことなのだ」
「なんだと?! では何故グランベルに弁明をしないのだ? マナナン王が真相を話されればクルト王子はわかってくださるはずだろう?」
アイラはキュアンの言葉にこくりとうなずいた。
「父上もそう考えられた。事実を知った父上はリボーの族長を殺し、その首をもってグランベルの陣地へわびに行ったのだ。だが……」
「だが……?」
「父上はそれきり生きて帰っては来られなかった。しばらくして帰ってきたのは無惨にも首だけとなった姿であった……」
アイラは悔し気に拳を握りしめた。あの時のことを思い出すだけで怒りがこの上なく込み上げてくる。
「イザークの民は父上が殺された事を知って逆上した。そしてグランベルとの対決を回避させようとしていたマリクル兄上も、ついにグランベルとの全面戦争を決意されたのだ」
それからのことは、あっという間の出来事だった。力の差を見せつけるかのような大軍を率いるグランベル軍によって、戦況はどんどんとイザーク側が不利になっていった。イザークは武に長けた民族ではあったけれど、思いもよらぬ数のグランベル国軍相手では、イザーク全軍をもってしても多勢に無勢であった。
「しかし、クルト王子が和平の求めを拒絶するとはとても考えられない」
レンスター王子として、外交関係に特に力を入れて教育を受けたキュアンにとって、クルト王子の行動は得策ではないと考えていた。
「兄上もそう思って全面戦争を決意される前に何度も和睦の交渉に使者をクルト王子へと遣わした。しかし使者もまた父上同様生きて帰って来た者はいなかった」
クルト王子の判断で命を奪われたか、それともグランベルへの道中でなんらかの事故に遇い命を落としたか、使者が帰国しなかった理由はわからない。しかしどんな理由があったにしろ、和睦が為されなかったのは事実である。
「この話をシグルドは知っているのか?」
「いや、シグルド公子には何も話していない。あなたも彼には言わないでくれ。私達がここにいることで、ただでさえ彼には迷惑をかけている。公子にはこれ以上の負担をかけたくないのだ」
「確かにシグルドなら真相究明にすぐにでもバーハラ王宮へと向うだろうな。そしてそのままイザークとの停戦交渉のために最前戦へ行くかもしれない」
真相を知ったシグルドがどんな行動を取るか、つきあいの長いキュアンにはすぐに想像がつく。そして、キュアンの隣にいるエスリンも、兄の行動パターンなど手に取るようにわかるのか、うんうんとうなずいている。
「シグルド公子には今エーディン公女の件がある。それは公子にとって最優先されるべきことだ。そんな大事なことがある公子を我々の事情に巻き込ませたり、思い煩わせたくはない。それに、今からではもう手後れだだろう。兄上はもう……」
アイラは最後まで言葉を続けられず、目を伏せた。
「マリクル王子は死を覚悟されていたのか……」
「戦況が不利になり、イザークが落ちるのも時間の問題だった。しかし兄上は最後まで戦うことを決めた。私も兄上のそばで最後まで戦うつもりだった。しかし、兄上は私にイザークをを出ろとおっしゃった」
「シャナン王子と一緒に、だな?」
アイラはうなずく。
「兄上はシャナンさえ生きていれば、イザークは再び甦るとおっしゃられた。私の役目は、シャナンを守り、その成長を見届け、そしていずれイザークへと連れて帰る事なのだと……」
「そうか……。君も大変な目に遇われたのだな。アイラ王女、いずれ真相もはっきりとわかるだろう。それまでは、我慢して欲しい。私の立場ではあまり他国間に首をはさむ訳にはいかず、できることは少ないだろうが、できるだけ力になろう」
「私も力になるわ」
キュアンとエスリンの2人は力強くアイラに言った。
誰も頼ることができない、頼ってはいけないとずっと耐えてきたアイラにとって、2人のしっかりとした言葉はとても心強く思えた。
「キュアン殿、エスリン殿。感謝する」
アイラはエスリンが差し出した右手を、今度はしっかりと握り返した。
◇ ◇ ◇
イザークを出てからずっと胸に秘めていたことをキュアン達に話したことで、アイラは少しラクになった気がした。
状況が変わったわけではないけれど、話せる相手がいたことで、逃亡生活に疲れ果てていた彼女の心はホッとしたのだった。
キュアン夫妻の部屋を出たアイラは、ドアのすぐそばにレックスがいるのを見て驚いた。
レックスはまるで誰かを待ち伏せていたかのようだった。
「ここで何をしている?」
壁に寄り掛かり、腕組をしていたレックスがゆっくりとアイラを見た。
「お前こそ、キュアン達と何を話していたんだ?」
「お前には関係ないことだ」
アイラは即答し、関わりあうことなどしたくもないとでもいうように言い放って、そのままレックスの横を通り過ぎようとした。
「イザーク王が殺された件か?」
突然レックスはアイラに言った。
通りがけにつぶやかれたその言葉に、アイラは驚く。
「……!! お前、盗み聞きしていたのか?!」
「いや、たぶんそんな話じゃないかと思っただけだ。どうしてイザークとグランベルの間に戦が起こったのか、どうしてイザーク王は死んだのか、そしてどうしてお前がイザークを出なければならなかったのか、そんな話をしていたんじゃないのか?」
「……」
「キュアンなら他国の者でこの件に直接関わっていないから、イザークとグランベルとの間のこの事件について冷静な目で見られるだろうからな。で、キュアンは何か知っていたのか?」
「キュアン殿は何も知らなかった。ただイザークとグランベルの戦いに疑問を持っておられただけだ」
「そうか、それだけか……」
一瞬レックスはホッとしたかのように息をもらした。
そんなレックスをアイラは不審に思った。
「お前は何か知っているのか? もしかして父上が何故殺されたのか、誰が殺したのかを知っているのか?!」
思わずアイラの手がレックスの襟元へと伸びる。
グッと握りしめられた襟元が苦しかったのか、レックスはわずかに顔をゆがめる。しかし、アイラの質問にレックスは答えようとはしなかった。ただじっとアイラを見つめた後、視線をそらした。
「たぶん、お前は俺を一生恨むことになるんだろうな……」
「どういうことだ?! ちゃんと説明しろ!」
「……いずれ、いずれお前も知ることになるさ」
レックスの服をつかみ、詰め寄るアイラの手を静かに下ろし、レックスは歩き出した。
「ま、待て! 話は終わっていないぞ!」
レックスは立ち止まらずにそのまま歩いて行く。
「レックス!」
アイラの呼び掛けはレックスには届かなかった。レックスは振り返らずに廊下の角を曲ってしまった。
「一体何を知っているんだ……」
アイラはレックスの消えた方を見つめながら、呆然と立ち尽くしていた。
『お前は俺を一生恨むことになる』と言ったレックス。その言葉に一体どんな意味が隠されているのだろうか。
今このシグルド軍にいるレックスが、イザークとグランベルとの戦いに何か関わりがあったのだろうか。
とにかく、レックスは何かを知っているし、何かを隠していた。
それが一体何なのか、アイラにはわからなかった。
Fin
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